第4話 自分の姿

 北竜のキラは、ルベリアからティアの名前をもらった日の話を終えて今の自身の身体を見下ろした。


「あとは……そうだね、この姿の話をするよ。どうしてボクが女の子の姿になんかなってるのかってことだよね?」


 ティアは自分のオレンジ色の髪を掴んでみせる。


「正直に言うと、初めてこの姿になったときは焦ってたんだ。コキとキミを助けて一度地面に降りて、コキに人間になるように言われたんだ。そりゃそうだよね、竜に食べられたばかりのキミが竜の姿を見たらどう思うか考えたらそうするのが一番だから」


「でも、何しろ人間に変身するなんてもうずっとやってないし、それに今のボクが竜の姿ですらどうなってるのかよくわからなかった。竜は自分の年齢と性別で人間ならこのくらい、って思って変身するんだけど、ボクはまず自分がわからない。自分を知るのも怖かったし、何よりキミに嫌われることが一番怖かった」


「それで、人間にならなきゃ人間にならなきゃって焦っているうちにキミのことばかり考えていて、それで気がついたらこの姿になってた。これなら絶対リーベは可愛いって言ってくれるって思うとボクは嬉しくてさ、しばらくこの姿でいようって思ったんだ」


 北竜のキラが少女の姿をしている理由を聞き、ルベリアの心は更に揺さぶられた。


「それじゃあ、その姿でないあなたもいるということなの?」


 ルベリアは、北竜のキラの実際の年齢は竜で言うとルベリアと同じくらいだと言っていたのを思い出した。更に彼が男性と言うことで、目の前の少女と彼の内面がとてつもなく乖離していることを心配した。


「わからない。多分、ボクがちゃんと人間に変身するためにはボク自身をしっかり認識しないといけないんだけど、ボクと向き合うこと全部が怖い」


「コキから聞いたんだ、北竜の里は壊滅したって。もうボクの帰る場所もないし、家族は無事でいるのかさえわからない。それに、ボクは年齢だけなら多分200歳くらいだ。普通なら立派な大人の竜になっているはずなのに、ボクの心は全然大人じゃない。それどころか今にも泣き出したいくらい辛くて辛くてたまらない。すごく弱虫なんだ」


「年齢だけなら大人なのに中身は子供だし、それどころかボクは命の恩人を殺そうとしていた。本当に化け物みたいに醜い心の持ち主なんだ。自分の心の在り方もよくわからないし、女の子の姿をしていろんなものを誤魔化してきた」


「ボクが何もわからない子供だったらどんなによかったのに、何もかも忘れてこのままキミと一緒にいれればいいのにって、そんな逃げるようなことばかり考えてた。そんなどうしようもない奴なんだよ」


 ルベリアは目の前の少女が一応大人の男性であるということで、ずっと気になっていた言葉の真意を尋ねることにした。


「それで、お嫁さんになってっていうのは?」


 ルベリアに尋ねられ、少女は顔を赤くした。


「ごめん。きっと本当はもっと順序を踏んだ大人らしい言い方があったんだと思う。でもあの時、本当にボクの本心から出た言葉が『お嫁さん』だったんだ。ボクが守っていかなきゃいけない大事なもの。それがキミなんだ」


「だから、キミがボクのせいで殺されるってわかったときにどうして自分は何も出来ないのかって苦しかった。結局キミを助けたのはコキだし、ボクはただ何も出来ずにおろおろしていただけだった」


「凶兆といえばそうなのかもしれない。ボクに関わったせいでリーベも、西竜たちも、ロメールの人もみんな不幸になってるんだ。苦しんでいるキミを、救ってあげられなかった。ボクは、キミにこんなに助けられたって言うのに!」


 話せる全てを話し終えたのか、少女は泣き崩れる。ルベリアは声を上げて泣く少女の背中をゆっくりさすり続ける。


「大丈夫、大丈夫よ」


 ゆっくりとルベリアは少女を撫で続ける。虐げられた悲しみと憎しみ、自分を嫌悪する苦しみに加えて少女からはルベリアに対する純粋な思慕が溢れていた。


「あなたが私を救えなかったって? そんなことないわ、あなたは私をたくさん助けてくれた」

「え!? 一体いつ、ボクがキミを助けたって言うんだよ!?」


 泣きはらした瞳で少女はルベリアを見上げる。ルベリアは少女に優しく語りかける。


「私、魔封じの鎖で縛られているときずっとあなたのこと考えていた。あなたが生きることを諦めなかったように、私も最後まで諦めちゃだめだって、あなたのことを思い出して殺される恐怖と戦っていた」


「私も本当は逃げ出したかったし、叫んで命乞いもしたかった。でも、聖女としての誇りをあなたにもらっていた。あなたがいたから、私は聖女として処刑されたの。もしあなたがいなければ、もっとみっともない醜態を晒していたかも知れないわ」


「いいえ、もしあなたに出会わなければ私はここにいない。きっと聖女としてぼんやりとした慈悲と友愛に囲まれて、それはそれで幸せだったのかも知れないけれど、こんなに心が温かくなることもなかったと思う」


 ルベリアも目の前の少女と同様、この傷ついた竜を愛しく思っていた。『慈悲と友愛』と常に言っていたが、ルベリア自身は特定の誰かにこの言葉を向けることはなかった。そもそも、聖女が特定の何かを愛することはできないと思っていた。聖女は皆の者であり、皆は等しく聖女を愛する者だと先代からよく言い聞かせられていた。


 聖法衣に傷ついた竜を入れて抱きながら、これが子を持つ母の気持ちかもしれないとルベリアはぼんやりと考えていた。夜中でも泣き声を上げれば赤子のために世話をする母親という偉大な存在を思い、ルベリアは目の前の竜の幸せだけを願い続けた。


 そして今、目の前の身体だけでなく心も在り方も全てを傷つけられた竜にルベリアは強い感情を抱いていた。


「だから私、あなたに感謝している。あなたに出会えて、私の人生は変わった。何の疑問もなく聖女として生きているより、あなたとこうしてわかり合えるほうが私には何倍も嬉しいことのように感じるの」


 ルベリアは真っ直ぐ目の前の少女のティア――北竜のキラを見つめた。


「だから……お嫁さんの件は、私の聖女としての誇りを取り戻してからもう一度ゆっくり考えてもいいかしら?」


 ルベリアは目の前の竜とこれからの話をするためには、2人の出発点である聖法衣が必要だと思った。それに少女は強く頷いた。


「いいよ。ボクはいつまでもキミの返事を待ってるから」

「もし私が返事をしなければ?」

「どうしようかな、わかんない」

「そうね、困ってしまうわね」


 2人は顔を見合わせる。そしてどちらともなく、自然と笑みが漏れる。


「ふふ」

「ふふふ」


 ようやく顔をあげたティアの顔は月光の中で晴れ晴れとしていた。

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