第12話
その問題の男子は、シャツのボタンを開けてズボンの裾をロールアップしてやたら底の厚いスニーカーを履いているようなタイプだと思っていた。いわゆる押しの強いオラオラタイプだと。
しかし現れたのは標準の着こなしをした小柄な男子だった。
サラサラの前髪の下で、くりっとした目が大きく開いている。
全体的になよなよとしていて、袖口からのぞく手首も細い。握力20ぐらいしかなさそうだった。転んですぐ怪我しそう。
下手すると女子と見間違えられそうだ。
見た目で判断して申し訳ないが、本当にそういう見た目なのだ。それこそ姫乃が睨みつけたら、うつむいて逃げていきそうな気もする。
「姫乃さん!」
大声で呼ばれ、姫乃がびくりと肩をすくませる。
「俺のミンスタの投稿見てくれました?」
「や、ちょ、ちょっと忙しくて……」
「ボケカのめっちゃレアなの当てたの、見ました?」
「いやカードとか、べつに興味ないし……」
「そしたら話っていうのは……あ、いや俺のほうからも話あるんでいいすか!」
前のめりに姫乃に詰め寄っていく。眼力がすごい。声が甲高い。
前言撤回。押しは強いようだ。
「えぇっと、そのぉ……」
姫乃が口ごもりながら直希に助けを求めるような視線をよこした。
意外にも弱気な、困惑した表情だ。ふたりでいるときとはまるで態度が違う。
ひとまずここは、盾カレシとしての役割を果たすことにする。
「すいませんあの、どういったご用件で?」
横から割って入っていく。
勝手がわからないのでマネージャーポジションでいくことにした。
「え? 誰?」
姫乃の前に立ちはだかる彼は、そこで初めて直希の存在に気づいたかのようだった。陰キャなので影が薄いのは仕方ない。
「あ、どうも。天野直希ともうします」
「あ、ご丁寧に。滝澤晶(たきざわあきら)といいます」
お互い会釈する。
あいさつが終わると、晶はすぐさま姫乃に向き直った。
「正直言うと一目惚れです! こんなかわいい子が同じ学校にいたなんて! その姿はまさに天使! 天使が……いや女神が舞い降りたのだと!」
空に向かって高らかに語りだした。まるでミュージカルが始まってしまったかのようだ。
「はは、さすがにそれは言いすぎでしょ」
「なに笑ってんだよ」
姫乃から肘でつつかれる。
えっご自分を天使だと思ってらっしゃる? という意味を込めて見返すと、
「好きです! 付き合ってください!」
滝澤晶がいきなり告白した。直希の存在などおかまいなしだった。
「どうかお願いします!」
「いや、というかその、前も無理って言った……」
「友達からでも! どうかぜひ!」
頭を下げる晶に対し、姫乃は口ごもるばかりだ。こういうときはっきり物を言うタイプだと思っていたが、そうでもないらしい。
「それだけ言ってもらえるなら、ちょっと考えてあげたら?」
提案してみると、姫乃は無言でなにか言いたげな視線を向けてくる。そのまま顔を近づけて耳打ちしてきた。
「……キツイ」
付き合えない理由、キツイ。
もうちょっと上手に言語化できないものか。
「あの、勉強がきつくて大変らしいです」
直希はうまく言い換えて晶に伝えた。
「自分こう見えても成績はいいんですよ! だから勉強も教えてあげられるよ!」
満面に笑みを浮かべながら、晶が自分の胸元に向かって親指を立てる。突然の秀才。
姫乃がさらに耳打ちしてくる。
「暑苦しい」
理由その二。暑苦しい。
これもそのまま伝えるわけにはいかず、優しく言い換える。
「その、今は恋愛に対しての熱量があまりないそうです」
「大丈夫! きっと退屈はさせないよ、毎日熱々の焼き立てだよ!」
なにが大丈夫なのかはわからない。
すぐに姫乃が直希の耳元でぼそりと返答する。
「なんかウザい」
理由その三。なんかウザい。
「えっと、なんかウザいそうです」
直希は変換をあきらめてそのまま言った。晶の顔が曇る。
「いやいやちょっと待った。ところで君は何者? 姫乃さんとはどういう関係?」
たしかに誰だお前、となるのは当然だ。
向こうからしたら見知らぬ他人が出てきて代弁を始めたわけだから。むしろ聞いてくるのが遅い。
「えっと僕は……いちおう、幼なじみ?」
姫乃の顔色を伺いつつ答える。
つい「ただのつきそいの陰キャです」と答えそうになったが、それをやるといろいろと台無しになる。
意外な返しだったのか、姫乃は直希の顔を見つめて何度か目をまたたかせた。
頭をかきながら晶にむかってぎこちない笑みを浮かべる。
「じ、実はさ、先にこの人がコクってきてて。まぁ幼なじみで腐れ縁? っていうのもあるし、どうしてもっていうから、しょうがないかな~って」
思わず彼女の顔を二度見した。
知らないうちに直希は姫乃に告白していたらしい。
ずっと落ち着きのない姫乃の目と目があった。小声で聞いてくる。
「……な、なに? な、なんか文句ある?」
「いや、ないです」
「ないんかい」
文句を言ったら言ったで陰キャくんは黙ってて、と言われるだけだ。
昨日オタクの漫画の読みすぎだとかさんざんバカにしたくせに、結局そういう流れになるらしい。
晶が怪訝そうな顔になる。
「え……この前はそんなこと言ってなかったよね?」
「そ、それは、な、内緒にしてるからね! 学校とかでは内緒に!」
「そっちの彼から、またなんか勝手なこと言ってるよやれやれ的なオーラが出てるんですが……」
晶は案外冷静だった。あっさり見抜かれている。
その一方で姫乃が見るからにうろたえはじめる。前もって打ち合わせしておけばこうはならなかったかもしれないのに、どうして独断専行したのか。
「えいっ」
突然姫乃が直希の二の腕に両腕を絡めてきた。
「ナオは恥ずかしくて照れちゃってるんだよねー?」
らしくもない猫撫で声を上げながら、上目遣いに首をかしげてくる。笑みを浮かべてはいるが、頬が引きつっている。
姫乃はしきりにまばたきをして、目で威嚇……ではなく合図をしてくる。
それらしくあわせろ、というのだろう。なんというベタな流れ。
しかし陰キャにとっては何もかもが初めてのシチュエーションだ。
(うまくやらないと使えない陰キャ扱いされるな……)
これだから陰キャくんは……とあとで怒られる。なによりあの姫乃がここまでしているのだ。冷めた顔でスルーでもすれば彼女に恥をかかせてしまう。
頬を緩ませて見つめ返す。落ち着きなく揺れていた姫乃の黒目が、ぴたりと動かなくなった。
(あれ、ヤバイどうしよう……)
姫乃はまるで本当に彼氏と見つめ合っているかのような表情だ。意外な才能。
至近距離で見つめ合ってしまい気まずくなる。これから誓いのキスでも始まりそうな空気感だ。いくらフリとはいえそれはまずい。
そのあいだも正面と横から二人の視線が突き刺さる。
(やっぱなんかやらないとダメな感じ?)
焦った直希は頭の中で妥協案を出した。
手を取って握り返すと、姫乃の耳元に顔を寄せてささやく。
「姫ちゃん今日も最高にかわいいよ」
(いやーキツいっす……)
陰キャの低音ねっとりボイスだ。自分で言って笑いがこみ上げてきた。吹き出しそうになるのを奥歯を噛んでこらえる。
姫乃は前を向いたまま微動だにしなかった。てっきり彼女も笑いをこらえているのかと思いきや、横顔がみるみるうちに赤く染まりだす。
「あら? 姫ちゃんこそ顔真っ赤にして、恥ずかしがってるのかな? かわいい」
ならばと追撃してみる。
バカップルの男っぽく姫乃の頭を撫でてみた。やってみると意外にできるものだ。案外得意かもしれない。そして顔を赤らめてうつむいている姫乃の姿も実際かわいらしい。
「うわっ」
組んでいた片腕をいきなり振りほどかれた。続けざま両手で体を突き飛ばされる。
姫乃は荒々しく弁当箱をバッグに押し込むと、ベンチから立ち上がった。そのまま一言も発せず、大股に校舎のほうへ歩いていった。
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