第3話 わたしはだれ


「なぜ、わたしを追うの」

 

 と問うたのはわたしの足元にある肉片のひとつ。


 黒闇の中でうぞうぞと蠢いて、色を赤から青、黄から緑へと目まぐるしく変えていく。それはまるで眼が眼窩の中で廻っているよう。

 

 あれはわたし。

 

 わたしが思考している。なぜ?なぜ?とわたしがわたしに問うている。

 

「痛いよ、痛いよ」

 

 とまた別のわたし。視えない壁にべっとりと張り付いている朱いわたし。

 

 あれもわたし。

 

 全身が痛くて痒くて、触れたいのに触れられない。仕方がないからわたしがわたしの代わりに肉へ爪を立てる。

 がりがり、がりがり。

 あまりに搔き過ぎて、指がか骨に引っ掛かる。絡まった肉が裂かれて血を溢す。

 

「足が止まっているよ」

 

「戻っておいで」

 

「追わないと」

 

「行ってはいけないよ」

 

 ざわざわ、ざわざわと語りかけるのもみんな、わたし。わたしがわたしの背を押し、腕を引く。

 

 わたしはあれらで、あれらもわたし。

 

 わたしはあらゆるわたしが思考して思案して、途方に暮れる。

 

 途方に暮れている?

 

 わたしは何も感じていない。わたしは虚ろ。焦燥も憂慮も悲哀もない。

 

 かりかり、かりかり

 

 わたしは瘡蓋を剥がすように削げた肉を搔く。時おり爪が骨に引っかかって、爪が割れて血が滲む。

 

 かりかり、かりかり

 きいきい、きいきい

 

 気が付けば、わたしは骨を搔いている。血の滲んだ爪が一枚、また一枚と剥がれてわたしは失せられていく。肉も一枚、また一枚と剥がれていく。

 

「追うべき?」

 

「留まるべき?」

 

「それともそれとも?」

 

 あらゆるわたしがわたしに問う。わたしもわたしに問う。螺旋の階段の先のわたしは足を止めない。静かに、下へ下へと進んでいく。深淵の闇に沈んでゆく。

 

「あれはだれ?」

 

「きみはだれ?」

 

「わたしはだれ?」

 

 とめどなく、わたしたちは問い続ける。思考を止めない。あらゆる考えがあちらこちらで起こっては消えて、わたしを

 

「ねえ、わたしはわたしなの?」

 

 ぬるり、と真闇な天井からわたしが逆さに垂れ下がって現れた。目も鼻も口もないわたし。それでも、これもまたわたしなのだとそのわたしが思考している。

 

 逆さのわたしはのっぺらぼうな貌でじっとわたしを見詰めている。

 

 わたしは?

 

 私はどんな貌で、どんな目をして見つめ返しているのだろう。

 

 あれらはみんなわたし。

 

 けれども、思考は別れていて、視界は視えない。わたしはわたしだけど、わたしじゃない。わたしはきっと持っているだろう口を開いて応えた。

 

「きっと追えば」

 

 きっとあのわたしを追えば、わかる。深淵の奥底へ向かうわたしに追いつけば、きっとわかる。

 根拠はない。けれども、わからないからそうするの。ずっとやっていたから、そうするの。

 

 わたしはそう言ってまた足を進め始めた。肉の削げて骨の剥き出しになった足で一歩、また一歩。私の肉を踏みしめながら、一歩、また一歩。


 ひたひた、ひたひた

 ひたひた、ず、ず


 ひたひた、ひたひた

 ぷつり、ぷつり



 かり……

 

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