第3話 逃走
ルベリアの過剰な回復魔法により、ティアは大人の身体を手に入れることができた。大聖堂の中で巨大な体躯を見せたティアは、レムレスを見下ろした。
「あ、ああ……」
オレンジ色の竜と目が合ったレムレスは何とか逃げようとしたが、竜に見つめられた途端に身動きが一切取れなくなった。ルベリアの回復魔法で一時的に動けなくなった身体は元に戻っていたが、竜から放たれる強い感情にレムレスは気圧されていた。
「久しぶりだね、覚えているよ。まさかお前が皇太子だったなんてね」
ティアはレムレスに顔を近づける。今にもひとのみにされそうな巨大な顎がレムレスの前に迫ってくる。短く悲鳴をあげたレムレスの前に、ティアは少女の姿で降り立った。聖騎士たちも圧倒的な魔力を感じ、少女になったティアを前にただ固まることしかできなかった。
「リーベ、こいつだよ。ボクを小さくなるまで傷つけたのは」
ルベリアはただ悲しそうな顔をした。
「ティア……あなたは一体何をするの?」
「別にボクは何もしないさ。ちょっと気の毒な目に合ってもらうだけ」
少女の姿のティアは言葉を失っているレムレスの前に手を翳すと、何度か指を回す。
「ボクはお前を罰さない。己の罪に罰を受けな」
ティアが手を引っ込めると同時に、レムレスはその場に倒れ伏した。
「陛下!」
何とか聖騎士がレムレスの元へ駆けつけると同時に、鋭い悲鳴が大聖堂に響き渡った。
「やめろ! 放せ!! やめろやめろやめろおおおおおお!!」
床の上で急にレムレスが目を押さえ、のたうち回り始めた。聖騎士が暴れるレムレスを押さえるが、我を失ったレムレスは叫び続けた。
「やめろ、やめろやめろやめろやめろ!!」
苦痛に顔を歪めるレムレスをルベリアは見て、思わず駆け寄ろうとしたのをティアは止めた。
「あいつは今、自分がしてきたことを体験しているんだ。今はボクを切り刻んだ罪。そしてキミを吊した罪。ついでにボクが受けてきた苦しみも体験してもらおうと思うんだ。どうせこれからやろうとしていたことだ、身をもってその愚かさを知ってもらいたくてね」
次にティアは、強大な魔力を得た竜に震える聖騎士たちに顔を向けた。
「安心してよ、別に殺そうってわけじゃない。彼は絶対に死なないよ、ボクが苦しんだ期間と同じくらいで許してあげる。それまでずっとこのまま、だけどね……そうだ、ラファーガの皇女とかいう奴に言っておいてよ。すぐに北竜たちを解放しろ、これはキミたちが仕掛けた戦争だろうって」
既にラファーガの皇女は避難した後であった。ティアはこの国の行く末がどうなろうと知ったことではなかったが、家族が囚われているかもしれないラファーガ国に対しては強い敵意を持っていた。
「さあリーベ。もうここに用はないだろう? 行くよ」
ティアはルベリアに手を差し出す。ルベリアは心配そうにレムレスを見つめていた。
「どうしたの? その男に未練でもあるの!?」
「いいえ、ただこれだけは言っておかなければと思って」
ルベリアは苦痛に耐えきれず叫び続けるレムレスの元へ歩み寄り、跪くとレムレスの手をとった。
「神の御前には皆が平等です。あなたに慈悲と友愛、そして幸いが訪れますように」
ルベリアは顔を上げると、呆気にとられている聖騎士に向かって呟いた。
「神のご加護がありますように」
聖騎士たちは咄嗟に跪き、ルベリアに縋った。
「せ、聖女様! 我々を、我々をお救いください!」
「ロメールは、これからどうなってしまうのですか!!」
ルベリアは聖騎士に向かって微笑んだ。
「標を探しなさい。暗闇に沈んだ国に再び光を灯すために。全ての者に慈悲と友愛を」
その佇まいを見て、聖騎士たちは聖女ルベリア・ルナールが永遠に失われたことを悟った。
「さあティア、行きましょう。聖女ごっこはもうおしまい」
竜の姿に戻ったティアは、ルベリアを抱ける大きさになった。ティアの腕の中に収まったルベリアは、その腕にしっかりと掴まる。
「じゃあ行くよ、リーベ」
ティアは魔力を用いて大聖堂の天井を破壊した。穴の空いた天井から、ティアはルベリアを抱いて脱出した。
***
晴れ渡る空の下、ルベリアはティアの腕の中で青空を見つめていた。
「ねえリーベ、すごいよ! ボクこんなに大きくなったんだ!」
大きさこそ変えなかったが、満ちあふれる魔力の違いでルベリアはティアの身体が完全に癒やされたことを実感した。
「すごいわティア。それにしても、さっきの魔法は何?」
ルベリアはティアがレムレスに仕掛けた魔法について尋ねる。
「あれは『呪返し』だ。普通『呪』っていうのは、その人の中にある魔力を元に練り込んでいろんなものを見せるんだけど、ボクとリーベの魔力をアイツの中に送り込むことでアイツはずっとボクらの体験したことを見続けるんだ。昨日の君の魔力も一緒に織り込んだから、今頃幻覚の中で君が受けた辱めをアイツも受けているのさ」
「そうなの……」
ルベリアはその残酷な仕打ちに胸を痛める一方で、同時に胸がすくような思いもあった。
「リーベは気にしなくていいよ、それもこれもみんな神様の思し召し、って奴でしょ?」
レムレスのことを気にしているルベリアを気遣い、ティアは話を変えた。
「それにしてもこの聖法衣ってすごいね、どれだけ飛んでも疲れないや」
聖法衣は身につけている者の他に、聖法衣によって加護を受けたものにも魔力の恩恵が与えられていた。先ほどの魔力の流入により、ティアにも聖法衣の力が宿っていた。
「飛ぶと疲れるの?」
「そりゃ魔力をたくさん使うもの。大きくなりたかったらたくさん飛びなさいってよく言われたよ」
ティアの話によると、竜が大きくなるには年齢の他に魔力の消費量も関係するとのことだった。魔力の器を作るためになるべく消費した方がよいという考え方で、それはルベリアの聖女の修行にも一貫して言えた。
「これなら大竜様の病気もきっとよくなるよ。さて、なるべく急いで帰ろうか」
それからティアとルベリアは西竜の里とは反対の方へ一度飛び、里の場所を悟られないよう関係の無い場所に降り立つことを何度か繰り返した。日が落ちてきた頃を見計らって、ティアはそっと西竜の里を目指して飛んだ。
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