《第1章 傷ついた竜の子》

第1話 手のひらの上の竜


「命ある全ての源である大いなる神よ、我らにしるべを与えてください。我らの信仰が暗闇を照らす一筋の光となり、深い悲しみに沈んだときに我らを掬い上げる1本の綱となり、とこしえの世を歩いていく1本の道となるよう、我らをおそばにお導きください」


 聖女ルベリア・ルナールの祈りが聖堂に響く。ロメール国教会の象徴として第59代目聖女を務めるルベリアの朝の礼拝は厳かに進行していた。


「それでは本日も、神の御心のままに過ごしましょう。全ての者に慈悲と友愛を」


 軽やかな朝の光の中、礼拝を終えて厳かな聖法衣に身を包んだルベリアが大聖堂から退出していく。白金色の長い髪に宝石のような紺碧の瞳。そして聖女の証として身につけている金色の聖法衣が彼女に威厳を与える。


「流石聖女様、凜としていらっしゃる」

「まるで朝日のようなお方ね」


 大聖堂の後ろの方でルベリアについて語る礼拝者たちがいた。ルベリアがそちらに気がつき微笑むと、礼拝者は顔を赤くして下を向いてしまった。


「今日は良い天気ね」


 ルベリアは大聖堂の外で控えていた侍女を2人従え、国教会院へと続く道を歩いた。この後は軽い朝食の後、午前の執務を執り行ってから先月生まれた赤子に祝福を授ける生誕の儀を行う予定となっている。午後は地方領主への個別の祝福の儀、そして国教会の来年の財政についての会議にも出席することになっている。


「今週の生誕の儀には何人が参加するかしら」

「今のところ、80組を超える母子が参加する見通しです」


 ルベリアは生誕の儀が好きだった。ルベリアの祝福の祈りが聞こえなくなるほど泣き叫ぶ赤ん坊たちの声に困惑する母親たちに、最後にルベリアはこう言葉をかける。


『よく泣く赤子は神のたまものです。授けられた命と授けし尊い命に祝福を』


 それは先代の聖女がよく口にしていた文言だった。まだ18歳のルベリアも精一杯生きている赤ん坊たちから元気をもらっている気分になり、その日を楽しく過ごせるのだった。


 朝露が輝く中、ルベリアは雑草の茂る裏道を進んでいた。


「あら、こんなところに一体何かしら?」


 ルベリアは道の真ん中に何かが落ちていることに気がついた。近づいてよく見ると、生まれたての子猫ほどの大きさの動物が震えていた。


「まあ、大変!」


 ルベリアが急いで動物を拾い上げても、動物は反応をみせなかった。


「聖女様……一体これは何の動物ですか?」


 侍女たちが動物を覗き込む。それは一見して何の動物かわからないほど傷ついていた。ルベリアは自身まで傷ついたような気分になり、それを哀れな気持ちで見つめた。


 元々の色がわからないほど全身が傷だらけの動物は両の目を潰され、辛うじて息をしているというところだった。よく見ると動物の背中と尾に当たる部分は切り取られたような跡があり、何者かに元からあったものを切断されたように見受けられた。


「この子は……おそらく、竜の子ですね」


 ルベリアは固くて長い尾と翼を同時に持つ生き物をそれしか知らなかった。


「ひっ! 竜ですか!?」


 侍女たちは傷ついた竜を拾い上げたルベリアから一歩遠ざかった。竜は凶兆の証とされ、古くから恐れられてきた。その姿を見た者に不幸が起こり、竜に捕らえられればたちどころに頭から食べられてしまうと人々は信じていた。


「しかも死にかけじゃないですか! はやくお捨てになってください!」


 叫ぶ侍女たちを、ルベリアは窘める。


「確かに竜は凶兆の証。しかし、これほど傷ついたものを見捨てては聖女としての名折れです。手遅れかもしれないけれど、この子が安らかに神の祝福を受けられるよう尽くしてみようと思います」

「でも……」


 侍女たちは顔を見合わせた。凶兆の証を聖女が抱えているだけでも、彼女たちからすればおぞましいものであった。


「そうね、私が竜の子を癒やしていると知られては騒ぎになってしまうかもしれないわね。このことは秘密にしていてちょうだい。この子が元気に飛べるようになるまでよ」


 ルベリアは聖法衣に瀕死の竜を包むと、そのままこっそり連れて帰ることにした。


***


 国教会院の上階にある居室へルベリアは急いで戻ってきた。


「可哀想に、息をするのも苦しいでしょう」


 聖法衣から竜を取り出し、ベッドの上に置く。泥だらけで小さく震える竜から、ルベリアにも苦痛が伝わってくるようだった。


「安心して、大丈夫よ。今痛みを取って眠らせてあげる。苦しかったでしょう、もう大丈夫よ」


 ルベリアは竜に手をかざし、回復魔法を施す。回復魔法は痛みを和らげて傷の治癒の速度をはやめる効果があった。復活魔法というたちまちに病や傷を癒やす魔法もルベリアは習得していたが、かなり大がかりで多くの魔力を消耗する上に時間もかかることから、こっそりと竜の世話をするのには向いてはいなかった。


 しばらく竜に手をかざしていると、竜の震えが止んで深い眠りに入ったようだった。


「まずは傷の手当てをしましょう。それから、少しずつ治していきましょうね」


 ルベリアはぐったりとしている竜の身体を清め、清潔な包帯でその身体を覆った。それから果物を入れる籠に布を敷き、竜の寝床を作った。


「大丈夫よ、あなたは絶対良くなるわ。諦めないで頑張りましょうね」


 竜を寝床に横たえ、ルベリアは祈った。


「どうかこの小さき者に祝福を、哀れなる魂をお救いください」


 執務の時間が迫っていた。ルベリアは竜から離れがたかったが、意を決して居室から出て行った。それから何事もなかったように一日を過ごしたが、どうしても頭は竜のことで一杯だった。夕刻の礼拝が終わり、ルベリアは既に竜が息をしていなかったらどうしようと急いで居室へ戻った。


「……よかった!」


 竜は籠の中でまだ震えていた。回復魔法を施すと、再び落ち着いて眠りについたようだった。


「大丈夫、大丈夫よ……」


 その夜、ルベリアはずっと籠の中の命を見つめていた。それから昼間に見た母親と赤子たちを思い出し、心の中で彼らの祝福を願った。


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