第9話

 しばらくすると、姫乃はスカートのポケットからメモ帳の切れ端を取り出した。広げて見せてくる。

 メモには小綺麗な字で「よろしくお願いします!」の文言とともに、SNSのIDらしきものがいくつか羅列されていた。

 

「ちょっと前に学校の帰りに声かけられて、いきなり渡されてさ。あたしのこと見かけて、ずっと気になってたとかなんとかって」

「……あ、そうなんだ」

「なにその興味なさそうな反応は」

「うわめっちゃ面白そう!」

「そういう方向の話じゃないんだけど?」


 じろりと睨まれる。

 陰キャなりにご機嫌を取り持とうとした結果だ。これでも歩み寄ろうとはしている。

 

「これからバイトだからって言ってそのときは逃げたんだけど、すごいしつこくてさ。なんとかしてくんない?」

「……僕が? なぜ?」

「そこは腐っても男子でしょ」

「腐ってない男子が他にいくらでもいるでしょ」

「こういうのあんまり人に言いたくないの。めんどいから」

「つまり僕は人とみなされてない?」


 モテるという噂を人づてに小耳に挟むこともあるが、それ以上にもみ消しているようだ。

 陰キャなのでこういう恋愛絡みの話はふだんまったくしない。姫乃もこれ系の話を振ってくることはないのだが、今日は勝手が違うようだ。


「僕がどうこうするも何も、断ったら終わりじゃなくて?」

「だからしつこいんだって」

「じゃあ他に好きな人がいるとかなんとか言ったら?」

「もう言った。そしたらどこの誰? 会ってみたいって」


 そこで食い下がるとは。というか会ってどうするのか。言うとおりたちの悪いのに絡まれているのかもしれない。


「それってもしかして、僕を彼氏だとかっていって断るって話?」

「なにそれ? オタクの漫画とかの読みすぎなんじゃない」

「そしたら僕いらなくないっすか?」

「別に『しつこいんですけどキモい』ってつっぱねてもいいんだけどさ。逆上されて襲われたりしたら困るじゃん?」

「なるほど、つまりニセの彼氏ではなくなにかあったとき用のシールド彼氏?」

「そうそう、最悪あたしを守って相手と一緒に自爆してくれればいいから」

「姫乃さまバンザーイ!」

「うるさいんだけど」


 また睨まれた。くすりともしてくれない。


「まあタダで、とは言わないよ? ちゃんと報酬は出すからさ」

「報酬って?」

「往復ビンタ」

「ありがとうございます」


 姫乃はおかしそうにケラケラと笑う。やっとウケが取れたが直希としては何がおもろいねんという話だ。


「じゃあなにがいいの? ためしに言ってみ? あたしになにかしてほしいことあるの~?」


 腰をかがめて、口元をにやつかせながら上目遣いをしてくる。

 開いたブラウスの襟元から白い首筋がのぞく。一番上のボタンは校則では閉めないといけないことになっている。

 

「じゃあ……うちのトイレ掃除とか」

「ちがうそういうんじゃない」

「朝のゴミ捨て」

「自分でいけ」

「ヘラってるときの母さんの相手」

「絶対ヤダ」

 

 してほしいことあるの? というわりに何一つやる気が見られない。

 

「結局なんのフリだったのか……」

「いや……ほら、なんかニセ彼氏がどうたらとか? 陰キャくんはそういうお遊びが好きなんかなーって思って」

「ん、それは大人の行為込みで?」

「大人の……?」


 姫乃はきょとんとした顔で目をパチクリとさせる。それからはっとしたように表情をこわばらせた。みるみるうちに頬に赤みが差していく。


「いや冗談冗談」

「なっ、なにが冗談だよ、おもんないんだよ! しょーもない、この陰キャが! 陰キャ陰キャ!」


 顔を真赤にしてわめきちらしてくる。肩を二回ほどグーパンされた。

 まさかここまでブチ切れられるとは思わなかった。


「はいはいすいませんすいません。いいよ、わかったよ。報酬とかそういうのもいいから」

「……へー、いいの?」

「僕なんかでよければどうぞどうぞ使ってやってください。役に立つかどうか保証はないけど」


 困ってるから助けて、と素直に言ってくれれば、邪険にはしないし変に見返りを求めたりはしない。自分なんかで役立つことがあるなら、というのは本心だ。


「そっかそっか~。よしよし陰キャくんいいこいいこ~」


 一転して上機嫌となった姫乃が、ご満悦の笑みで頭を撫でてくる。

 手を払いのけたくなったが、ここは逆らわないでおく。

 

 ひととおり人の頭を撫でたあと、姫乃はカバンの中からお菓子の入った袋を取り出した。中からグミをひとつつまんで自分の口に入れる。彼女はこういったグミだのアメだのラムネだの、しょっちゅう口にしている。


 お菓子を買いたいから、とかいう小学生みたいな言い分もバイトを始めた理由の一つらしい。陰キャにはとうてい理解の及ばない部分だ。

 グミを手にした姫乃が聞いてくる。


「食べる?」

「いや、いいっす」


 断ったはずだがグミを持った手が近づいてきた。柔らかい弾力ある物体が唇に押し付けられる。

 唇を閉じたまま拒む素振りを見せるが、無理やりねじこまれた。 


「おいし?」


 顔の前で小首をかしげてきた。至近距離で目が合う。

 まぶたにはくっきりと二重の線が入っている。アーモンド形の目は型で取られたかのように左右対称だ。 

 

「んふふ」

 

 逆らわずうなずいておくと、姫乃は鼻から息を出すようにして笑った。

 少しだけ目尻がたれて、唇の端が持ち上がった。


 相変わらず整った顔だ。見慣れていても、どきりとさせられる。

 多少乱暴な言動をしても、許されてしまいそうな雰囲気がある。ずるいとすら思う。


「残り全部あげる」


 姫乃はさらにグミを二個、三個と口に押し込んでくる。

 空になったお菓子の袋をぽいっとゴミ箱に放った。ゴミ箱をかすりもしない。ベッドに転がっていたスマホを拾い上げて、こちらに向けてくる。


「間抜けヅラ撮ってあげる」


 グミを口にくわえたままの写真を撮られた。

 姫乃はスマホを片手で触りながら、カバンを担いで立ち上がった。


「じゃ、明日学校で話するから。よろしくー」


 姫乃はスマホに視線を落としながら、片手を振って部屋を出ていった。

 ドアが閉まると、直希の口からは自然とため息が漏れる。ぶどう味のグミの香り

に混じって、かすかに甘い残り香が鼻をついた。


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