第5話 召喚魔法
ルベリアが吊された祭壇の下では、司祭たちが竜の召喚の儀式の最終段階に入っていた。
「久しぶりの召喚魔法だ。しかし術書通りに手順を踏めば、必ず成功する。竜は召喚者には手出しをしないことになっている。術書を信じて、再現に励め!」
セイサムが司祭たちに檄を飛ばす。しかし司祭たちの顔は晴れず、聖女の命を奪うことに躊躇しているようだった。
「いいか、お前らの大好きな聖女様は死んだんだ。あそこにぶら下がっているのは国逆の魔女、そして今や人間ですらない。それを忘れるな」
セイサムの指示で、司祭たちは断腸の思いで最後の召喚魔法を紡ぎ始めた。祭壇の下に異様な魔力の高まりをルベリアは感じていた。
(いよいよこの世界ともお別れね……なんて、後悔の多いことばかりなの)
ルベリアの頬を涙が伝い、祭壇に流れ落ちる。
(せめて最期に、ティアの無事な姿を見たかった……)
ふとルベリアは、召喚される竜がティアであればどれほどよいかと考えた。
(私、ティアに食べられるなら、それはそれでいい。だって最後にティアに会えるんだもの)
ルベリアの心はオレンジ色のティアで溢れかえった。
(ああティア、ティアに会いたい。あの子に触れたい。あの子と一緒にいたい)
祭壇の下で、セイサムが召喚に必要な最後の祈りを唱える。
「我らと時を隔てる偉大なる奇跡、神の御前に集いたまえ」
セイサムの声に反応して、空気が揺れる。大きな魔力の塊が近づいてくることがその場にいる全員に伝わった。
「来たぞ! 召喚は成功だ!」
セイサムは拳を握りしめる。召喚を手伝った司祭たちはその場に倒れ込んだ。
「ああ……ああ……」
いよいよ竜がやってくると確信し、ルベリアは小さく呻いた。
「ティア……さようなら……神よ……お守りください……ああっ!」
やがて空気の揺れは激しくなり、濃い魔力の衝撃波が辺りを襲った。ごうごうと音を立てて突風が吹き荒れ、ルベリアの身体を激しく揺らした。
「来たぞ! 竜だ!」
そこに現れたのは大きな竜だった。竜の大きさは小屋ほどもあり、鮮やかな青色の体色に森のような深い緑の瞳を持ち、瞳と同じ色の翼を震わせていた。竜は祭壇の上を数度旋回すると、セイサムの前に降り立った。
「なんて恐ろしい!」
「見るのも不吉なものだ!」
聖騎士や執行人たちは竜に怯え、司祭たちは祈り始めた。
「神の御前において、彼の者に安らぎと許しを与えたまえ」
セイサムは術書通りに竜との交渉を始める。竜は祭壇に吊されたルベリアをじっと見つめる。
「あ、いや……」
ルベリアは竜の口を凝視する。家の扉ほどある大きさの口が迫り、ルベリアは硬直する。ルベリアの直前で竜が口を開くと、ルベリアの顔ほどある牙が顕わになった。
「い、いやあああ!」
竜はその牙でルベリアを吊す鎖を噛みちぎった。どさりと祭壇の上に落ちたルベリアの上に、竜の顎が迫る。
「あ、あ、あ……」
竜の吐息がルベリアにかかる。恐怖で声が喉に張り付いたルベリアは叫ぶことも出来ず、ただ運命をなすがままにされるしかなかった。ルベリアの眼前に竜の喉が見えた。それからルベリアはその先がどうなっているのか全くわからなくなった。
「食われたぞ!」
司祭たちや聖騎士たちの間から悲嘆の声が漏れる。竜はルベリアを頭から咥え込むと、その口の中に全てを収めてしまった。
ルベリアを口にした竜はレムレスたちを一瞥すると、再び翼を震わせて山奥へ飛び去った。実際に竜を初めて目の当たりにしたセイサムは我に返ると、レムレスに向かい直った。レムレスも竜を見て興奮しているのか、身体を震わせていた。
「さて殿下、このような不吉な場所にいつまでも留まるわけにはいきません。すぐに出発の準備を整えましょう」
セイサムの声でレムレスは我に返った。
「ああ、だがこれで真の凶兆は始末できた。なかなかの見物だったぞ、セイサム司祭長」
レムレスは立ち上がると、ルベリアの消えていった空を仰いだ。
「それに、あれほどの竜がまだこの辺りに生息していることも確認できた。調査団を組織して、竜の巣を探し出せ。凶兆の芽を刈り取るなどそれらしいことを並べれば教会の者は反論しないだろう」
「仰せのままに。それと、今回の件ですが……」
セイサムはレムレスに目配せをする。
「わかっている。戴冠式が終わったら、な。さあ、後片付けは教会の者に任せて帰るぞ」
レムレスは聖騎士を従え、祭壇に背を向けた。
「しかしルベリア、惜しい女を亡くした。男を知らずに死ぬとは、少々勿体ないことをした。悪いものではなかったからな」
レムレスの冗談にセイサムだけが相槌を打った。そして生贄の祭壇から一同は撤収した。
後日、改めてロメール国民には聖女ルベリアが生贄として処刑されたこと、そして次代の聖女はレムレスの戴冠式まで発表されないことが通達された。当面は聖女職をセイサムが代行することになり、聖女の証である聖法衣は国教会によって厳重に管理されることになった。
聖女ルベリアの死を誰もが最初は悲しんだが、直近に控えている戴冠式のこともあり人々はすぐに処刑された聖女のことを忘れていった。ルベリアの両親だけが彼女の死を嘆き悲しんだが、人々からルベリアを聖女失格と中傷されてルナール家全体が信用を失うことになった。最終的に両親はルナール家全体を守るために不本意ながら「あれはうちの娘ではない」という声明を出すことになった。
ルベリアの死の衝撃が薄らいでいくのと引き換えに、戴冠式の準備でロメール国は盛り上がった。新皇帝の誕生に各国から来賓が到着し、たくさんの祝辞と交易品で街は溢れかえった。更に戴冠式で新聖女の発表に加えていよいよレムレスの妃が発表されるという噂が広まり、国民は浮き足だってその日を待ち望むようになった。
竜に飲まれたルベリアが生存しているなど、誰もが想像をしなかった。
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