第7話

「なんだよいるじゃーん。ノックしたのになんで無視してんのー?」

 

 聞き慣れた高い声がする。

 振り返ると、カバンを肩にかけた制服姿の女子が大股に近づいてくる。そのままの勢いで直希の背中に張り手をかましてきた。

 

「うぃーす陰キャ君元気~? けっこう久しぶりじゃ~ん」

「はあ、まあ」

「元気~? って聞いてるんだからうぇいうぇい~って言いなよ」 

「……うぇいうぇーい」

「ノリ悪っ、これだから陰キャは」


 ぶすっとした顔で唇を尖らせた。

 彼女の名前は伊藤姫乃(いとうひめの)という。それなりに見知った相手だ。

 ぎりぎり幼なじみと言えるぐらいには、小さい頃から面識がある。


「今日も一人真面目にお勉強ですか~? えらいでちゅね~」


 口元をにやつかせながら机の上をのぞきこんでくる。

 明るい茶色の髪の束が白いブラウスの肩を撫でて垂れた。得体の知れないいい香りが鼻をつく。

 

「……いやあの、まじで何しに来た?」

「たまには陰キャくんの相手でもしてあげようかなって思って来てあげたんでしょ?」

「わざわざ来たの? 暇人じゃ?」

「バイト帰りに寄っただけですけど? あとうちのママから恵さんに届けもの頼まれたついで」

 

 姫乃は大げさな仕草で髪をかきあげた。ふんぞり返って見下ろしてくる。


「うれしいでしょ? あたしに会えて」

「そっすねー」

「う・れ・し・い、でしょ?」

「嬉ションですね」


 頭を乱暴にワシャワシャされた。

 今のではダメらしい。言い直す。


「姫ちゃんに会えてうれしいです。今日も最高にかわいいです」

「んふふ、でしょ~。よしよし、くるしゅうないくるしゅうない」


 べしべし肩をたたいてくる。いくらか機嫌を取り持ったようだ。

 とにかく逆らわない。これが彼女をうまくやり過ごす方法だ。


 けれどまったく口からでまかせを言っているわけではない。

 小細工抜きの正統派美少女。直希の主観ではなく、周りの人間も口をそろえて言う。


 知り合ったときにはすでにそんな扱いだった。かわいいかわいいと言われて育つと、さらにかわいくなるという実例を見た。

 

 しかし最近は少し方向性がずれ始めた。髪を急に染めだしたりスカートが短くなったりと、ややイケイケ方面に寄せだしている。


「ねえ、なおくん聞いてる?」


 そのときスマホからひかりの声がした。直希は反射的にスマホを裏返して机に伏せる。


「……なに? 今の声」


 姫乃が不審げに眉をひそめる。

 とっさにネットの知り合い、などと言って濁そうか迷った。

 けれど変に嘘をつく必要もないと思い直し、正直に言った。


「これはなんていうか、その……元カノ?」


 ざっくりいえば元カノで間違いはない。実際はそんなごたいそうなものでもないのだが。

 姫乃の眉間にさらにシワが寄る。


「……元カノって、なに?」

「あれだよ、元彼女だった人」

「それはわかってるっつーの」


 低いトーンで詰めてくる。全身から圧力を感じた。

 しかし姫乃はすぐなにかに気づいたように、笑いながら手をうった。


「あー、そういうオタクのゲームね! 『なおくん』なんて呼ばせて、最近のゲームは進んでるねぇ。てかドヤ顔で元カノって、ウケるんですけどー!」


 人の顔を指差しながら、けたけたと声を上げる。


 姫乃は直希に彼女ができたことも、そしてすでに振られたことも知らない。

 幼なじみといっても、普段から密に連絡を取り合っているような関係ではない。

 

 彼女とは小さい頃同じ団地アパートに住んでいたときに知り合った。直希が小学五年のときに今のマンションに引っ越しをして、中学は別々。

 

 その間彼女とは一切の接触がなかった。母親同士の親交は続いていて、たまに話を聞く程度。


 高校に上がるタイミングで姫乃がこの街に引っ越してきた。偶然か親同士の情報交換の結果か、高校も同じになった。


 期せずして彼女と久方ぶりの再会を果たしたわけだが……それでも学校では接点がない。


 顔を合わせて話すとしたら、こうしてたまに家に乗り込んでくるときぐらいだ。それも頻繁にあるわけではない。最後に顔を合わせたのも数ヶ月前だ。


(んーどうしたもんかね……)


 一から説明するかどうか迷った。しかし一ヶ月もしないうちに振られた、となると、さらに笑いのネタを提供するだけだ。ここは適当に流すことにした。


「最近のゲームってAIでキャラが学習して、自我を持ったりするんだって」

「……え、マジ?」

「選択肢間違えると普通に寝取られたりするらしいよ」

「なにそれこわっ」


 本気で信じているっぽい。ちょっとばかり頭が残念なようだ。


 こっそりスマホの画面をのぞくと、ひかりのステータスは退席になっていた。第三者の声に気づいて、すぐさま逃げたらしい。


「やーでも、陰キャくんかわいそうね~。そういうので欲求不満を満たしてるんだねぇ」


 直希の頭をぺんぺんと叩くと、姫乃はカバンをおろしてベッドのふちに腰掛けた。

 短めの制服スカートがきわどくひるがえる。丸みを帯びた膝が天井のライトに照らされて乳白色に光った。


「キモいおっさんがさー、レジ終わっても話しかけてくるんだよねー。店長も足とかジロジロ見てきてキモいし!」


 聞いてもいないのに勝手にしゃべりだした。彼女は直希の住むマンションから、少し先にあるコンビニでアルバイトをしている。


「もうバイトやめよっかなー。ねえ、どう思う?」


 姫乃は胸元まで垂れた毛先をつまんで、指でくるくるとこねくりはじめた。髪色は自然ではないレベルで明るい。


「いやちょっと、自分陰キャなんでわかんないっす」

「いまそういうのいいから。まじに聞いてんの」

「つまりセクハラ被害ってこと? 内部のコンプライアンスが機能してないなら外部の……」

「ちゃうちゃうそういうことじゃなくて。はぁ、これだから働いてない陰キャは……」

「一応バイトみたいなことはしてるけど。母さんの動画の編集とか手伝ってるから」

「ふ~ん? あんたってさ、意外に結構なんでもできるよね」

「やったぜ褒められた」

「でも陰キャだしなぁ」


 上げて落とすは基本。打ち消してくる。

 

「ずっとたちっぱで足つかれた~~」


 姫乃はベッドの上に身を横たえてうつ伏せになった。足を小さくばたつかせながら顔をもたげる。


「ねえ、ちょっと足揉んで? ふくろはぎのとこ」

「くさそう」

「は? いまなんつった?」

「はいよろこんで!」


 居酒屋風に答えて鋭い視線をやりすごす。

 直希はベッドのそばに膝立ちになった。手を伸ばして、ふくろはぎを指の腹でつかむ。

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