リアル金次郎の思い出
二宮金次郎の銅像というのは有名だろう。
私が通っていた小学校にはなかったが、そんな私ですら、その姿を知っている。
薪を背負って、『大学』を読む少年。
今は巷にあふれている姿だ。
大きなリュックサックを背負って、スマホの画面を一心に見つめる若者たち。いや、若者だけといったら、若者にも若者以外にも失礼かもしれない。今や老若男女皆金次郎。時代がとうとう金次郎に追いついたに違いない。
こういう書き方をすると、私がこのような一団を嫌っているのだろうとかバカにしているのだろうと思われるかもしれないが、そういうことはない。
突然、眼の前で立ち止まられたりした時は正直な話いらっとするが、それ以外はあまり気にならない。
むしろ、昔、身近にいたリアル金次郎よりも、歩きスマホの人のほうがはるかに安全だからだ。
結構上の先輩にリアル金次郎がいた。
この人、本当に歩きながら本を読んでいるのだ。
それも専門書を。
専門書というのはそれなりにかさばる。
それをしっかりと前にかかげ、ぶつぶつと呟きながら歩いているのである。
私なんかは専門書とか一行読んでは、鼻くそをほじり、二行読んでは鼻毛をむしり、三行目で目薬をさし、四行目でよだれをたらすといった感じでまったく集中できないのだが、この先輩はたいそう優秀な方で専門書の世界に入っているのである。
本当に文字以外何も見えていないから、人にぶつかる。背中には読んでいるのと別の専門書がたくさん詰め込まれたリュックサックがあるから、破壊力も抜群だ。
危険人物である。
ブレインストーミングと称して、思いついたことをつぶやきながら深夜に散歩していた当時の私よりはるかに危険人物である。
こんな彼に比べると、歩きスマホのほうがはるかに気遣いできている。
まぁ、それでも歩きスマホというのは、あんまり評判がよろしくない。
ならば、二宮金次郎だって駄目なんじゃないかしら?
やはり同じようなことを考える人は多いらしい。
ウィキペディア先生によると、近年の金次郎は薪をおろし、本を読んでいる像になったのもあるそうだ(注)。
でも、それってサボりでは? などと意地の悪い私は考えてしまう(なお、サボり自体は私は好きなので、サボる金次郎だったら、私の好感度爆上がりである)。
なんにせよ、金次郎の受難は続くのかもしれない。
(注)https://ja.wikipedia.org/wiki/二宮尊徳#尊徳・金治郎像
2024年3月5日閲覧
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます