第2話 聖法衣と回復魔法
それからルベリアはこっそり竜の介抱を続けることになった。竜の食べ物がわからなかったので食事の残りを少しずつ運んだが、竜は水も何も口にしなかった。
「ごめんね、食べることも辛いのよね」
せめて水だけでも、とルベリアは弛緩している竜の口に水を含ませた布を押し当ててそっと流し込むと、急に水を口に含まされた竜は咳き込んだ。
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」
ルベリアは竜の世話はもちろん、動物の世話もしたことがなかった。しかし誰かに相談することも出来ず、ただゆっくりと竜に回復魔法を授けることしかできなかった。
「ああ、あなたとお話できたらどんなにいいことか……」
数日間、竜は回復魔法を施すとほとんど眠っていた。魔法の効果が切れると目を覚まし、ずっと震えてた。その震えが痛みに耐えているものだと悟ると、ルベリアはなるべく竜に切れ目なく回復魔法を施すことになった。
復活魔法より消耗の少ない回復魔法であったが、魔力を消費することに変わりがないのでルベリアにも少し疲れが出てきた。昼間も口実をつけてなるべく居室へ戻り急いで回復魔法を施した。夜間も気を抜けず、竜が痛がっているのではと自然と目が覚めてしまう。そして夜中に震えている竜に気がつくとルベリアは即座に回復魔法を施す。
「大丈夫、あなたは頑張れるわ。だから今はおやすみ」
ルベリアは自身の消耗を感じていたが、それでも竜を励まし続けた。連続した回復魔法は容赦なくルベリアの体力を奪っていたが、全身を傷だらけにされた竜に比べればとルベリアは自分を奮い立たせていた。
日ごとに包帯を変えていくうちに、ぼろぼろに剥がれていた竜の鱗が再生し始めた。そしてわずかに身体を動かすようになり、ルベリアの手の中でかけ声に反応するようになった。
「まあ、あなたも頑張っているのね。その調子よ」
ルベリアは竜が震えている時にはずっと話しかけ続けた。それは祈りの言葉であったり、賛美歌の一節であったりした。それは竜への祝福でもあり、自分自身への励ましでもあった。
***
瀕死の竜をルベリアが拾ってから一週間ほどが経った。ようやく竜の全身の傷が塞がり、目の覚めるようなオレンジ色の鱗がはっきりと揃ってきた。そして驚くことに潰された瞳が少しずつ開くようになった。
「すごいわ、回復魔法だけでここまで治癒できるなんて」
しかし竜はまだ動き回ることはできず、籠の寝床でぐったりと横たわれるだけであった。
「あなたも生きたいのね、焦らなくて大丈夫よ」
少しでも早く回復させたいと思いってルベリアはなるべく居室へ戻る回数を増やし、竜の回復に専念した。全身の包帯が取れた後は回復魔法の効果を高めるために聖法衣の懐へ竜を入れ、時々震える竜を安心させようとした。
「この聖法衣はね、この国に古くから伝わる聖女の証、そして大いなる魔力の源。この中にいると少しずつ体力が戻っていくはずよ」
その夜、聖法衣の中で竜は小さく丸くなっていた。
「私も先代の聖女――私のお婆様なんだけどね、この法衣を受け継いだときはとても嬉しかった。でも、それは私にとって寂しいことでもあったの」
聖法衣が受け継がれるということは、先代の聖女――ルベリアの祖母の姉が死去したということであった。正確には祖母ではなかったが、ルベリアは先代を「お婆様」と慕っていた。彼女が亡くなり、ルベリアが聖女として独り立ちしてから、まだ3年しか経っていなかった。
「お婆様は優しくて、時には厳しく私に聖女の仕事を教えてくれたの。素敵で、偉大な聖女様だった」
人間は誰にでも潜在的な魔力があると言われている。訓練をすればその力を発揮することができるが、魔力を具現化させるには人間の力だけでは難しかった。そのため、法衣や鎧に予め魔力を込め、力を増幅させることで様々な魔法を使うことができた。
聖法衣とは、尽きることのない魔力を約束された特別なものだった。この聖法衣が生み出されたときその悪用を恐れた時の教皇が聖女に管理を求め、それ以降この聖法衣と聖女がロメール国教会の象徴とされてきた。
ルベリアは聖法衣の上から竜を撫でる。
「大丈夫よ、神様はいつでもどんなものでも見守っていてくださるわ。凶兆と言われてるあなたでも聖女と呼ばれる私でも、神の御前には平等なの。安心して、少しずつよくなっていきましょう」
ルベリアは当初、この酷く傷ついた竜はまもなく死んでしまうだろうと思っていた。本当はルベリアも凶兆の証と呼ばれる竜が恐ろしくて仕方なかったが、それでもひとりで寂しく息絶えていくのは惨いと竜を介抱することに決めたのだった。
「不思議ね。正直最初は恐ろしいと思っていたけど、あなたはとても愛らしい。生きることを諦めない、強いあなたが私は好きよ」
ルベリアは更に回復魔法を施した。竜はルベリアの懐で寝息を立て始めた。その安らかな表情を見て、ルベリアも安心して眠りに落ちた。
***
翌朝、ルベリアは顎に触るものを感じて目を覚ました。そこにはしっかりと目を見開いた竜がいた。驚いたルベリアは竜を見つめた。
「あなた、私が見える?」
竜はルベリアに小さく頷いて見せた。
「もしかしてあなた、私の言っていることがわかる?」
竜は2度頷いて見せた。その表情はルベリアによくわからなかったが、確かに竜は笑っているように見えた。
「すごいわ、あなた、本当にすごい! なんていう奇跡なの!!」
ルベリアは嬉しくなって竜を抱き上げた。
「あんなに酷い怪我をしていたのに、ここまで回復するなんて信じられない……神様の思し召しね!」
竜はきょとんとルベリアを見つめる。
「ふふふ、私の言うことがわかるなら、いつまでもあなた呼びでは寂しいわ。何か素敵な呼び名が欲しいところね」
ルベリアは竜をよく観察した。オレンジ色の鱗に水晶のような紫色の瞳がよく映えていた。よく見ると左目の下だけ、涙のように紫色の鱗が1枚ついていた。
「じゃあ、あなたは今日からティアよ。素敵な鱗ね」
竜――ティアはルベリアの腕の中で嬉しそうに目を細めた。
「私はルベリア。よろしくねティア」
ティアはルベリアに顔をくっつける。初めて完全に心を通じ合わせることが出来て、ルベリアもティアを優しく抱きしめた。
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