第2話 夜が落ちる

 学校の空き教室、カバンの中身が床にぶちまけられた。

 意地悪そうに口角を上げた女、美道貴子びどうたかこが散乱した荷物の中からカードを拾い上げる。


「なにこれ?魔法少女ポムポム?だっさぁ、まじウケる」


 彼女とその取り巻き達が嗤った。


 私の名前は日坂真夜にっさかまよ真那まな市に住む中学2年生。かなりのオタクでいじめられっ子だ。

 私はポムポムを取り返すために手を伸ばした。


「か、返して」

「え~どうしよっかな。やっぱ駄目。えい」


 彼女はそう言うとカードをビリッと引き裂いて捨てた。

 私のポムポムが……せっかくイベントに並んで貰ったのに。私はがっくりと膝をついた。


「ねぇ、私今月小遣いやばいんだよね。あんたちょっとパパ活して稼いできてよ。そのダサい眼鏡を外せば、あんたでも脂ぎったオジくらい釣れるでしょ」


 そんなことよりポムポムだ。私は恨みを込めて、いじめっ子の美道を睨んだ。


「なによその目。あんた自分の立場が分かってないの?」


 左頬への衝撃と共にメガネが吹き飛んだ。

 痛い。頬をビンタされたと分かって涙が出た。


「いいから、金持ってきなさないよ。さもないとまたこうなるからね。じゃ、よろしく」


 美道は最後にポムポムを踏みにじると、取り巻き達と楽しそうに話しながら去っていった。

 私は空き教室に一人取り残され、夕闇に染まる床からのろのろと荷物を拾った。


「はぁ……もう帰ろう」


 そしてお気に入りの漫画を読もう。人気web小説が漫画化したやつで、もう何十周もしているけど面白い。

 転生したら聖女になってチート魔力を得て周りのみんなからちやほやされるやつ。

 それを読もう。今日はもう何も考えたくない。


「ただいま」


 家に帰ると、玄関に従姉妹の真昼まひるがいた。

 彼女は私と同い年だ。私は両親が事故で亡くなったので、彼女の家に住まわせて貰っている。

 真昼はこれから出かけるのか露出の多い派手な格好をしていた。最近彼女は夜遅くまで遊んでいることが多い。


「あっ、ちょうどいいや。ねぇこれから用事あるから代わりに宿題やっておいて。私の机の上に置いてあるから」


 なんで私がやらないといけないのか。宿題は本人がやるから意味があるのに。

 それに私はこれから転生聖女の漫画を読むんだ。暇じゃない。

 何も悪びれた様子のない従姉妹の顔を見ながら私は言った。


「自分でやってよ」

「え~どうせボッチで暇なんだからいいじゃん。いいからやっといて」


 ピロリンとスマホの音が鳴って真昼は手元に夢中になった。

 やらない。私はやらないぞ。

 決意を固めて自分の部屋に行こうとすると、真昼があっと声を上げた。


「そういえば、マヨの部屋にあった漫画売っちゃったわ。あの転生聖女のやつ?今だとまだ買取価格高いから」

「えっ」


 私は信じられない思いで真昼の目を見た。

 口を何度か開け閉めしてようやく言葉をひねり出す。


「な、なんで売ったの?」

「え~っ、だって金欠だし、もう何度も読んでるからいいじゃん。半分金渡すからさ」


 何度も読んでたら何がいいの?しかもお金は半分しかくれないの?

 私は真昼に向かって怒鳴った。


「そんな問題じゃない!人の物を勝手に売るなんて信じられない!」

「なによ!元はと言えばあんたのせいでしょう。あんたがいるせいで私の小遣いも少ないんじゃない!寄生虫!」


 き、寄生虫?

 一瞬目の前が真っ暗になった。

 気づいたら真昼の肩を掴んで押し倒そうとしていた。

 真昼も抵抗して私の髪を掴む。

 揉み合いになって壁にぶつかり、下駄箱に飾ってあった花瓶が落ちて割れた。


「何してるの!」


 叔母がドスドス床を鳴らしてやってきた。

 叔母は喧嘩を止めようとして何か言っているが、どす黒い怒りが湧き上がって何も考えられない。

 気がつくと私は強引に真昼から引き離された。

 目の前には怒った叔母の顔がある。


「いい加減にしなさい!」


 右頬への衝撃と共にメガネが吹き飛んだ。

 痛い。また頬をビンタされたと分かって涙が出た。


 叔母の一喝で、先程までの騒ぎが嘘のように静かになった。

 誰かの激しい息遣いだけが聞こえる。

 私は頬を抑えながら言った。


「なんで私だけぶつの?」

「えっ」


 叔母は一瞬ビンタをした手を見てから目をそらした。

 叔母はいつもそうだ。心の中では真昼を贔屓している。

 だから真昼だって……。


 私は家を飛び出した。

 別に行く宛はないけど、あの場にはいられない。


 宵闇が迫る街をトボトボ歩きながら、私は自分の人生を振り返った。

 両親が事故で亡くなってから、母さんの弟である叔父さんの家に引き取られた。

 私は親が亡くなってからずっと塞ぎ込みがちで、学校でも友達ができなかった。

 最初は真昼が手を引っ張って学校に連れて行ってくれたけど、今では嫌われている。

 叔父さんは出張であまり家にいないし、叔母さんは血の繋がってない私を疎く思っている。

 それもそうか。家の中に他人がいるようなものだ。金も手間もかかるし鬱陶しいに決まってる。


「やっぱり私は寄生虫でいらない子なのかな」


 どれくらい時間がたったのか、気づいたら辺りはすっかり暗くなっていた。

 顔を上げると建築中のビルが見える。工事現場の前にある看板に近づくと近未来的なイラストと共に「新都計画」と書かれていた。

 なんとなく工事現場の中を覗くと、何かが一瞬煌めいたのが見えた。なんだろう?

 じっと見るとニャーと鳴き声が聞こえた。


「猫?」


 暗闇で猫の目が光る。

 私は周囲に人がいないことを確認し、工事現場の中に入った。

 猫は私が近寄るのを見て走り去っていく、しかし少し距離を取ると振り返ってまたニャーと鳴いた。


「ついて来て欲しいの?」


 なんとなく猫の後をついていく。

 猫は工事中のビルの階段をどんどん登っていく。吹き抜けの階段は遥か上層まで続いているようだ。

 階段をしばらく上る。流石に追うのをやめようかと思うたびに、猫は私を励ますように振り向いて鳴いた。

 階段を登り、まだ作りかけのフロアに出た。建設中のためか天井も壁もなく、鉄骨がむき出しになっている。


「猫ちゃん?」


 周囲を見渡すが、猫の姿は影も形もない。しかし鳴き声だけは暗がりから聞こえてくる。

 私は音を頼りにフロアを進む。ある程度進むと床すらないことに気づいた。剥き出しの鉄骨、真ん中が抜けたジェンガのような不安定な足場が続いている。

 危ないかな……でもまぁいいか。私は鉄骨を渡ることにした。

 人の肩幅くらいの鉄骨を慎重に進んでいく、下を見ると地面が遠くてゾッとした。

 緊張で冷や汗を出しながら、私はなんとか鉄骨の先端までたどり着いた。その先にはもう何もない。


「おかしいな。この先から聞こえるのに……あっ」


 道路の向かいにある工事中のビルに猫がいた。いつの間にあんな場所に行ったんだろう?

 そして猫の周りには他にもたくさんの猫がいた。家族か仲間だろうか?

 猫は私の方を向いて最後に大きくニャーと鳴くと、他の猫達と共に去っていった。

 しばらく待ったが、もう鳴き声は聞こえない。


「私、何やってるんだろ」


 なんとなくあの猫も独りだと思ったのだろうか。

 私は脱力して鉄骨の上に座り込み、目を瞑った。

 立ち上がって戻らないといけない。でも足に力が入らない。目を開けるのも億劫だ。

 誰も助けてくれない。私は独りだ。


「もうこんな世界嫌だ」


 自分でも驚くほど乾いた声が出た。

 帰ることを考えると頭が重くなる。家族のこと学校のこと、考えるのは頭が重い。もう何も考えたくない。

 そうだ。戻るよりも、こっちのほうが楽だ。

 私は立ち上がって手を広げた。

 一瞬強い風が吹き、体が揺れる。

 私は重くなった頭から落ちていった。


 死んだらどうなるんだろう?転生ってあるのかな?

 あるのなら、次は良い人生を歩みたい。

 落ちるって不思議な感覚……闇の中に沈むみたい……


 ……あれ、私はいつまで落ちるのだろう。

 一瞬誰かに受け止められた気もした。

 目を開けると私は地面の上にいた。なんで?

 顔をあげると、目の前の空間が歪みだした。人の輪郭が浮かび上がる、まるで透明人間のようだ。

 そう思ったら本当に人が現れた。


「あなたは誰?」


 それは不思議な男の人だった。額に紋章があって、背中には一瞬白い翼が見えた。

 翼?え、もしかして神様?私は本当に転生するの?

 思わず笑みが浮かんだ。早く異世界に連れて行って欲しい。私は捲し立てるように話した。

 自分の望んでいること、これまでの人生のこと。


 話しているうちに舞い上がっていた気持ちが落ち着いてきた。

 そもそも彼は神様なんだろうか。目に傷があって怖いし、普通の服を着ている。

 もう一度誰なのか尋ねると、彼は少し迷ってから異世界帰りのヒーローだと言った。


「君が次のヒーローになってくれないか?」


 そういって自称ヒーローの人は私に手を差し伸べた。

 私がヒーロー?異世界転生じゃないの?これは……そうか、ローファンタジー!現代版のファンタジーだ!

 再び私の胸は高鳴った。この人は不思議な異能を持っているんだ。そして私には闇の力?があるらしい。

 もしかしたら怖い敵と戦うのかもしれないけど、今の状況が変えられるならなんだっていい。

 私は彼の手を取った。


「なる。ヒーローになる」


 男は一瞬引きつったように笑うと、そうかと呟いて目を閉じた。

 握手した手が強く握られる。ちょっと痛い。


「今更だが、俺は水松勇気みずまつゆうきという。名前は好きに呼んでくれ。君の名前は?」

日坂真夜にっさかまよ


 男は頷き私の目を見ている。手が痛いから離してくれないだろうか?


「では真夜。今から魔力を流すから、受け入れてくれ」


 ユウキと名乗った男がそう言うと、手の平がビリビリして熱くなった。

 驚いて手を見ると虹色の光が腕を伝って全身に広がっていく。体中が熱くなり、髪が逆立つ。

 私は声も上げられずにその光景に圧倒された。

 視界が七色に明滅し、やがて暗転する。

 暗闇の中、何かが動いている。黒猫?

 闇の中でもはっきり認識できる黒色を持つ猫は、ルビーのように光る目を私に向けてニャーと鳴いた。

 視界が戻る。気づくと、私は地面に手をついて荒く息をしていた。

 なんとか息を整え、腕を組んで目を瞑っている男に話しかけた。


「今のは何?」

「君の中に眠る精霊を呼び起こした」


 精霊?彼が言うには、精霊とは魔力の集合体でもう一人の自分らしい。魔法を使うのを支援してくれるそうだ。

 もしかして私の精霊はさっきの黒猫?だったら可愛くて嬉しい。これで私は魔法を使える?

 じっと手の平を見る。男が口を開いた。


「今はまだ目覚めて間もないが、いずれ精霊が魔法を教えてくれるだろう」


 ユウキはそう言うと指先から光球を出した。光球はフワフワ空中を漂いながら様々な色に変わる。

 凄い!これが魔法!私は光球に目を奪われた。


「精霊が完全に目覚めたときにまた会おう。今日はもう遅いから帰りなさい」


 ユウキが指を弾くと光球が破裂した。辺り一面が真っ白になる。

 私は思わず目を瞑り、再び目を開いた時には誰もいなくなっていた……。

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