次のデートの計画を立てた。エルは少しずるい。
八月十日。
所はクリード王国。
北方にあるこの国とて夏は暑い。太陽が空気を灼き、それを大陸左右にある切り立った山峰から吹き込む風が大陸の中央部まで隈なく運ぶ。幸いなのが海から運ばれる湿気は山峰で全て雨となり、吹きおろす風は湿度が低いため不快指数が低い事だろう。
メイベルの故郷であるシュート公爵領は王都よりも魔境に近い北方に位置するためそれよりも涼しい。魔境さえなければ立派な避暑地として観光業で成り立つであろうが魔境があってはどうしようもない。サメの生息域で海水浴場が開けないのと同様である。
そんなシュート公爵家。
現状。
王国内で非常に微妙な立場に立っていると言わざるを得ない。
何せ公爵家が任を解かれた直後に王太子がドラゴンスレイヤーになったのだ。今までの経緯を含めて疑問視されるのも当然の成り行きである。今まではピッチ男爵へ懐疑的だった派閥もこれを機に手の平を返した。
王侯貴族たちの不穏な動きの中、国民はと言えば、お祭り騒ぎである。
耳触りのよい英雄譚。そのヒーローが我が国の王太子であるのだから夢中にもなる。誰しもが自分の事のように大喜びしている。熱狂と言ってもいいだろう。
加えて婚約者であるピーチ・ピッチ男爵令嬢の内助の功にも注目が集まる。王太子と二人きりで魔境に赴き、共にドラゴンを狩ったのだ。そこかしこで詩人が二人の真の愛を歌い冒険譚を語る。王家直轄のレコード会社からはレコードも発売された。
メイベルへの一方的な婚約破棄への悪評など聞こえない。後ろ足で蹴り飛ばした挙句に砂をかけて埋めたように誰の口にものぼらない。一切の批判的意見などなく、ただただサージとピーチの婚約を祝う声で埋め尽くされている。王太子と男爵令嬢の婚約など前代未聞であるというのに。
そんなピーチの生家であるピッチ男爵家が運営する商会の評価も鰻登りである。
誰にでも扱える。
誰にでも魔獣を倒せる。
あなたも魔獣を狩って素材を売る冒険者になりませんか?
国家を護って一攫千金。
こんな謳い文句で大々的に魔道武器を売り出した。
同時に資本を投入して冒険者ギルドを組織し、そこのトップへとドラゴンスレイヤーである王太子を据えるという盤石ぶり。今や冒険者はクリード王国の人気トップ職業である。
そんな冒険者は“なぜか”全くモンスターが出現しなくなったウッソ森林を超えてドリー湿原まで入って魔獣を狩っているという。
このままではシュート公爵家の存在そのものが不要とされる可能性が高い。実際冒険者が集まる酒場ではそのような話が頻繁に囁かれている。
おおむねピッチ男爵の仕込みである。
ここまで至るのにメイベルの婚約破棄から数えても半年足らず。入念な下準備を積み上げた結果であろう事は容易に推測できる。ピッチ男爵の政治家としての手腕を評価せざるを得ない。すでに伯爵位もしくは下手すると侯爵位を授かるのではないかとの噂もちらほらと聞こえてくる。
そんな状況。
当のシュート公爵家一同はさぞ憤懣遣る方なしであると思うだろうが。
そうでもない。
元々の家風として政治的に王国内で成り上がりたい気持ちは薄く。仮に爵位を降格されようと剥奪されようと今まで魔獣素材を王家に収めてきた対価として得た財もあり衣食への不安もない。王都のタウンハウスもシュート公爵家の所有物であるから仮に領地を没収されたとて住の心配もない。
状況としては命の危険だけがなくなった状態である。
この状況を単純な休暇として楽しむ日々をおくっていた。
そんなことより。
タウンゼン・シュート公爵の頭を悩ますのは一通の手紙である。
この男はつくづく手紙に翻弄される運命にあるらしい。
手紙の送り主はメイベル。
手紙フロムメイベルである。
————————————————————————
父上。母上。兄上。
婚約した。
みんな来て。
————————————————————————
内容はまるで下手な三行詩である。
ベル草原を眼下にのぞむ小高い丘に建つ公爵家の本邸の中庭でタウンゼンは叫ぶ。
「メイベルが盗られたのじゃあああああああ」
手紙を破らんばかりに手がワナワナと震えている。こう言ってはアレだがとてもメイベルと血のつながりがあるとは思えない見た目である。筋骨隆々としており白髪混じりの蓬髪に髭面。瞳の色が薄い茶色な所だけがかろうじて血のつながりを感じる部分であろうか。しかし性格的な部分で言えば考えなしでまず行動する部分などはそっくりである。
そんなタウンゼンに横から口を挟む男。
「父上ェ。そもそもメイベルは父上のものじゃありませんよ」
タウンゼンをそのままスケールダウンさせて若返らせたようにそっくりな男。
シュート公爵家長男サラザールである。
中庭に据えられたガーデンソファに身を任せた状態でやる気なく父を揶揄う。
こちらは見た目からしてそっくりであり一目で血のつながりがわかる。しかし中身はタウンゼンやメイベルほど直情的ではなくどちらかと言えばクーナに似て知性派であり、王都内での職務もこなせる秀才である。
同じソファのその横には母、クーナが座っている。
ソファに座っているというのにも関わらず、姿勢はまっすぐピンとしている。ごく一般的な侯爵家の出でありながら、武闘派のシュート公爵家に嫁いできた変わり者でシュート公爵家のブレインである。
クーナが画策した王家対策によりメイベルの心は完全に壊れる事なく人間として生きていられる状態にある。家族内では家長であるタウンゼンよりも発言権があり、実質的な支配者である。
「そうですよ、タウンゼン。メイベルは私の娘です。あなたのメイベルじゃありませんよ」
クールな表情でタウンゼンを見つめながらそう言い終わると、同時に紅茶で口を湿らせる。
とても優雅で優美であり、メイベルが貴族教育をきちんと受けていれば見た目だけはこうなっていたのだろう。メイベルの美しいカーテシーはクーナ直伝である事がそれを証明している。
実際はメイベルの中身はほぼタウンゼンであるため、今とそう変わらない可能性もあるが。
「いや、待つのじゃクーナ! その論理でいくとわしの娘でもあるんじゃが!?」
「ふふ」
意味深に笑いながらタウンゼンを無視して紅茶のカップを傾ける。
「ちょ! やめてその微笑みやめて! わしの娘だよね? ねえ? ねえ!?」
威厳もへったくれもない。
そんなタウンゼンにクーナは少し怒ったような調子で言う。
「もう、当たり前じゃありませんか。お互い魔境では背中を預けて、領地に帰ってきたとしてもあなたは私から離れないでしょう? それに私はあなた以外の人間に魅力など感じませんよ。その逞ましい身体が私をとらえて離さないのは知っているでしょう? もう少し自信をお持ちなさい。あなたは私の夫なのですよ」
のろけ。
猫魔獣に食わせよう。
「クーナ」
「タウンゼン」
熱く見つめ合う二人。今にも手を取りあわんばかりの雰囲気であるが。
その横にはドン引きな息子がいる。
「母上、父上ェ。息子の前でイチャイチャし始めるのやめてもらっていいですか?」
ゲンナリした表情でタウンゼンとクーナそれぞれへ交互に視線を投げる。
「あら? サラザールいたのね?」
「ずっといましたよ。さっきから父上と話してたでしょう?」
「ふふ」
タウンゼンに向けた笑顔と同様の意味深笑顔。
視線はサラザールから少しはずして、まるで見えていないような風情である。
「え? 待って! 僕の事見えてない? 僕いるよね? ほんとやめてその母上の意味深微笑み怖いんだから! その不思議クールな感じがメイベルに遺伝しちゃってるのですよ!」
「あらうれしい」
メイベルが自分に似ているという褒め言葉? を受け取ったクーナが上機嫌な顔でサラザールに視線を向ける。それを受けたサラザールは「褒めてないから……」と片手を振って否定する。
「そしてお前のそのバタバタ体質はわし遺伝じゃなあ。全部クーナに似れば政治的に生きる道もあったろうに。ガハハ、残念じゃったな!」
そんなサラザールにさっき揶揄われたお返しとばかりにタウンゼン。残念と言いながらも、自分に似ている息子がかわいいからこそ出る言葉である。
「嬉しくないよ父上ェ。色々とひっくるめてほんとはこんな風にふざけてる状況じゃないんですよ。どうするんですか一体?」
「何がじゃ?」
「父上ェ? その手の中に握りしめている手紙の事お忘れですか? そんなんだから爵位を剥奪されるんですよう」
呆れたようにタウンゼンの手元を指差す。
「覚えておるわ! それにまだ剥奪されてないのじゃ!」
「あなた? 風前の灯火ってご存知?」
大きく無骨な手に握りしめた手紙を振りながら憤慨するタウンゼンと、それに冷たい視線で事実を突きつけるクーナ。家族全員シュート公爵家の現状を理解しているからこそのじゃれあい。
「クーナ、わしをいじめんでくれえ」
「あらそう? 二人きりの時はすり寄ってくるから喜んでいると思っていたわ。嫌がっているならもうやめるわね」
「いや、待つのじゃ! 嫌なわけではないのじゃ。嫌じゃないのじゃ。むしろ好きな──いやいやいや! 今はその状況じゃないだけでな?」
「ふふ」
情けない声、楽しそうな声、切ない声、喜びの声。色々な声音が交差する。
どの声がだれの声かはご想像にお任せする。これはシュート公爵夫妻の長年積み重ねてきた営みである。どう聞こえたとて二人とも楽しんでいる。
しかしそんな夫婦の営みを見せつけられる息子は堪ったものではない。
「やめて、親のそういう部分を赤裸々に見せないで。ほんとやめて。さっさとメイベルの手紙の話をしてくださいお願いします」
「わかったから涙目になるのはおやめなさい、サラザール」
「ま、そうじゃな。メイベルが盗られたああああああ。から再開でいいかの?」
「戻りすぎですよ、あなた」
「戻りすぎ、父上ェ」
魔境ジョーク。
親子からツッコミがはいる。
「冗談じゃ。メイベルからの手紙じゃがな。これは本格的にわしらの身の振り方を考えるいいタイミングじゃと考えておる」
「そうですわね」
「ですね」
頭脳派の二人は同時にうなずく。公爵家の運営はこの二人の考えで進む事が多いが、ここぞという時の指針は必ず家長であるタウンゼンの意見を確認し、大体その通りになる事が多い。過去の経験上、たとえその判断がクーナ、サラザールの考え及ばない突拍子もないような提案だったとしてもそれに従うと成功してきた実績があり、政治的に細やかな判断は苦手だがここぞと言う大一番の判断には信頼感がある。
「わしとしてはさっさと公爵位を返上してメイベルに会いに行きたいと考えておる」
「流石に王国貴族、ましてや公爵が大手を振って国交もないカナリア帝国に赴くのは難しいですからね。さすが父上、いいご判断かと。母上はどうでしょう?」
「私もそれがいいと思うわ」
今回は満場一致であった。
この日。
クリード王国に武勇の誉れ高いシュート公爵家はその歴史に静かに幕を下ろした。
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同日。
所変わってカナリア帝国。
夏真っ盛り。
帝城内の窓という窓は開け放たれ、城内は夏の暑さと風の涼しさが良いバランスになっていた。大陸南方のカナリア帝国は暑い。とは言っても熱中症などが発生するほどの暑さはない。真夏の最高気温でも三十度を超える日が数日あるかどうかというくらい。基本的に大陸北方から入ってくる冷たく乾燥した風の流れが強いため太陽の近づく季節といえどこの程度ですんでいる。たまに南方から強く吹き込む熱い湿った風とぶつかって天気が大荒れに荒れるのはご愛嬌である。
そして。
いくら暑かろうと。
カナリア帝国皇帝、カイエルの執務は減る事はない。
いくらメイベルと婚約しようと。
カナリア帝国皇帝、カイエルのワーカホリックは変わる事はない。
いくら幸せの絶頂にいようと。
カナリア帝国皇帝、カイエルの執務スタイルは変わる……こ、と……はある。
執務室に一人で黙々と執務に取り組むスタイルだったカイエル。
仕事量の多さに宰相や補佐などが手伝おうとした事があったが、暴虐皇帝として振る舞っていたカイエルの仕事スタイルには誰もついていけずに、結果一人になっていた。
だが今は違う。
室内にはメイベルがいる。
メイベルがカナリア帝国に来て以来、カイエルの暴虐皇帝的な振る舞いはメイベルに接する男性のみに限定されるようになった。メイベルに他の男を寄せ付けないために、結果として執務室にはカイエルとメイベルしかいないわけだから執務の量は減っていないわけだが。そんな事はカイエルにとって些事である。メイベルがそばにいれば仕事の能率は何倍にも跳ね上がる。
現に書類の上を疾るペン先は目で追うのが難しい。
「手紙届いた?」
ソファに浅く腰掛けたメイベルが問いかける。
メイベルが壊した執務室は修復され、前と変わらない状態に戻っている。テラスに面した大窓もすっかり綺麗に直って今は風を入れるために大きく外へ開け放たれている状態だ。そんな大窓とカイエルの執務机の間くらいに据えられたソファに姿勢良く座って先ほどまで読んでいた本を開いたまま膝の上に置いている。
「そうだな。そろそろ届く頃だろうな」
カイエルも書類から顔を上げる。にもかかわらずペン先は書類の上を疾走している。カイエルの並列思考がなせるワザだろうが、どういう仕組みだ。
「喜ぶ?」
メイベルの送った三行詩を見た家族が喜ぶかどうか不安なメイベル。最初に婚約を反対されていた記憶が強くある。この婚約に賛成してもらえるのか実は不安である。
「それはもちろん喜んでくれるだろう。俺の可愛いベルの幸せの報告だ。あの三行詩から匂い立つような幸せを嗅いだら義父上も義母上もすぐにでもメイベルに会いにカナリア帝国に来てくれるだろう」
「そう。ならうれしい。エルは?」
カイエルもメイベルの両親が喜んでくれるとうれしいか? という意味の質問である。質問であるがカイエルにはそれ以上の意味を持つ。愛称で呼ばれているのだ。あの夏の日以来、お互いをエル、ベルと愛称で呼ぶようになっている。あれから一ヶ月近く経ったいまでも愛称で呼ばれるたびに感動と喜びに心臓が跳ねる。
「エル?」
疾走していたカイエルのペンがピタリと止まる。
見れば、褐色の頬を紅潮させ、熱い目でメイベルを見つめている。
そんなカイエルを不思議そうに見つめるメイベル。その無垢な表情、左に傾いた首に同期してサラリと流れる金髪、桜色に潤んだくちびる。メイベルの全てがカイエルの全てを捕らえて離さない。
「ああ、ベル」
「聞いてる?」
「聞いてるさ。俺の耳も、俺の目も、俺の全てが君に向かっている」
そう言って立ち上がりそのつま先をもメイベルへと向ける。
「だめ。仕事終わらない」
ふるふると顔を左右に振る。
「だがなベル、君のその姿とその声とその闘気が俺を誘うんだ」
「だめ。夜のなでなでしない」
さらに強めにふるふると顔を左右に振る。
それがさらにカイエルを自分の元へと引きつけている事には気づいていない。
「ベル、それはいけない。あれは俺の貴重な時間なんだ。あれがないと仕事の休みがとれなくなる。とれなくなると——」
ここで言葉を止める。
就寝前のルーティンを封じると言われたカイエルはとろけそうだった顔を少し引き締めてメイベルを見つめる。途端に締まった美丈夫の表情が浮かんだ。メイベルはこの表情のカイエルが好きである。とろけた顔も好きではあるが、初めてしっかりと見つめた時の皇帝然とした表情を美しいと思った印象が強い。
「とれないと……どうなる?」
「俺と君のデートができなくなる!」
「それはだめ。遠乗りに行く。約束」
楽しみにしていた遠乗り。
海から帰った後、次のデートの約束は帝国内の穀倉地帯へ行く約束をした。
馬に乗ったことのないメイベルはそれをとても楽しみにしていた。デートにそなえて騎乗の練習をしたいと言ったがカイエルはそれをさせてくれなかった。好きに過ごしていいと言ったのにと思ったが、海水浴のように当日慣れればいいやと考えていた。厩で少し馬を見せてもらったがとても可愛くて。あれに乗れる日をメイベルは待ちわびていた。
「だろう? なら今君の手に触れる事でやる気を出して、さっさと仕事を終わらせれば、夜のなでなでも出来るし、明日のデートにも出かけられるじゃないか?」
「手だけならいい」
しぶしぶ。
体を斜めにしてカイエルの方を向き、ソファに座ったまま左手を伸ばす。
そのポーズはまるでミケランジェロが描いたアダム創造のように美しい。伸ばしたメイベルの手。見た目は白魚のようで存在感は白虎のよう。白く透き通るような美しさと全てを白に染める強さが共存している手。
神の手にも等しい。
いつの間にか差し出されたそれを跪いたカイエルが下から恭しく受け取っている。
指先だけが触れ合うくらい。
それが逆にお互いの神経をその指先に集中させる。
ふっと。
二人の視線が絡む。
部屋の外で鳴いていた虫の声が消える。
部屋は静まり。
二人の呼吸音だけが混ざり合う。
しばらく見つめあってからカイエルは視線をメイベルの手へとうつし。
指先だけが触れ合うその手をゆっくりと自分の顔の前まで誘って。
口づける。
二人が作りだした音が部屋の中に小さく響き。
また静かになる。
一陣の風が開け放たれた窓からびゅうと吹き込む。
それはお互いの赤く染まった頬を冷ますように優しく撫でて消えた。
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