馬車にのって港町。抱きしめると幸せ?

 四月七日。


 春だと言うのに空は天まで冴え、エルー神のカラーパレットにはその二色しかないのかと思わんばかりに、青と白のコントラストは際立っている。かといって暑いわけでなく、日差しは春の優しさに満ちており、人々の体のみではなく、心まで暖めようとしているかのようである。


 まさにデート日和。


 メイベルとカイエルはデート場所に向かうため馬車に揺られていた。


「空綺麗」


 とメイベル。


「そらきれい」


 とカイエル。


 馬車に揺られながら空など見えるものか。カナリア帝国の紋が入った馬車はセキュリティが厳しく、窓は小さく、それもカーテンで閉じられ、中が見えないようになっている。当然中から外もみえない。


 そんな馬車に乗っていて空が見える理由は空が見える場所にいるからである。


 時間を少しさかのぼる。


 帝城から出発する際、カイエルは見事なエスコートでメイベルを馬車内に誘った。メイベルも少し不思議な表情を浮かべたが、カイエルの手をとって素直に馬車の椅子に腰掛けた。馬車が走り出し、帝都のメインストリートをゆったりと進んでいる間はメイベルも大人しくポンを撫でながら座っていた。

 しかし。

 城門をこえ、街道に出た頃からだんだんとソワソワしはじめた。


「ぽん(ご主人、言っておくけど出たらだめだよ)」


「暇」


「ぽ(だめだって)」


「メイベル嬢、暇なのか? あと一時間ほどで到着するから、俺と話をしよう」


「カイエル」


「なんだい?」


「長い」


「うむ。ゆっくりと今日の行き先の話をしよう」


「実際見る」


「は?」


「ぽーぎゃあ!(だめだってご主じむぎゃあ)」


 必死で止めるポンのちょいと伸びた獣口を片手で無理矢理閉じるとそのまま小脇に抱え、逆の手で馬車のドアを開き、そのままするりと外へ飛び出した。


「メイベル!」


 走っている馬車から外へ飛び出したかと思い、開いた扉から顔を覗かせて外を確認するカイエル。馬車の後方を確認してもメイベルの姿が見えない。まさか飛び降りたタイミングで馬車の車輪に巻き込まれたか? 恐ろしい想像が脳裏に疾る。

 カイエルはさらに扉を開け放ち、そこから体半分乗り出した状態となり大声で叫ぶ。


「メイベル! どこだ? 無事か!? 馭者! 御令嬢が馬車から落ちた! 馬を止めろ!」


「えっ! ですが!」


 馭者席から抜けた声が響く。皇帝の命令にもかかわらず馬車はなおもスピードを落とさず走り続ける。


「早くしろ!」


 イラついた声で檄を飛ばす。しかし馬車は止まらず、馭者席からは戸惑った声が飛んでくる。


「ですが、その御令嬢に手綱を取られておりまして……なんとも」


「は? なんだと? メイベルがそっちにいるのか?」


「は、はい!」


「カイエルー。こっちきて」


 本当に馭者席からメイベルの声が聞こえてくる。


「来てと言われても」


 高速で走る馬車に乗っている状態で馭者席に移動する術がない。


「手、かして」


 馬車の扉から体を乗り出しているカイエルの前に、白魚のように美しくそれでいて虎の手を思わせる存在感があるそれが差し出されていた。神々しい。まるで救いの手のようだ。カイエルはほぼ無意識でその手を掴んだ。


 瞬間。


 グイッと体が引っ張られる。それは体が馬車の外に引き摺り出されるという意味でもある。そのままふわりと宙を舞い、いつの間にかカイエルは馭者席に座っていた。浮いている間は一瞬であったが、まるで体が重力のくびきから解放されたようだった。

 ぐるり回転した景色はそのまま走り抜ける景色に切り替わり、その目まぐるしさに目をぱちくりとさせた後、隣に座っているメイベルに視線を向ける。特に怪我などはないようでカイエルは一安心した。


「メイベル。無事で良かった」


「うん?」


 この程度で無事でなくなるという認識がないメイベルは小首をかしげる。それがまた小悪魔的に可愛らしい。カイエルの先ほどまでの心配は何処へやらと霧散していた。


 馭者席はそこまで広くはなく、三人座ったらギュウギュウである。ポンなどは居所がなく、メイベルの頭の上に乗っかっている。猫ならぬ狸を被っている。


 そんな状態であると。


 触れ合う。


 メイベルの肩が自分の肩に触れあい。メイベルの息遣いが自分の耳をくすぐり、風に流れるメイベルの金色の髪が自分の頬をくすぐってくる。とろけそうになる幸せに思考が飛びそうになっているカイエル。常人であればそこで思考がとろけて終わりであるが、カイエルは稀代の天才であり、並列思考の持ち主であり、ある事実に気づいてしまう。


 馭者も同じ幸せにある、と。


 その事実は受け入れ難く、カイエルは反射的に命令する。


「馭者。降りろ」


 お忘れかもしれないが、カイエルは暴虐の皇帝である。その命令は可及的速やかに遂行されなければならない。たとえメイベルが手綱を持った事で、全速力を超えた全速力で走っている馬車の上から飛び降りろと言う命令でも。


「へ! かしこまりました」


 決死の覚悟で馬車から飛び降りようとする馭者。

 その首根っこをメイベルが掴んだ。


「だめ。怪我する」


「だが、俺は俺以外がメイベルと触れ合うのは受け入れ難い」


「大丈夫」


「俺は大丈夫じゃないんだ」


 平行線である。

 馭者はどうしたらいいかわからず。エルー神に祈りはじめた。


 ポン曰く。


「ぽーん(狸的には屋根に上がれば解決だと思うの)」


「それ」


「ん? 狸くんはなんと言ったんだ?」


「屋根にいく」


「ああ。なるほど」


 結局ポンの名案に従うこととなった。メイベルがまずは屋根の上に飛び上がり、そこからカイエルを引き上げる。

 掴んだその手。

 その柔らかさとしなやかさにカイエルの頬が緩んだ。

 名残惜しく、屋根の上に上がった後も離さずにいたら、メイベルも無理にそれを離そうとはせず、手を繋いだまま屋根の上に座り、空を眺める事になった。

 もちろんカイエルは空どころではなく。冒頭のうつろな感想に至る訳である。


「いい景色」


「うん」


 いまだに手の感触に全神経を集中しているカイエルと。


 特に何も考えていないが手の温もりの心地よさから離す事をしないメイベル。


 ガタガタ揺れる馬車の天井で、春風を頬に感じながら今日のデートスポットへと向かうのであった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 着いたのは港町。


 町の名前はグリーンタウン。カナリア帝国の海外貿易を一手に担うだけでなく、漁の水揚げを行う漁港としての機能も兼ねており、入出港する船の数は百に届く日もあるほどの巨大な港である。

 当然人がひっきりなしに駆け回り、あらゆる声が響く。

 怒声、嬌声、時に悲鳴。


 町には爆発的なエネルギーが溢れていた。


 馬車の上に仁王立ちしてメイベルはつぶやく。


「人」


 一言であるがこの町の本質である。


「ああ、人だ」


 カイエルもそれがわかっている。メイベルの本質を捉える目に感動しながら、なおも手を離す事はない。


 この町は人でできている。


 人が物を運び、人が物を売り、人が物を買い、人が金を動かし、人が人を動かす。


 人のエネルギーが町を回している。


 人が町の血液となり町の隅々にまでエネルギーを回す。

 エネルギーが人に活力を与え、その人が町に活力を返す。


「すごい」


「ああ、これが俺の目指した国の形だ。もっともっとこのうねりを! この潮流を! 大きくして国中にこのエネルギーを回すのが俺の夢だ。メイベルにこの町を知ってもらうのは俺の夢を知ってもらう事だ。だから今日のデートにここを選んだ。さあ行こう!」


「うん」


 手を繋いで横に並び、二人は同時に馬車の天井から飛び降り、歩きはじめた。

 後ろからもふもふな狸がご機嫌についていく。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 そこから二人と一匹は町を歩き回った。


 市井では皇帝の顔は認識されていないらしく、そこらの物好きな貴族が遊興にきたものだと認識されているようで、誰に特別扱いされるでもなく、誰に避けられるでもなく、ごく普通のデートが可能だった。


 まずは貿易港におもむき商人と会話した。

 最初は貴族のわがままに振り回される可能性から若干避けられたが、メイベルの気安さとポンの可愛さからあっという間に打ち解けた。メイベルの言葉の足りなさも商人のコミュニケーション能力が解決してくれた。


 どうやらここに入港するような商人は半分商人、半分冒険家のような立ち位置らしく、色々な冒険譚を語ってくれた。最近は特に危険度が上がり、今回も命からがら海の魔獣を撃退したという話に、メイベルは蹴ればいいのと訳の分からないアドバイスをしたがそれは笑って流された。話の礼というわけではないが、メイベルが公爵邸で聞いていた他大陸のレコードを数枚カイエルが購入したのであった。


 そこから隣にある漁港に移動し次は漁師たちと会話した。

 漁師たちはメイベルに負けず劣らず言葉が少ない。

 はじめは急に訪れた貴族を見てナワバリを侵された猫のようにやんのかステップを決めてきたが、メイベルが威嚇をすると借りてきた猫のようにおとなしくなった。なぜイライラしていたのか訊ねてみれば、ここ一週間ほど海の魔獣が荒れて漁に出れていない事が原因だったようだ。


 そこでメイベルは海に向かって本気の威圧を放ってみることにした。


 波打ち際まで進み、小さくかがみ込んで、水に手を漬ける。

 そのままメイベルが明確な意志を持って殺意をためると一気にその存在が膨らんだ。

 それをそのまま海に流し込む。

 瞬間。

 波が消えた。

 スッと。

 水面が鏡のようになったかと思うと。

 ザッと。

 何かが引いていく気配がした。


 海の変化に敏感な漁師たちはその変化が自分達にとって喜ばしいものである事を感じ、大急ぎで漁の支度をはじめて船を続々と出港させていった。

 そこの代表だという人間にとても感謝されたが、人間を威圧しないように水面下のみに放つのに少し苦労したくらいで、メイベルにとっては日常生活の一環であったため特に礼は受けとらなかった。


 そこまで回ると、既に昼はとうに過ぎており、陽が軽く傾きはじめる頃合いであった。

 二人と一匹は小腹がすいたため屋台通りに向かった。


 ここは何よりもこの町を象徴するような通りで、食べ物、装飾品、家具、衣類、布、食器などなど、あらゆる物が屋台で売られている。もちろん怪しいスジの商品も多いし、粗悪品も多い。それとは逆に高品質な品物を相場よりも安く購入できたりする。己の目利きだけを頼りに商品と金をやり取りする雰囲気は商いの場というよりは鉄火場に近いものである。


「うまそ」


「メイベルは屋台めしは食べられるのかい?」


「平気」


「ぽん(帝都についてすぐに肉串買ったしね。あれ? そういえばあの肉串どうしたの?)」


「飛んでる時に急いで食べた」


「ぽーん!(ご主人ずるいよ! 焼き立てのやつ! ぼくも食べたかったのに!)」


「狸くんは何を怒っているんだい?」


 メイベルの頭上でふうふうと唸るポンをカイエルは不思議そうに眺めた。


「帝都で買った肉串の恨み」


「ぽーん!(ほんとだよ! ご主人のつがいにもこの恨みを聞かせてやりたいくらいだよ!)」


「聞かせればいい」


「ぽん?(いいの? 家族にすらぼくの従魔契約をわけることなかったのに……)」


「いいよ。カイエル。ちょっと」


 メイベルと狸の内容のわからない会話の輪に入れずに少し寂しげだったカイエルを手招きする。


「ん?」


「こっち来て。遠い。もっと近く。そう」


 呼ばれたカイエルはメイベルの正面に立った。手を後ろに回せばメイベルの体を胸の中に抱きしめられるほどの距離にカイエルは戸惑う。

 鼻先にはメイベルの金糸のように美しい髪が港町の春の陽に照らされている。髪に反射する光がエルー神の後光のようで、神の子であるメイベルの光輝と香気に酔いそうになる。

 むしろ酔った勢いにしてこの手を後ろに回してしまってもいいだろうか。などとよこしまな気持ちを必死で抑えていると。


 トンっと。胸に衝撃が走る。


 衝撃。


 そう衝撃である。


 胸の中にメイベルが飛び込んできた。


 衝撃以外に何があろう。


 カイエルの背中に白魚のような虎の手がまわされ、春の陽よりも暖かい熱を感じる。眼前には金色の髪とその生え際が僅かに見える額が胸に当たっているのを感じる。メイベルの熱と自分の熱が混ざる。溶ける。一つになる。


 ああ。


 これはいいのか?

 え? いいのか? なに? やわらかい。あたたかい。いいにおい。メイベルが胸の中にある。これだけで脳が焼ける。カイエルとメイベルが一になっていく。カイエルとメイベルが全になっていく。


 もっとだ。


 もっとほしい。


 ぎこちなくカイエルの手はメイベルの背中に回る。メイベルを己の胸の中に入れてしまおうとその手に力を込める。


「ぽぎゅう」


 などと可愛い声が聞こえてくる。

 ああ。こんな間の抜けた声を出すメイベルも新鮮だ。もっとだもっと。君の光輝を胸に。君の香気を心に刻みたい。


「ぽーん!(苦しい!)」


「ん?」


 カイエルはメイベルを抱きしめた腹の当たりで何かが声を上げながらもそもそと動いているのを感じた。


「まさかもう皇太子が!?」


 抱きしめる手をメイベルの肩に移動させ、腹の辺りの声の主に視線を落とす。


「ぽん!(ご主人とからむと全員知能が下がるの!? 抱きしめただけで子供ができるわけないだろう? ぼくだよ! ぼく!)」


「……狸くんの言っている事が、わかる!」


「ぽん(成功したみたいね。よろしく。ぼくの名前はポンだよ)」


「……成功」


「さっきのあれは……?」


「子契約」


「ぽん(従魔契約のお裾分けみたいな感じだね。契約者と委譲相手でぼくをはさまないとできない契約だから役得だったね)」


「あんな幸せな契約が……はっ! 俺以外にもこんな契約をしている奴がいるのか!?」


「初めて」


「ぽーん(つがいが初めてだよ。公爵家の人間にも与えてないやつだから、つがいはご主人に気にいられているねー)」


「ポン?」


「ぽぎゃ(むぎゃあ)」


 余計な一言は狸も殺す。ちょこんとでた獣口はメイベルの握力で閉じられた。しかし今さら止めた所で既にその言葉は皇帝の耳朶をうち、言葉の意味はその脳を揺らしていた。


「メイベルの。初めて……だと……」


「ぽ(本当に知能下がってない?)」


 ポンの失礼な言葉は鼓膜を震わすことなどない。既にカイエルの脳は初めてという言葉の響きとメイベルという愛の響きで飽和している。脳の中で反響したその音が鼓膜を震わせる。その音がまた脳の中で反響する。無限リバーブ状態である。


「ああ、至福だ」


 ここでカイエルの意識は途切れた。


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