第4話 祭壇の供物
祭壇の中央に設けられていたのは、生贄を吊す用途の高い台であった。執行人はルベリアの手錠に回された鎖を上半身の縄へ通してから台へ回し、じゃらじゃらと貨車のように思い切り鎖を引いた。
「ああああああ!」
ルベリアの身体が宙へ引き上げられた。手錠と縄に全体重がのしかかり、ルベリアは全身が千切れそうな衝撃を受けた。
「ああっ……あっ……く、うううう……」
大人の背丈ほどの高さまでルベリアは引き上げられた。台に鎖が固定され、ルベリアは今から解体される肉のように吊されていた。痛みに身もだえをすれば、ルベリアを支える縄へ余計負担がかかった。それに全身の供物の焼印がじくじくとルベリアを苦しめる。
しかし、見晴らしの良い場所へ吊されたことで周囲の様子が見渡せた。執行人たちは祭壇から降り、司祭長を中心に力のある司祭たちが後ろに並んでいた。そしてその後ろには、聖騎士に守られたレムレスの姿もあった。
無様に吊されながら、ルベリアはレムレスと目が合った気がした。途端に挫けそうになっていた心に再び良からぬ感情が巡ってきた。
(何故、あの男はあそこで笑っていられるの?)
(私をここまでいたぶって、何が楽しいと言うの?)
(国民の不安をいたずらに煽ったのはあなたではないの?)
(私、私は何故これほどの仕打ちを受けなければならないの?)
極限まで人間としての尊厳を奪われたルベリアの心は、どす黒い何かに染まっていくようだった。供物の焼印を押され、祭壇に吊されたルベリアは元凶であるレムレスを睨み付けていた。
(ああ、いけない……ダメ、だめよルベリア。あなたは誰? 私は聖女、ルベリアよ)
レムレスへの憎悪を抑えるよう、ルベリアは必死に自分に言い聞かせる。
(人を憎んではダメ……私は聖女。このような心では神の御心に背くことになってしまう)
ルベリアは最期の祈りを捧げることにした。
「神よ、私の至らなさで民の心をいたずらに乱しました。この愚かしい魂を、どうかお救いください……」
気力を振り絞って神への祈りを捧げる。
(私、私は一体何を残せたというのかしら……次代の聖女もまだ決まっていないというのに……)
ふと刑の執行前にセイサムが読み上げた「我々のための聖女を殺した哀れな女への処罰である」という文言がルベリアの頭を過った。
(我々のための聖女……そうね、みな欲しいのは聖女なのよ。そこにルベリア・ルナールはいらないの。だから、こうやって吊されているのよ)
ルベリアは、自分が死んでも嘆く者が少ないことに気がついた。
(私のことをルベリアとして見てくださったのはお婆様と、あとはお父様とお母様。あとは皆、私のことを聖女様と思っている。竜を助けたことでもうみんなの中で聖女は死んでいるの。だから、私が死んでも誰も嘆かない)
死に瀕した自身を振り返って、ルベリアは寒々しい気持ちに襲われた。
「神よ、私は、ルベリア・ルナールは、生きていてよろしかったのでしょうか……?」
自身のことを考えていると、自然とティアのことを思い出した。ティアと過ごしていた瞬間は、確かに聖女ではなくルベリアとして存在していたとルベリアは考えた。
(ティア……あなたも、こんな苦しみを抱えていたのね。人に傷つけられて、苦しくて、多分誰からも見向きもされなくて……一体あなたに何があったというの?)
ティアの身の上について、不思議なことはたくさんあった。
(ねえティア、一体どうしてあなたはあんなに傷ついていたの? あなたを傷つけた人は誰? でも、それだけじゃない……)
そこで、ルベリアは改めて疑問を持った。
(何故あなたは、大聖堂の裏道なんかにいたの!?)
途端にルベリアは心が凍り付くような感覚に襲われた。大聖堂には誰もが出入りできたが、国教会院へ通じる道には教会関係者や許可のある者しか入れないことになっていた。
(動けなかったティアがあの道にいたということは……あの子を傷つけたのは、国教会の者ということなの!?)
ルベリアは再び祭壇の下を見た。竜の召喚を試みるためにセイサムたちがせわしなく動き回り、聖騎士に護られたレムレスが悠々と座っていた。
(あの中の誰かが、ティアを傷つけたというの!?)
ルベリアに激しい怒りがわき上がった。しかし、今更それに気がついたとしても全てが手遅れであった。供物となったルベリアの言葉を聞く者はなく、あとはただの肉塊としてその生涯を終えるのみであった。
(私が至らないばかりに……もっと私が、聖女として人間として立派であれば、ティアもあれほど傷つけられずに済んだのかもしれないわね……)
ルベリアの脳裏に、ティアの鮮やかなオレンジ色の体色が浮かび上がったような気がした。
(きっと、これは神が私にくださった罰。ティアを傷つけるような、邪な心をはびこらせてしまった私への罰なのよ)
もはやルベリアに成す術はなかった。ただ吊される痛みに耐えながら、この苦痛から逃れることを願うのみであった。
***
祭壇の下では、レムレスが吊されたルベリアを見上げていた。
「竜の召喚の儀式は終わったのか?」
「司祭たちの話だと、後は呼び出すだけだそうです」
レムレスは国教会に唯一残されていた生贄の儀式の資料を眺める。
「あとはあの女が竜に食われて終わり、か」
召喚の儀式は一昼夜に及ぶとされる。ルベリアの処遇が決まった瞬間から、司祭を中心に竜の召喚儀式の再現が行われた。まずは放置されている祭壇の整備、それから生贄の儀式の確認、更に高度な魔力を練り上げる必要があったために祭壇の前で前日から祈りを捧げる必要があった。
有力な司祭たちが交代で魔力を練り上げ、竜を呼ぶだけの標を完成させることができた。後は竜を呼び出すだけだった。
「竜を召喚できるということは、この辺りに竜が住んでいるという証拠だ。この儀式が成功すれば、また考えなければならないことが増えるな」
レムレスは祭壇の中央で無様に揺れるルベリアを眺める。既に聖女としての威厳はなく、火傷と傷だらけの肉体は醜く蠢くのみであった。それでもルベリアが何事かを唱えているのを、レムレスは見逃さなかった。
「こんな時も神頼みか。バカな女だ」
レムレスの呟きは、周りに従えた聖騎士には聞こえなかった。
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