第2話 呼び名
生贄の儀式で大怪我を負ったルベリアは、竜のコキに連れられて西竜の住まう土地、アルコーの里へ連れてこられた。
「どうかしばらく、ゆっくり安静に過ごされてください」
里に着いてようやく魔封じの手錠から解放され、ルベリアは全身の傷の大まかな処置を受けた。供物の焼印は痛々しくルベリアの身体を覆い、きつく戒められた鎖の跡はところどころ白い肌を血で滲ませていた。更に長時間の魔封じでルベリアの魔力が底を突いていることもルベリアを苦しませていた。
ルベリアに与えられた白い服は竜衣と呼ばれ、竜が人の姿に変化するときに生成するものであるため魔力の回復の助けになるだろうとコキは語っていた。
「何故私を助けるのですか……?」
「まず、貴女は同胞を助けてくださいました。その恩に報いるのではいけませんか?」
人の姿になったコキは手際よくルベリアに包帯を巻いていく。
「それに、貴女には是非お話しなければならないことがあります。しかし少々込み入った話になりますので、まずはしっかり身体を戻されてからにしましょう」
竜衣を着せられて寝台に寝かされたルベリアは、ようやく魔力の回復を感じていた。まずはゆっくり休むように、とコキはルベリアの前から姿を消した。
「この寝台は、私のために用意したのかしら……?」
ルベリアはきょろきょろと辺りを見渡した。竜の住まう土地ということで人間の世界とかなり勝手が違うようであった。
「ねえ、ルベリア!」
コキと入れ替わりで現れたのは、少女の姿をしたティアであった。
「ねえ、痛いところはない? ボクも少しなら回復魔法が使えるようになったから、痛いところがあったら遠慮なく言ってね!」
「ありがとうティア……」
ルベリアは改めてティアを眺める。体色と同じオレンジ色の長い髪に紫色の瞳。そしてティアの目印でもある左目の下の鱗は泣きぼくろになっていた。
「あのさ、ルベリア。あのね……」
ティアは急に下を向いて、もじもじとスカーフを弄り始めた。
「どうしたの?」
「あのね、ボク、ずっとルベリアって呼びにくいなーって、思ってたんだ」
ティアは満面の笑みでルベリアを見つめる。
「だから、ルベリアのこと、可愛いからリーベって呼んでいい?」
ルベリアはこの少女の急な申し出に戸惑った。
「別にいいけれども、どうして?」
「え、さっき言ったじゃん、ルベリアよりもリーベってほうが可愛いし」
ルベリアは今までそんなことを考えたこともなかった。
「そうかしら……?」
そもそもルベリアは名前で呼ばれることが少なかった。ルベリアを名前で呼ぶのは亡くなった先代とたまに顔を合わせる両親くらいで、あとは全員が『聖女様』であった。もちろん友達らしい友達もいたことがなく、ルベリアは親しげに呼ばれたという経験がほとんどなかった。
「すごく可愛いよ! リーベ!」
ティアに何度も呼ばれ、ルベリアは少し恥ずかしくなった。
「ふふ、ボクずっとリーベに回復魔法かけてもらっていたからね。今度はボクがリーベを助ける番なんだ」
ティアはルベリアに覆い被さると、全身で魔力をルベリアに分け与える。
「あのリーベの着ていた服、すごく温かかったよ。」
「聖法衣のことね、あれは国教会に伝わる特別な服なの」
ルベリアはティアに聖法衣について語って聞かせる。その昔、尽きることのない魔力を求めて研究を重ねていた学者が完成させたとされるその法衣は、使用する者に絶大な魔力を授けるとされた。その後聖法衣の開発者は謎の死を遂げ、聖法衣の作成方法は闇に包まれた。一点だけ残されたその聖法衣の管理が代々の聖女の責務であり、聖女の象徴とされるようになった。
「それじゃあ、聖法衣を着れるのは聖女だけなんだ。すごいな、リーベって」
ティアは聖法衣に包まれていた時を思い出す。その法衣から溢れる温かな魔力に心まで溶けそうになったことを思い出す。
「そんなことないわ、結局は服だから誰でも着ることができるの。でも聖法衣の力を使いこなすことができるのは、代々聖女として訓練したものだけよ」
「聖女にも訓練なんてあるんだね。どんなことをするの?」
ルベリアは聖女についての話を始める。
「大したことはしないわ、普通に魔力を使うお勉強と一緒よ。だけど、普通とちょっと違うところはあるかもね」
「例えば?」
「聖女たるもの、常に魔力を使い続けるべしってずっと魔力の放出をし続けたり、逆に魔力を一切使わないで過ごしたりするの。一切使わないのも難しいのよ」
「へぇ、いろんなことをするんだね」
それから、ルベリアは聖女の修行の話をティアに聞かせた。特に回復魔法についてはたくさん修行をして、わざと刃物で腕を切って自分で癒やす訓練などもあったと聞いてティアは震え上がった。
「リーベ、そんなことをしてまで聖女ってやりたいものなの?」
「私はね、そうなるものってずっと思っていたから何とも思わなかったの」
ティアはルベリアの顔を覗き込む。その顔を見て傷ついたティアを思い出し、ルベリアは心配になった。
「でもティア、あなたもそんなに魔力を使ったら疲れてしまうわ」
「いいの、今度はボクがリーベの聖法衣になるんだから」
ティアは更にルベリアに回復魔法を授ける。
「まあ、頼もしいわ」
「へへへ」
ルベリアはティアから注がれる温かい魔力に傷の痛みを忘れた。少女の姿のティアに手を伸ばすと、ティアはルベリアの手を握り返してくる。
「ねえティア……あなたは何故怪我をしていたの?」
ルベリアが尋ねると、ティアは話の矛先を変えた。
「そうだ、リーベはお腹すかない? 人間は食べ物が必要なんだよね!」
「そう言えば、あなたは何も食べなかったわね」
先ほどまで蕩けそうな笑顔だったティアの顔に緊張が走っていた。
「竜はね、食べ物がなくても魔力さえあればいいんだ。何かを食べて楽しむことはあるけど、基本的にいらないんだ」
「そうなの……」
「とにかく、お水とか必要だよね! 急いで持ってくるよ!」
そう言うとティアはルベリアの前から元気よく走り去った。ルベリアはあのティアがここまで元気になったことを嬉しく思う反面、『何故大聖堂の裏道にいたのか』という問いかけには答えず、逃げるようにいなくなってしまったことが気になった。
「ティア……私に何か、隠していることがあるのね……」
ルベリアはコキからも後で大事な話があると言われていたことを思い出した。
「私、やっぱり世の中のことをよく知らなかった。これじゃ聖女失格よ。レムレスの言うとおり、私は頑固で周りを見ない愚かな女だったのかもね」
そう呟いて、もう聖女ではない身の上を思い出す。聖女ルベリア・ルナールは確かに死んだのであった。それなら自分は何になればいいのかとルベリアは寝台の上で嘆息した。
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