《第7章 聖女と竜》
第1話 月明かりの下で
ルベリアとティアは国教会院を出ると、明日の戴冠式までの間身を隠す場所を探した。街はどこも戴冠式の前夜祭で賑わっていたため、2人は大聖堂の近くの茂みに隠れて夜を明かすことを決めた。
「ああ、いい気味だったね」
人影のない場所に落ち着き、ティアはルベリアに抱きついた。
「でも少し可哀想なことをしたわ」
ルベリアは、自分でもセイサムに制裁を加えようと思ったことが不思議で仕方なかった。以前のルベリアであれば、どんな理由があろうとも他人を傷つけるという行為を選択することなどあり得なかった。
「悪しき心というのは不思議なものね。とても冷たいはずなのに、私を捕らえて放さない」
ルベリアは、祭壇に吊されて全てを憎もうとしたことを忘れることができなかった。人を憎むことはよくないと思っているが、それでもセイサムの顔にティアが熱い炭を押し当てた瞬間胸の内が軽くなったのをルベリアは恥じていた。
「そんなことないよ、リーベはとっても優しいよ。ボクなら全身を引きちぎってやってるところだ」
「まあティア、あなたは相変わらず乱暴ね」
「リーベが優しいんだよ」
ティアはルベリアの頬を撫でる。
「それに、あれを『少し』っていうリーベも随分ひどいね」
「ふふ、本当ね」
2人はしばらく顔を見合わせて笑っていたが、今後のことを考えてため息をついた。聖法衣は、レムレスと共に密堂で司祭たちと共に夜通し祈りを捧げられているようだった。
「流石の私も、密堂には簡単に入れないわ」
国教会院の奥に位置する密堂は、非公開の神事を行う場所だった。聖法衣の周辺にはレムレスだけでなく、多くの司祭や聖騎士たちが共に祈りを捧げているはずだった。そこへ乗り込んで聖法衣だけを奪うのは無謀に思えた。
「それならどうするの?」
不安げなティアに、ルベリアは決心して呟く。
「次に聖法衣が確実に出てくる時を狙うの。そう、戴冠式の時ね」
「あいつが着てくるのか……!」
ティアは自身を救った聖法衣がルベリアを殺そうとした男が着てくると思うと、背中に悪寒が走るようだった。
「そこを引っぺがすしかないわ」
ルベリアらしからぬ発言に、ティアは吹き出す。
「あ、リーベも乱暴だ!」
「いいのよ。私を殺そうとした人なんだもの」
ルベリアはレムレスの顔を思い浮かべる。一瞬でも「この人と人生を共にしたらどうなるか」と考えたこともおぞましかった。
「そうだ、リーベ。アイツが言ってた新教皇ってどういうこと?」
ルベリアはティアに説明する。
「もともと、聖女は本当に国教会の象徴、お飾りでしかなかったの。建国当時は教会と国内の運営は教皇の手に全てあったわ。でも12代目の教皇が不祥事を起こして、教皇は破門の上失脚。その後、教会の運営は実質聖女が担うことになったの。それから国内を治める皇帝と聖女の二大権力が誕生した、という話よ」
「その破門された教皇は一体何をやったの?」
「ロメール国教会の恥よ。ただとても破廉恥なことがあったとだけ、あなたには伝えておくわ」
ティアは12代教皇についても気になったが、先に話を進めるルベリアに尋ねるまではいかなかった。
「ロメール国教会の是は慈悲と友愛。その象徴が聖女であり、聖法衣であったの。だからロメールは基本的に戦力を持たず、護衛の騎士は聖職者が基本的に務めることになっていた。もしラファーガと関係を結びたいのであれば、真っ先に邪魔になるのが私よ」
ティアもレムレスがルベリアを排斥したい理由に合点が行った。
「でも、なんでわざわざ生贄刑なんてものを選んだの?」
「それはおそらく……竜の存在を確かめたいからね」
ルベリアは、自身の生贄刑は今後行われるであろう西竜の捜索における第一段階であったと想定していた。
「でもわざわざ生贄刑なんかにしなくても、竜の召喚魔法は使えるんじゃないの?」
「召喚魔法は案外大がかりなのよ。何日もかけてたくさんの魔力を必要とするの。極秘で行うより、何かと口実を付けて協力をとりつけたほうが楽だったんじゃないかしら」
それにしても晒し刑の追加や過剰な焼印について、ルベリアは納得していなかった。
「本当に私、いらない聖女だったんだってわかった。セイサムの言うとおり、私はただのお飾り。そのくせ、その権力に無自覚な甘えた女の子だった」
ルベリアはロメールに戻ってから、姿を変えたとしても民衆や聖騎士の誰かが気付いてくれることを期待していた。しかし、ルベリアの名を呼んだのはしっかり顔を見せたセイサムだけだった。皆ルベリアが死亡していると思っているために仕方ないと思っていたが、それでも今まで生きてきたことを否定されているようで胸が苦しかった。
ティアは落ち込んでいるルベリアを何とか元気づけようとした。
「ねえリーベ。月が綺麗だよ」
「本当ね、ティア」
2人は一緒に空を見上げる。月明かりは誰の上にも平等に降り注いでいる。
「ティアは怖くないの? 私たち、明日死ぬかもしれないのに」
戴冠式で聖法衣を取り戻すことに失敗すれば、処刑されたはずの聖女と凶兆である竜はその場で殺されてもおかしくなかった。
「ううん、もう何も怖くないんだ。リーベと一緒なら、なんでもいい」
ティアはますますルベリアにしがみつく。
「でも出来れば死にたくないわ。絶対生きて帰らなきゃ」
「そうだね、ボクも生きて帰ったらリーベに言わなきゃいけないことがあるし」
ルベリアは、先ほどからティアが自分のことについて賢明に話そうとしていることに気がついていた。ティアの髪に触れ、ルベリアはこの少女の話を聞くなら今が適していると考えた。
「そういうことはすぐに言った方がいいわ」
ルベリアに促され、ティアは下を向いた。
かつてルベリアは先代と罪人の懺悔に立ち会ったことがあった。真剣に罪と向き合っている者は、皆一様に自身の言葉に怯えていた。それでも赦しを求めて、勇気を持って罪と向き合っていた。ティアの面持ちがその罪人たちと重なり、ルベリアは心臓を握りつぶされるような焦燥に襲われた。
「そうかな。じゃあ聞いてもらおうかな、でもその前に……」
長い沈黙の後、ティアはルベリアに向き直る。
「ボクはリーベが大好きだ。だからこんな話をしたらどう思われるか心配で……」
「わかっているわ。嫌いになんかならないから、安心して」
ルベリアはティアの手を握る。その手は白く震えていた。
「それじゃあ、話をするね」
ティアはようやく話し始めた。
「まずはボクのこと。そして、キミがボクを拾ってくれた時の話」
ルベリアはコキから断片的に聞かされたティアの話を思い出す。何十年も捕らえられ、身体を削られて魔力を搾取されて死ぬ寸前まで傷つけられただろうティアの語ることがルベリアには恐ろしく、しかし避けがたい痛みであることを確信していた。
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