第3話 祈りの狭間

 ロメール国の皇太子レムレス・ロメールが聖女ルベリア・ルナールを初めて意識したのは、先代聖女が亡くなった後のことであった。年若くして次代の聖女を務めることになった少女は、周囲の不安を余所に立派に新年の礼拝を務めた。


『まるで朝日のような素敵な聖女様だ』


 周囲から絶賛された聖女に抱いた素朴な感情が次第に大きくなり、自身の手に追えないところにまで来てレムレスはルベリアへの恋心を自覚しないではいられなかった。一度、ルベリアと話す機会があった際にレムレスは聖女に想いを伝えることができるか尋ねたことがあった。


『ルベリア、もし君に求婚をする男がいたらどうする?』

『私は聖女です。皆を愛し、皆から愛されないといけません。ただ1人だけを愛する、というのは私には許されていないのです』


 ルベリアは無邪気に答えた。ルベリア本人はただの雑談としか捉えず、すぐに忘れるような何気ない話であった。しかし、レムレスにとっては目の前の少女から激しく拒絶されたように感じた。全身を引き裂かれたような衝撃を受けたレムレスは、妃候補の選定すら拒否し続けた。


 どうすればルベリアを聖女の座から引きずり下ろせるのか。


 素朴な感情はやがて歪んだ愛憎に代わり、更に大国からの侵略の影に暗い決断を続けたレムレスはいつしか聖女を排斥しようと思い描いていた。


*** 


 竜に飲まれたはずのレムレスは、全身を再び魔封じの鎖で縛り上げられていることに気がついた。


「一体何が……!」


 うつ伏せに押さえつけられ、背中の皮を何かで剥がされている。周囲の様子はわからないが、どこか暗い地下室のような場所に監禁されているようだった。


(一体ここは何なんだ、何が起こっているんだ!?)


 未だにレムレスは事態を把握できずにいた。確かに大聖堂で戴冠式を執り行っていたはずだった。そこに死んだはずのルベリアが竜と共に現れ、気がつけば縛り上げられてずっと酷い目に合わされ続けている。


『いい気味だ。少しは己の罪を悔いたか?』


 どこかで聞いた声が頭の中に響き渡る。


『カミサマも言ってるだろ、全ての者に慈悲と友愛をって。なんだろうね、慈悲って』


 全身の皮を剥がされる痛みに耐えきれず、レムレスは絶叫する。そのうち声がうるさいと口から薬品を無理矢理流し込まれ、声すら出せなくなる。


(貴様は……何なんだ)


 頭の中に広がる声にレムレスは問いかける。


『ボク? ボクは君が傷つけた竜だよ。もうボクの本体はキミの大好きなルベリアを抱いてどこかに逃げて行ったはず。安心していいよ、ボクがルベリアを一生守るから』


 ようやくレムレスは、一連の出来事が竜によってもたらされたものだと理解した。


(ひとつだけ教えてくれ。ルベリアは、まだ自分を聖女だと思っているのか?)


 レムレスは竜がルベリアと一緒に現れたことを思い出し、少しでもルベリアについて尋ねておきたいと思った。


『何を言っているんだ、聖女を殺したのはキミじゃないか』


 この後に及んでルベリアを心配している自分にレムレスは苦笑した。そして、断続的に襲いかかる苦痛は全てルベリアを傷つけた自身に跳ね返ってきたものだと理解できた。絶え間なく続く苦痛の中で、レムレスはルベリアが今後竜に守られるだろうことを知り、ルベリアがロメール国教会から解放されたことをどこかで喜んでいた。


***


 呪返しを受けたレムレスは、日に数度正気に戻ることを許された。しかしその間も痛覚は変わらず、全身の皮を剥がされる痛みが継続していた。常に付きまとう苦痛に耐えきれず死を願うが、すぐに意識があの冷たい鎖の部屋に戻される。


「頼む、助けてくれ……嫌だ、やめてくれ……」


 絶え間なく苦痛に苛まれるレムレスを救おうと国教会の司祭たちも躍起になったが、とうとう解呪を行うことはできなかった。常に呻いているレムレスに下された処置は、城の地下牢に幽閉されることであった。


「いっそ殺してくれ。頼む、お願いだから……」


 幻覚か妄想か、レムレスの視界の隅にはいつも聖法衣を着たルベリアがいた。いつしかレムレスはルベリアに縋り付いて祈るようになった。


「ああ神よ、この哀れな御霊をどうかお導きください……」


 祈りの時間だけは苦痛から逃れられる気がした。それでも再び鎖の部屋に連れ戻され、全身を切り刻まれていく。最後には目を潰され、全身をずたずたに引き裂かれて土の上に置き去りにされる。レムレスに助けは来ない。目が開くと待っているのは、大聖堂で罪人に仕立て上げられ全身を焼かれる刑罰だった。そしてまた鎖の部屋が待っている。


「全ての者に慈悲と友愛を……ロメールの神よ、この哀れな御霊に慈悲を……」


 北竜のキラが拘束されていた時間と同じだけ呪返しを受けたレムレスは、それから余生を地下牢で静かに神に祈りを捧げながら送ることになった。次期皇帝としての器ではなくなったレムレスを哀れむ者はなく、抵抗する術のないロメール国はラファーガ国の属国となった。ロメール国教会もラファーガ国の配下となり、解体された。


 神の代わりにこれからはラファーガの皇帝を崇めるよう国民に通達が走り、ロメール国は実質上消滅した。かつて聖女と聖法衣を崇めていた人々は気高かった聖女を懐かしく思った。竜と共に消えたという聖女を人々はやはり竜に食われたのだと言い、ラファーガの皇国会館に建て替えられた大聖堂を見て深くため息をつく他なかった。


「誰か、ラファーガに伝えてくれ。竜を切り刻むのはやめろ。あいつらは、人間が好きに出来る代物じゃない。頼む、誰か……」


 既に廃人として幽閉されているレムレスの言葉を聞く者はなかった。


「ルベリア……君ならわかるだろう? 権威という名の牢獄に繋がれて、身体を削がれる痛みを。君だけが、僕の希望だ。頼む、君なら止められる。君だけが、僕の……」


 祈りの言葉を終える前に、レムレスの意識は鎖に繋がれて幾度目かの無限の苦痛へ引きずり下ろされていった。


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