第6話 最後通告
裁判が終わり、ルベリアは地下牢へ戻された。上半身に巻き付けられた魔封じの鎖ははずされたが、手錠は後ろ手から再び前に戻されただけだった。
「聖女様、申し訳ございません……」
ルベリアを連行してきた聖騎士も辛そうな顔をしていた。
「いいえ、貴方は貴方の務めを果たしているまで。神様はお許しになるでしょう」
ルベリアは聖騎士たちの手前、毅然と振る舞ったがその内心は荒れ狂っていた。聖騎士の姿が見えなくなったところで、ルベリアは膝から崩れ落ちた。
「どうして私が、こんな目に……?」
呟いたが、答える者はなかった。今まで経験したことのない激しい感情にルベリアは支配されていた。しかし、その感情に名前をつけることをルベリアは躊躇った。
「いけない、神の御心に背くようなことを考えてはいけない。しっかりしなければ」
不吉な感情を振り払うよう、ルベリアは頭を振った。
「私は聖女ルベリア・ルナール。ロメール国教会の聖女よ。こんなことで、心を乱されてはいけない、こうなることもきっと神のお導き、私に下される運命なのよ」
ルベリアは余計なことを考えないように必死で祈り続けた。
生贄刑、というのはルベリアも教養として聞いたことがあった。しかし数百年前に廃止された刑を再び行うというレムレスの思惑は理解できそうになかった。それよりも、ルベリアとしては何故竜を癒やしただけで追放や死刑を宣告されなければならないのかが腑に落ちなかった。
裁判からしばらく時間が経って、地下牢の鉄の扉が開く音がした。
「随分惨めになったものだね、ルベリア」
鉄格子の向こうに再びレムレスが現れた。
「殿下がこのような場所に、何の御用でしょう?」
ルベリアは敵対心を隠さず答える。
「何を言っているんだ、君は明後日の昼死ぬんだ。怖くはないのか?」
「私の命は尽きるのではありません、神の御許へ向かうのみです」
ルベリアはレムレスを睨み付ける。先日、一度でもこの男の好意を素直に受け取ってしまったことが恥ずかしくて仕方なかった。
「強がりを言っているが、随分と震えているじゃないか」
レムレスの言うとおり、ルベリアは震えていた。それは死の恐怖だけではなく、罪人として扱われるこの上ない屈辱や謂れのない罪を被せられたことに対する憎悪など、あらゆる負の感情の表れだった。それらの感情を抑えるため、ルベリアは必死に神に祈っていた。
「どうだ、先ほどの話を考え直すというならここから出すことも考えなくもないが」
レムレスは格子越しにルベリアに手を差し出す。
「まだ君にはチャンスがある。それを掴むも払うも、君次第だ」
ルベリアは差し出された手を払いのけた。昨日はレムレスからの突然の告白に驚くばかりだったが、今日の裁判でレムレスがルベリアを本気で愛しているわけではないことを確信した。
「例え私の罪が許されるとしても、私は貴方の妻になるつもりはございません」
レムレスはルベリアと結婚して聖女を支配下に置くことで、国教会を意のままにしたいのだろうとルベリアは考えていた。そのために裁判で弁護をすることを申し出たり、わざと恐ろしい刑罰を与えて脅かしたりしているのだと思うと、目の前の男が恐ろしくて仕方がなかった。
「死ぬのだぞ?」
「構いません」
「竜のエサになるというのにか?」
「貴方に隷属するくらいなら、私は喜んで死を選びます」
ルベリアは死んでもレムレスに従う気はなかった。死ぬことも竜に食べられることも怖かったが、このまま生きながらえても罪人として扱われた過去が消えることはなく、それどころか一生レムレスに支配されて生きていく方がより悲しい道であると思った。
「……思ったより強情な女だ。わかった、いいだろう」
レムレスは、ルベリアを本気で妃にするつもりもなさそうだった。
「ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」
「どうした、ようやく命乞いをする気になったか?」
ルベリアからの言葉に、レムレスは嬉しそうに返事をする。
「先日の告白は、全てが嘘と言うことでよろしいでしょうか?」
「ああ、あれか」
ルベリアは裁判の前にレムレスから聞いた愛の言葉が一体何だったのかを確かめたかった。レムレスは苦笑して続ける。
「少しでも君が居心地良く過ごしてもらえたら、と思ってのことだよ。もちろん妃として振る舞ってくれるなら大事にするつもりだ。僕も男だ、そこに偽りはない」
「つまり、私のことは女性として愛していないということでよろしいですか?」
「別にそんなことは言っていない。君は魅力的な女性だよ、ルベリア」
レムレスはルベリアを賛美するようなことを言い始める。
「その意志の強さ、並大抵の人間にはない素晴らしさだ。自分の信念を曲げない、非常に素晴らしい。その意志の強さが君を聖女たらしめていると言っても過言ではない」
急にルベリアを褒め始めたが、ルベリアはレムレスに対して警戒を解かなかった。
「君は今回のことで聖女としての役割より己の欲望に負けたのだよ。目の前の可哀想な竜を助ける? その竜が命尽きようとしていた? そんなことは些細なことだ。聖女としての役割は竜の命を救うことではなく、竜の存在を国教会に知らせることだろう」
嘲笑うようなレムレスにルベリアは激昂した。
「しかし、それでは竜を殺すだけではないですか! 貴方は、死に瀕する者に対する慈悲がないのですか!? それでも次期皇帝なのですか!?」
ルベリアの怒りの声を聞き、レムレスはいけしゃあしゃあと言ってのける。
「おやおや、聖女様とあろう人が恐ろしい……もし一言でも我々に相談してくれれば、あるいは竜を助ける道を模索できたかもしれない。今回の件は君の独断で国民の不安を無視した愚かしい行為だ。しかもそれを君は聞き入れない。反省もないどころか、口を開けば自分の正当化ばかりだ」
ルベリアはレムレスの言い分は詭弁としか思えなかったが、裁判で明らかになったとおり「竜が人を食らう」という事実を否定できない以上何も言うことができなかった。
「時に意志の強さは身を滅ぼす。わかるかい? ルベリア」
レムレスは格子から一歩下がった。
「信仰、信念、大いに結構。しかしその頑なな態度はこれからの時代に相応しくない。もし君がそんな風に自分の考えだけで国教会を背負っていこうだなんて考えていたとしたら、いずれにせよ僕は全力で君を抑えにかかっていただろうね」
レムレスの声は大聖堂でルベリアが聞いた冷淡なものになっていた。
「やっぱり君は僕の妃には相応しくない。とんだ見込み違いだったようだ」
「勝手に人を買い被って勝手に人を見くびるなんて、貴方も次期皇帝としての資質を一度国民に問われては如何ですか?」
ルベリアの精一杯の皮肉に、レムレスはじっとルベリアを見つめる。
「果たして君の見当違いの思い込みと、国民の純粋な判断。どちらが正当か見てみようじゃないか」
その声は、かつて一度もルベリアが聞いたことのないほど冷たいものだった。
「それに、貴様なぞ聖法衣を着ていなければただの女だ。ただの女の妄言に、どれだけ国民が着いてくるか、身をもって知るがいい」
不吉な言葉を吐き捨てて、レムレスは地下牢から出て行った。
「ティアを生かしたことが私の罪なら、私はどんな罰でも受けるわ」
次々と湧き上がる様々な感情を抑えて、ルベリアはただ祈る他なかった。
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