第2話 呪返し

 大聖堂で巨大な竜と対峙し、レムレスは全身を硬直させていた。


「まさかお前が皇太子だったなんてね」


 竜に睨まれ、レムレスは祭壇で巨大な竜にひと飲みにされたはずのルベリアを思い出した。何故彼女が生きているのかは図りかねたが、レムレスは目の前の竜から強く恨まれていることだけは理解できた。竜が少女の姿になって近づいてきても、レムレスはその場から動くことができなかった。


「ボクはお前を罰さない。己の罪に罰を受けな」


 少女の言葉が聞こえた瞬間、鋭い憎悪がレムレスの中を駆け抜けた。何者かに押さえつけられて、全身をバラバラにされるような強い痛みが断続的に襲いかかる。


(何だ、何が起こっているんだ!?)


 必死で何者かの正体を探ろうとするが、眼球に何かを突き立てられる。たまらず悲鳴を上げるが、拘束も痛みも収まらない。


「誰か、誰か助けてくれ!」


 叫んでもがけばもがくほど、全身に何かが突き立てられる。足を貫かれ、耳をそぎ落とされ、それでも何かは止まらない。


『いや、まだ生ぬるいな』


 聞いたことのある声が聞こえた気がした。竜が最後に呟いた「己の罪に罰を受けな」という言葉が思い出された。


(それじゃあ、この状況は……)


 レムレスがそれに思い当たった瞬間、苦痛が一時止んだ。急いで周囲を見渡すと、そこは大聖堂の真ん中だった。安堵したのも束の間、レムレスは自身が鎖できつく戒められていることに気がついた。着ている服も戴冠式での正装から、罪人の服に変わっていた。


「皇太子レムレス・ロメール。貴様を追放処分とする」


 響き渡るセイサムの声に、レムレスは声を荒げた。


「待て、これは一体何の茶番だ!? 戴冠式はどうなったんだ!? 竜と聖女は追い払ったのか!? 聖騎士たちは何をやってるんだ!?」


 まくし立てているうちに、レムレスは周囲から冷ややかな視線を浴びていることに気がついた。


『一体何をやってるんだろうね』

『ロメールの恥さらしだ』

『今までいい気になっていた罰だよ』


「何を言っているんだ!? 私はこれから新皇帝としてロメールを背負って行くんだぞ!? この国を守るために、好きでもない女と結婚して!! 飲みたくもない条約を結ぶんだぞ!! それもこれもロメール国教会を守るためだろう!! わかってるのか!!」


 必死で胸の内を叫ぶが、聴衆もセイサムもレムレスの言葉に耳を傾けようともしなかった。


「しかし裁判長様、追放処分はあまりにもお可哀想です」


 絶望したレムレスの耳に、聞き馴染んだ声が聞こえてきた。


「かつての皇太子ですよ。一応この国のことも考えていたようですし、生き恥を抱えて生きていくなんて、私には惨くて出来ることではございません」


 目の前にいたのはかつての聖女であるルベリア・ルナールだった。白金色の長い髪に澄んだ青い瞳、そして聖女の証である金色の聖法衣を纏った彼女はレムレスの前で微笑んだ。


「それなら聖女様はどのような処分が妥当かと?」

「生贄刑が相応しいですね。ついでに神への祈る時間も充分にするために晒し刑も加えましょうか」


 ルベリアの声に大聖堂の聴衆は歓喜した。目の前で繰り広げられる悪夢のようなやりとりに、レムレスは抗議の声をあげた。


「待て、そもそも何故僕が裁かれなければならないのだ!? 裁かれたのはルベリア、貴様だろう!?」

「何を仰っているのですか、殿下」


 ルベリアは微笑んだままだった。それはレムレスのよく知っている、朝日のような聖女の笑みだった。


「全てご自分のしたことですよ」


 ルベリアは笑みを張り付かせたまま、大聖堂に声を響かせる。


「さあ聖騎士、この哀れな男を広場へ連れて行きなさい。皆さん、彼のために祈りましょう」


 無表情の聖騎士がレムレスに近づいてきた。レムレスはこの後、自身がルベリアにした仕打ちを思い出して血の気が引いていくような気分に陥った。レムレスは聖騎士によって鎖を引かれる前に被告席から立ち上がると、ルベリアに縋った。


「待ってくれルベリア! 僕は、本当は、本当に君のことが……」

「何のことでしょう?」


 ルベリアの足元に跪き、レムレスは自身の思いをぶつける。


「君への気持ちに偽りはなかった! だけど、君は絶対僕のものにはならない! だから、だから……」

「だから、何なのです?」


 ルベリアの表情は変わらない。レムレスは聖騎士によって惨めに引きずられ、大聖堂から一気に街の広場へ連れ出された。そこにあったのは生贄の祭壇であった。


「待ってくれルベリア! 話せば、話せばわかる話だ、僕は君と国を天秤にかけるしかなかったんだ!!」

「あらあら、今更命乞いですか? 国民のためにご立派に命を捧げると思っていたのに」


 目の前のルベリアは、微笑んだまま供物の焼印を握りしめていた。


「手に入らないからって、愛した女を目の前で殺したんでしょう?」


 ルベリアの顔には相変わらず笑顔が張り付いていた。


「違う、僕は君に、聖女でいてほしくなかったんだ……誰からも愛される代わりに誰も深く愛せないなんて、そんなの惨すぎるだろう? だから、だから……」

「何を仰っているのかしら。愛しているからという理由で、罪なき者を痛めつけることが正しいことではないことくらい、ご存じでしょう?」


 死刑執行人がレムレスを取り押さえる。レムレスは必死でルベリアに対する想いを叫んだ。


「でも君は! 僕がどれだけ正直に想いをぶつけても理解するつもりすらなかっただろう! それなら君が聖女の役目を放り投げさせることしか僕には思いつかなかった! 君が泣いて命乞いをすれば、僕は君を永遠に僕だけのものにするつもりだった!」


 レムレスは、聖女であるルベリアを手に入れるためにわざと惨い仕打ちを与えたことを悔やんだ。


「わかるだろう、ルベリア・ルナール……神に祈っても、僕の気持ちは絶対報われないどころか虚しくなるだけなんだよ……何が悲しくて絶対叶わない想いを諦め続けなければならないんだ。身分違い? 教義の違い? そんなものじゃない、もっと深くて冷たい断絶だよ。神の名の下に全てを受け入れ、全てを拒む。それがルベリア・ルナールだったんじゃないか?」


 レムレスの絞り出すような告白に、ルベリアは表情を変えなかった。


「だから、何なのです?」


 ルベリアは迷わずレムレスの全身に焼き印を押しつける。


「許してくれ、ルベリア。僕が悪かった」


 レムレスの視界が涙で滲む。肌を焼かれる苦痛にルベリアも苛まれたのかと思うと、己の残忍さが改めて身に染みた。


「許すのは私ではありません。もうじき来ますよ」


 焼かれた全身に鎖を巻き付けられ、叫ぶ気力もなくなったレムレスは祭壇に吊された。それまでいた観衆の姿や執行人、そしてルベリアの姿はなく、レムレスはしばらく孤独に揺れていた。


「何故、何故こんなことになったんだ? ただルベリアと一緒になりたかっただけなのに……」


 それから現れた竜は、オレンジ色の体色に紫の翼と瞳を持った巨大な竜だった。


「お前は……」


 竜は有無を言わさず、レムレスをひと飲みにした。

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