第2話 皇太子からの求婚

 罪人として地下牢に囚われたルベリアに、皇太子であるレムレスは結婚を申し込んでいた。


「聖女としてのその凜々しい立ち振る舞い、民の幸せを常に願う純粋な優しさ、そしてその香しい乙女としての魅力。全てが僕の妃に相応しい。ロメール国のこれからの発展を願うなら、君と僕は一緒になるべきだ」


 恥ずかしくなるほどの愛を囁かれ、ルベリアは耳まで赤くなった。


「……それはいつからでございますか?」

「数年前の新春の儀礼でのことだ。まだ少女と言ってもよい君が民衆の前で祈りを捧げている姿を見て真剣に恋に落ちたよ。この朝日の如く美しく煌めく女性と共に生涯を過ごせたら、と僕は眠れぬ夜を過ごしたものだ。同時期に数多の妃候補が立てられたけど、僕はどれも受ける気にはなれなかった」


 先帝であるレムレスの父は昨年死去していた。服喪の期間を終え、22歳である皇太子であるレムレスが次代の皇帝として即位する戴冠式は数か月後に迫っていた。


「もちろん僕も将来を約束された身の上、そして君は聖女。叶わぬ恋と諦めてしばらく忘れていたのだ。しかし、こうやって想いを伝えることができた。もちろん僕は聖女としての君を尊重する。今まで通り聖女としての務めも果たしてほしい」


 ルベリアはレムレスの真摯な瞳に心を動かされた。そして妃になるということを少しだけ想像し、更にレムレスの妻になるということを想像した。


 ルベリアにとってレムレスは儀礼の時にしか顔を合わせない、知り合いのような存在であった。聖女として幼い頃から国教会の中で過ごしてきたルベリアにとって皇太子として育ってきたレムレスに親近感はあったが、何となく立場と年齢が近いというだけで特にそれ以上の感情を抱いたことはなかった。


「しかし殿下、私は聖女という一生を神に捧げる役を務めております。いくら殿下とは言え、その決まりを軽々しく破るわけには参りません」


 レムレスからの申し出に対して、まずルベリアが言えることは聖女としての自らの立場であった。


「君は必ずそう答えると思った。もちろんただでとは言わない」


 レムレスは一歩格子に近づく。


「明日の裁判で、僕が君の無罪を証明しよう。僕の弁護があれば、君は確実に聖女として復帰できる。それに美しい聖女の君がこんなところに閉じ込められているなんて、ロメール国のこれからを背負って立つ僕にとっても汚点になる」


 レムレスは格子越しに手を差し出してきた。


「先ほど僕の意見は述べた。僕の妃になるという約束をしてくれるなら、今すぐにでも僕がセイサムに掛け合って君をここから出してあげよう。未来の妃をこんなところに閉じ込めておくわけにはいかないからね」


 ルベリアは差し出された手とレムレスの顔を交互に見比べた。


「でもその代わり、貴方の妃にならなければならないのね」


 ルベリアの心に冷たい不安が押し寄せた。レムレスからの率直な好意は素直に嬉しいと思ったが、生涯を聖女として過ごすものだとばかり思っていたルベリアは夫を持つということに強い抵抗があった。


「それに、聖女にして国を支える国母となることは君にとっても誉れではないかい?」


 国母という言葉に、ルベリアは更に冷たいものを感じた。レムレスはそんなつもりで言ったのではないと自分に言い聞かせるが、どうしても男から「子を産むための女」として見られていると思うと酷く無様な気分になり、差し出された手に触れることすらできそうになかった。


「聖女でも皇帝でも妃でも、国を背負って立つ存在の責務は大きい。それなら僕と生涯を共に国のために尽くす、というのも悪い話ではないと思うが?」


 聖女としての務めを続けてほしいとレムレスは言ったが、ひとりでも男性に身体を許した女性を聖女に据える国教会などルベリアにとっては何の価値もないものだと思えた。その上、結婚や国母として世継ぎを生む仕事と聖女の務めは、ルベリアがいくら考えても両立しそうになかった。聖女と妃が両立できないのであれば、ルベリアは聖女として生きていくことを選ぼうと思った。


「私は私の身の上の潔白を自分で証明します。貴方の助けなどいりません」


 ルベリアはきっぱりとレムレスを拒絶した。皇太子からの誘いを断ることに気は引けたが、ルベリアは聖女としての務めを優先させなければならないと自分に言い聞かせた。レムレスは驚いたような表情をしたが、すぐに表情を元に戻した。


「……そうか、それは残念だ」


 格子から手を引き、レムレスはルベリアから遠ざかった。


「それでは明日、君の無罪判決の報告を楽しみにしているよ」


 レムレスはそう言い捨てると、地下牢から出て行ってしまった。再び鉄の扉が閉まる音がして、地下牢に取り残されたルベリアは言いようのない不安に襲われた。


「大丈夫よ、神は全て見ていてくださるわ。私は何も間違ったことなどしていないもの。あそこでティアを見殺しにすることは、ティアを傷つけた者のすることと一緒。ティアの様子を皆が知れば、きっと納得してくださるに違いないわ……」


 自分に必死に言い聞かせるが、どうしても心の中の暗い感情は消えなかった。ルベリアは一心不乱に神に祈り続けた。


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