第3話

「今日暑いな〜。下着だけでも暑い……」


 よからぬ発言が聞こえたが陰キャなのでなんと返すべきかわからない。聞こえなかったふりをする。


「髪かわかしますね~」


 ドライヤーの音がスマホから吹き出してくる。

 直希にしてみれば完全に騒音でしかないが、勝手にミュートにしたりアプリを落とすと「あっ……すみませんなにかお気に召さないことが?」と不安がられるのでそのままにする。


「くしゅっ。さむっ、パジャマ着よ」


 まだ着ていなかったらしい。どういう状況でいるのか。

 

 ひかりがタブレットでマンガを読むと言ってから、会話という会話がなくなった。しばらくして直希も宿題を終えて、机の上を片付ける。 

 

 勉強が終わっても、どちらかが言い出さないかぎり通話を切ることはなくなった。 なにか話題を、と思ったが特に思いつかなかった。無音が続く。


 ひかりはマンガに集中しているらしい。 

 こっそりスマホに耳を近づけてみると、かすかに息遣いが聞こえた。


「あの……な、なおくん?」


 急に声がして、少しだけぎくりとする。

 

「なんすか?」

「あ、呼んでみただけです。えへへ」


 くすくすと笑う声が耳元をくすぐる。無色透明。そのぶん感情も乗りやすい。

 好きな声だ。そう伝えたくなったが、これを嫌う人はいないだろう。言い方を変える。


「でもさ、本当に声かわいいよね」

「えっ? ど、どうしたの急に」

「いや単純に思ったから」


 普段のひかりは口数が少ない。少ないどころか、声を出すこと自体がレアだ。 


 この通話を始めるまで、早口で焦っている声しか聞いたことがなかった。素の落ち着いた声だと、ずいぶん印象が変わる。


「えっと、その……なおくんも、イケボですよ?」

「いやいや全然だって」

「あの、ちょっと言ってみてほしいセリフがあるんだけど……」

「せりふ?」

「『ったく、お前は俺がいないと本当にどうしようもないな』」

「それなんのセリフ? 誰?」

「『お前は俺に逆らうな。黙って言う通りにしろ』」

「その筋の人かな」

 

 なにを言わせようとしているのか。間違いなく痛いことになる。

 

「そんなことよりひかるんの第二弾は?」

「ありません」


 ひかりにしては珍しくきっぱり言い放つ。拒否反応がすごい。

 ひかるんというのは、先日突然彼女から送られてきた動画のことだ。


 猫耳のアクセサリーを身に着け、「ひかるんだぞっ、にゃんにゃん☆」とカメラ目線のセリフつきで手招きをする十秒程度の映像だ。


 とんでもない衝撃だった。

 黒崎ひかりといえば、黒髪のもっさりボブヘアーに前髪をたらして終始猫背でうつむき、顔も表情もよく見えない。ひたすら目立たないよう空気と一体化している。 

 学校での……いや直希が知る彼女はずっとそうだった。


そんな彼女が、おでこを出して顔にもメイクを施し、ノリノリであざとい笑顔を浮かべていた。

 

「これだれ?」「え、わたしですけど」「嘘でしょ」「う、嘘じゃないですけど」「嘘つけ」「わ、わたしですぅ! ちょっと盛ってるかもだけど!」


そのときはすぐには信じられず、しばらくそんな問答をした。


 これまで推し……例えばアイドルとか有名人を推すだとか、そういう概念がよくわからなかった。しかしこの動画を見たとき、一瞬にして「理解」した。


「このひかるんは推せる」

「あ、あれはノリというか……ただの気の迷いですから! もう忘れて。動画も消して」

「写真にして待ち受けにしようかと思ってるんだけど」

「やめて。まじでやめて」


 磨けば光る原石なのだ。

 見つかれば男子が放っておかないだろう。自分にはもったいないレベルの美少女だ、と直希は思う。

 

「そ、それ……そんなにいいですかね?」

「うん、めちゃめちゃかわいい」

「ほ、ほ~……そ、それは……」

「これで学校来たらモテモテだろうなぁ」

「行けるわけない!」

 

 どっとテーブルを叩くような音がした。

 うなだれている姿が目に浮かんで、つい頬が緩む。


 心地よかった。彼女の声が。発する音が。

 通話を繋いでいる時間が、いつしか楽しみな日課となっていた。

 あいかわらず読めない部分はある。けれど今さらながら、彼女との会話が楽しくなっていた。


 けれどよりを戻したい……というのとは違う気がする。直希が気になっているのは、今この距離感で話している相手であって、彼女だったときの彼女じゃない。自分で言っていてややこしいが。

 しばらくの無音ののち、かしこまった声がする。

  

「あの……ね、なおくん。わたし、言いたいことがあって……」

「なに? 妖怪ボッチのこと?」

「ちがう」


 低い声で否定された。

 フリは先ほどと似たようなトーンだったが違ったらしい。


「ありがとう。わたしのわがまま、聞いてくれて……」


(これは……?)

 

 急に胸の内がうずいて、高鳴りだすのを感じた。

「困ったときはいつでも相談にのるよ」とはとりあえず体裁を保つために言ったセリフだった。


 しかし実際に相談を引き受けて、こうやって素直に感謝の言葉を述べられると、悪くない気分だ。なにやらこみ上げてくるものがある。


「いえいえこちらこそ、どういたしまして」

「わたし強引にお願いして、迷惑じゃないかなって思ってたんだけど……」

「いや全然、気にしないでいいよ。他にもなんかあれば、どんどん言ってくれていいから。大丈夫?」

「え? あ、あっ……と、とりあえず今は、だ、大丈夫です」


 改めて念を押していく。若干焦っている気配がしたが、ひかりの声はまたゆっくりになる。

 

「なおくんともゆっくりちゃんと話して、その……仲良く、なれたから……。い、今だったら……」

「僕もひかりのこと、勘違いしてた」

「えっ?」

「話してて楽しいしかわいいし、ひかりだったらすぐに僕なんかよりいい人が見つかると思うよ」


 君だったらすぐにいい人が見つかるよ、というのもまた定番ワードらしい。

 ひかりはその気になれば、きっともっと上に行ける人間だ。自分のような陰キャが彼氏だなどと、恐れ多い。 


 いずれにせよ振られるのは時間の問題だったに違いない。勝手がわからなかったとはいえ、彼氏らしいことはなにひとつできていなかった。

 振られて正直ほっとした部分もある。友だちになった今の距離のほうが、ずっと気楽に付きあえる。


 ならば陰キャらしく、元カレとして友人として陰ながら支える。それがなんとか彼女と関わっていられるギリギリのラインだろう。

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