第6話 訓練の時間

 なんだってこんなことになったのか。


 5月土曜日の爽やかな早朝。俺は一人公園でブランコに乗っていた。

 毎日引きこもりゲーム生活の俺にとって、朝の光は神聖すぎる。

 疲れ切ったサラリーマンのように項垂れていると俺の体から妖精が出現した。


「マヨちゃんに特訓をつけるって約束しましたからね。それにマヨちゃんが再び思い切ったことをしないように自立させるなら、健全な精神は健全な肉体に宿るのでやって損はないです」

「体を鍛えていても健全でないやつは普通にいるけどな。例えば魔王とか」


 あるいは俺とか。中学生に嘘をついて魔物と戦わせる鬼畜勇者ですよ。


「まぁまぁ、それでも体を鍛えれば自信に繋がりますよ。今のマヨちゃんに必要なものです」


 そういうものかね。

 妖精と話しているとジャージ姿の真夜がやってきた。

 今日から戦闘訓練をする約束だ。念話の魔法でそう伝えていた。


 真夜は小走りでやってくるとフェイを指差して、パクパク口を開け締めした。


「よ、妖精だ……」

「ああ、おはよう真夜。彼女は俺の精霊、フェイだ。よろしくね」


 ぎこちなく挨拶する真夜に対して、妖精は空中でくるりと一回転して「よろしくお願いします」と挨拶した。

 真夜はキラキラ光る妖精に釘付けになっていたが、ハッと気づいたようにこちらを向いた。


「そうだ、私も精霊がいるの!クロ、出てきて」


 この前見た黒猫のことか?黒猫だからクロ。定番だな。

 しかし黒猫はいつまで経っても現れなかった。


「あれ、なんで出てこないの……え、怖い?なんで?」


 どうやら真夜の精霊はかなり警戒心が強いようだ。

 まぁ俺は左目の傷を隠すためにサングラスをつけて、額の紋章と半分白髪を隠すためにフードを被っている不審人物なのでしょうがないか。

 時間が経てば猫の警戒も薄れるだろう。

 俺は握手をするように手を伸ばした。


「さあ訓練を始めようか。手を取って」


 真夜は首を傾げたが、俺の手を握った。


 <転移>


 次の瞬間、俺たちは人里離れた山の中にいた。

 緩やかな一本道の山道に軽く霧がかかっている。やや冷たい空気が爽やかだ。


「えっ、ここはどこ?」


 真夜がキョロキョロと辺りを見回している。

 ここは真那市から少し離れた場所にある自然公園の山道だ。

 今はクマ出没注意ということで山道の入り口は封鎖されている。


「修行場だよ。転移魔法を使ったんだ」


 転移魔法は転移先に魔法陣を描く必要があるなど色々制限があるが便利な魔法だ。

 真夜は感心した声を出して目を輝かせた。


「凄い!私も使えるようになる?」

「修行次第だね」


 さて、と俺は手を叩いた。

 修行プランはフェイと話し合って既に決めている。


「今から山道を頂上まで登ってもらう。強化魔法をかけた状態でね」

「強化魔法?」


 強化魔法とは身体能力を強化する魔法だ。近接戦闘ではほぼ必須な魔法である。

 俺は真夜の肩に手をおいて強化魔法をかけた。真夜の体に淡い虹色のオーラが発生する。


「これが強化魔法だ。軽く走ってみるといい」


 真夜は一瞬怪訝そうな顔をしたが、直ぐに走り出した。

 なかなか早い。女の子走りなのに一流のアスリート並のスピードだ。真夜は見えなくなるまで走っていき、そしてまた戻ってきた。


「体が羽みたい!」

「ああ、そうだろう。ではその状態で頂上を目指してくれ」


 まぁ頂上といっても別に高い山ではないので40分くらいでつくだろう

 真夜は勢いよく頷くと、さっきと同じスピードで走っていった。


 俺は空を飛んでショートカットし、先に頂上にたどり着いた。

 頂上には展望台があり、開けた場所となっている。


 丸太を半分に割ったようなベンチに腰掛け、携帯ゲームで時間を潰していると、真夜がやってきた。

 全力で走ってきたにも関わらず、かなり余裕そうだ。


「ふぅ、ここがゴール?意外と余裕だったかも」


 それはどうかな。俺は真夜に近づき、強化魔法を解いた。

 すると真夜は膝から崩れ落ち、地面に手をついた。

 顔から汗が滝のように流れ落ち、呼吸が酷く乱れている。かなり苦しそうだ。


「はぁはぁ……なにこれ……体が重いし、肺が痛いし……し、死ぬ……」

「強化魔法の反動だよ」


 今まで真夜の体は俺の魔力で支えられていたが、それがなくなったので一気に負担が出たのだ。

 約40分ほど坂道を肉体の限界レベルで走ったので、筋肉が悲鳴を上げていることだろう。

 しかし魔力が覚醒していれば体が壊れることはないので大丈夫だ。


 俺は収納空間から2Lの水ペットボトルを出して真夜に渡した。

 真夜はペットボトルの水を全て飲み干し、仰向けで大の字に倒れた。

 かなり苦しいだろう。俺も異世界で散々この訓練をやったので良く分かる。


 10分ほど休憩して、真夜の呼吸が落ち着いたのを見計らってから、俺は次の訓練に移ることにした。


「体力訓練は以上だ。次は魔力訓練をするぞ」

「も、もうちょっと休ませて……」

「安心しろ。次は体力ではなくて魔力を使う」


 俺は真夜に座禅を組むように言った。

 やることは単純だ。目を瞑って限界まで息を吸い、限界まで息を止め、限界まで息を出し、限界まで息を止め、また限界まで息を吸う。

 これを繰り返す。


「……息が苦しいんだけど」

「だろうね。でも残念ながら苦しみがないと人は進化しないんだ」


 真夜はしぶしぶと言った感じでまた呼吸を始めた。

 この訓練もかなりの苦行だ。苦しく単調なことをずっと続ける精神力が必要となる。


 真夜は苦しみながらも1時間ほど愚直に呼吸を繰り返した。

 最初だから流石に音を上げるかと思ったが、根性があるな。

 そろそろ良いだろうか。俺は真夜に目を開けるように言った。


「なにこれ。黒いオーラ。魔力が見える……」

「そうだ。今、真夜の精神は研ぎ澄まされている。その魔力を両の手の平に集めてボールを作るんだ」


 真夜はやや戸惑ったが、両手でボールを持つように黒い球体を作り出した。


「いいぞ。ではそのボールを腹の中に入れて体に魔力を戻して。そしてまた同じようにボールを作るんだ」


 何度もボールを作っては体に戻す。

 繰り返す内に魔力操作はスムーズになったが、だんだん体全体の黒いオーラが薄くなってきた。魔力が枯渇し始めている。

 一見魔力を出してまた戻しているように見えるが、実際は魔力を体外に放出している時点で徐々に魔力が削られているのだ。

 やがて真夜はボールを出せなくなった。

 真夜は苦しそうに顔をしかめている。


「頭が痛くて気持ち悪い」

「それが魔力切れの状態だ。疲労が溜まるのと同じように不快感がある」


 魔力切れの感覚は二日酔いに似ている。実際の二日酔いほど長時間続かないが、それでもかなりしんどい。

 真夜はまた大の字に倒れた。

 しかし修行はまだ終わっていない。


「さて、魔力は切れたが体力は大分戻っただろう。次は戦闘訓練をするぞ」

「す、スパルタ過ぎない?」

「安心しろ。次はそこまで疲れない。技術の訓練だからね」


 俺は収容魔法を使い、練習用に使っておいた木製の片手用メイスを2つ取り出した。

 実際には真夜は棘付きのメイス、モーニングスターを使っているが、棘は危ないので普通の槌で十分だ。


 まずは基本の武器の振り方だ。俺はメイスを速く、強く、鋭く振った。


「武器は腕の力で振るのではない。脚から力を伝えて全身で振るんだ」

「こ、こう?」


 真夜も見様見真似で振るが腕の力に頼っていて遅く、弱く、鈍い。

 俺は噛み砕いて説明していくことにした。


「まずは腕の力をできる限り抜いて振ってくれ。ポンと腕を前に出すだけで良い」


 何も力を入れていない状態。だがこれが一直線で一番速い軌道だ。


「次は体を限界まで捻って、大きく振ってくれ。これも腕に力は入れなくて良い」


 俺は限界まで体を捻ってからメイスを振った。空気が大きく裂けてブオンと音が鳴る。

 これが一番強い振り方だ。しかしこんな大振りでは簡単に防御されてしまう。


 真夜も大振りでメイスを振ったが、武器の重さにつられてやや体勢を崩した。


「体を捻って打つ間、バランスを取るために脚腰や背中の筋肉を使っただろう?それが攻撃に必要な筋肉だよ」


 真夜は確かめるように何度か武器を振った。何度か繰り返す内にコツを掴んだのか体勢が崩れないようになってきた。


「では次はそれらの筋肉を意識しながら、大振りの攻撃を徐々に小振りにするつもりで振ってくれ」


 できるだけ最小限の動きに最大限の力を乗せて鋭く放つ。これが攻撃の基本だ。

 速く、強く、鋭く。何度もやれば全身で攻撃する感覚が掴めるだろう。


「最後に攻撃が当たる瞬間にギュッと拳を握って力を入れるんだ。じゃないと力を伝える前に武器がすっぽ抜けるからな」

「分かった」


  なかなか筋が良い。1時間ほど振り方を訂正しながら訓練すると、そこそこ見れた振り方になってきた。

  基本の振り方はこれで終わりで良いだろう。まぁあくまで基本なのでここから四方に移動して打ったり、防御したり課題はたくさんあるが。


「よし、戦闘訓練はここまでだ。次はまた体力訓練だ。強化魔法をかけて最初の地点まで山を下ってもらう」

「え、また走るの?」

「そうだ。体力、魔力、戦闘訓練を1セットとしてこれを3セット行うぞ」


 大丈夫。強化魔法をかけるから一時的に疲労は消える。

 真夜は「うええ」と嫌な声を出しながらも山を下っていった。




「よし、今日はここまでだ。お疲れ様」

「……もう駄目」


 真夜はまた大の字に倒れた。今日何度目だろうか。

 あれから訓練を3セットと昼食を挟み、最後に体力がなくなるまでメイスを打たせた結果、そろそろ日が暮れようとしている。


「明日、日曜日も朝6時に例の公園に集合してくれ」

「明日?明日はたぶん筋肉痛になってるよ……」


 大丈夫。魔法を使えば筋肉は直ぐに超回復するんだ。

 だから異世界では超人レベルのフィジカル持ちがゴロゴロといた。

 怪我を心配せずに限界を越えて鍛え続けると人間はとんでもないポテンシャルを発揮する。

 どこか遠くを見て虚ろな目をしている真夜に説明していると、空から妖精が降りてきた。

 訓練中は暇だからどこかに遊びに行っていたようだ。


「しかし少しスパルタ過ぎませんかね。鞭ばかりでは可哀想です。モチベーションを保つには飴が必要でしょう」


 フェイは感覚を共有して会話を聞いていたのか、到着して直ぐにそう言った。真夜の目に輝きが戻ってきた。

 しかし飴か。一体何が良いんだ?俺の場合はなんだった……そうか!


「そういえばこの前魔物を倒していたね。10万円あげよう」

「勇者様……」


 フェイがなんだか呆れた顔でこちらを見ている。

 なんだ?魔物を討伐して報酬を得る。それが冒険の醍醐味だろう。

 真夜は俺の提案を聞いて直ぐに体を起こした。


「えっ、10万円もくれるの!?」

「ああ、魔物を倒したからな。正当な報酬だ」

「やった!新しい小説や漫画が買える!」


 俺は収納魔法を使い、さっと札束を掴んで真夜に渡した。

 真夜は札束を両手で掴んで飛び跳ねて喜んだ。

 なんだまだ元気じゃないか。これは明日も行けそうだ。

 俺はもしかしたらトレーナーとしての才能があるのかもしれないな。

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