帝都内をそぞろ歩きして執務室破壊した。肉串おいしい。
四月五日はまだ続く。
時は夕刻。
陽はとぷりと暮れ。代わりに、街の中には暖かい灯火がそこここに点りはじめる。石造りの都は一見固く見えるが、しかし歩いてみると実際は暖かく優しかった。道はガタタとしているが、歩きにくいわけではなく、不揃いな石畳のあいだから顔を覗かせている雑草が風に揺られ、歩く相手に挨拶しているように見え、心が柔らかくなる。
そんな道を歩く一人と一匹。
土地鑑のない街ではあるが、ポンの鼻を頼りに進んでいく。あちらへこちらへ曲がりくねり歩いていく。確かに衛兵の言っていた通りにわかりにくい道が多いらしい。そんな道をしばらく歩くとポンと大通りにぶつかった。その大通りには露天が立ち並び、夜だというのにとても活気に溢れていた。
「お祭り?」
「ぽん!(どうだろうね? それよりもご主人! さっきから肉のうまそうな香りがするんだよ!)」
「それにつられた?」
「ぽ(バレたか! 朝からまともなもの食べてないからさ、お腹すいたよね? ご主人は不定期ご飯人間だから平気だろうけど、ここは魔境じゃないんだから、ご飯は規則正しく食べた方がいいと思うよ)」
「そうね。何がいい?」
「ぽぽぽぽん!(そうだね! 肉だけじゃないよね。魚もあるし。あんな目がイキイキとした生の魚初めて見たよ。さすが港が近いだけあるよねえ。クリード王国では魚って言ったら干物でさ! それすら高級品だったからねえ……)」
「魚好きじゃない」
「ぽん(確かにクリード王国の魚って臭かったよね。て事は?)」
メイベルの言っている魚はクリード王国で販売されているものですらなく、魔境産の魚魔獣の事を指している。大抵はどろっどろの瘴気と毒と泥が合わさったような沼に生息しているもので、どこを食べても泥臭い上に毒臭かった。魔獣の肉はそれなりに美味いのに魚だけはいただけないものが大多数だったためメイベルは魚が好きではない。
となると当然。
「あれ」
指し示した先には肉串の屋台がある事になる。
じゅうと音を鳴らしながら、もうとした煙を口から吐き出す。それはまるで魔獣のような姿である。その匂いと音はとても魅力的で、魅了系の魔獣であるとメイベルは推測した。とてとて魅力には抗い難く。ついついとそれにつられ、ふらりと足は屋台魔獣へと向いていく。気づくといつの間にかメイベルとポンは屋台の前に立っていた。眼前に並ぶ木串に刺された重厚な赤身肉。炭火の熱にうかされ、こぼれた肉汁が炭の上に落ちるたび、煙と共に魅了の芳香を放ってくる。横から次々と客の元へ巣立っていく肉串に視線は奪われっぱなしだ。
「ぽん(定番であるゆえがわかる魅了だよね。ご主人、どうあってもぼくはこれを食べたいと思うよ)」
「うん。負けた」
屋台魔獣に敗北したメイベルは悔しそうに肉を睨んだ。しかしここでの負けは勝ちである。何せ肉を喰らうのだ。実質勝ちであろう。無言で指を二本。店主に向かって示した。
「おお、見かけないお嬢様だね。肉串二本でいいかい?」
「そう」
「銀貨一枚だよ」
「これ」
メイベルが皮袋から銀貨を取り出して店主のオヤジに手渡す。手のひらに落ちた銀貨が音なく吸い込まれたと思うと、逆の手から肉串が一本ぬうと現れた。それをメイベルが受け取り、首元にいるポンに差し出すと、耳元でカフカフと可愛い音を立てながら肉串に食いつく。食べる邪魔ではあろうが、思わず逆の手で軽く頭を撫でてしまう。ポンはその手に軽く頭を擦り付けてからまたカフカフと肉に食いついた。
そんな見慣れない一人と一匹に店主のオヤジが話しかける。
「もう一本は待ってくれ、炭火で仕上げたやつが丁度切れちまった」
「うん」
メイベルの了承を受け、バットにとり置かれてあった肉串を数本手に取ると、炭火の上に並べはじめた。炭に身を焼く肉串を見つめながら、店主はメイベルに話しかけた。
「お嬢さん、随分と綺麗だけど、お貴族様かい? ここいらじゃ見ない顔だね?」
「クリード王国から来た」
「クリード!? 随分と遠い所から来たんだな。旅行かい?」
「傷心旅行」
「ほー傷心。失恋かい。そりゃあご愁傷さまだったな。だけどね、お嬢さんはいい勘してるよ」
「何が?」
「傷心旅行にカナリア帝国を選んだ事さ」
「何かおすすめ?」
「いやー。おすすめしかないよ。この国には海あり山ありで遊ぶ場所には事欠かない上に、貿易港もあるから異国からの品も豊富だ。この大陸の流行はこの国からはじまるって言っても間違いないよ」
「いい国」
「ああ、いい国だ。それもこれも全部、皇帝サマサマってやつだな」
「皇帝? カイエル?」
「おお、気安いね。陛下の知り合いかなんかかい? 流石に陛下を呼び捨てはいけないよ」
「わかった」
「それがいいよ。この国は陛下のお陰で栄えているんだ尊敬をもって接しないとな」
「カイエル、何がすごい?」
「敬意は!? さっきの話、聞いてた? まーいいさ。何がすごいってね。簡単に言えば政治を一新したんだ。今までの貴族優先から民優先の政治に変えてくれたって事さね。敬意とか言った後に、こう言っちゃアレだがね。先帝の時代は貴族の横暴が激しくてね。だいぶ苦労したモンだが、今の皇帝に代替わりしてからはそういった貴族が一掃されて、商売でもなんでも全部がやりやすくなったね。おかげでおれらみたいな平民は大助かりで、街にも活気が溢れてるってわけさ」
「貴方の主人、すごい」
「ん? 主人? 皇帝だから主人、かもしれねえけど。おりゃあ、お嬢さんみたいなお貴族さまじゃないからよ。皇帝が主人ってのはちょっと違うんじゃ……」
「誤魔化さなくていい」
「ごまか!?」
「貴方、暗部?」
驚いた顔をしたオヤジの顔から、するりと落ちるように表情が消えた。
「おう? カマかけじゃねんだな?」
「うん。オヤジは少年。手のひらが綺麗」
肉串の代金を受け取った手。手の甲なんかは焼き鳥を焼く男の手のようにゴツゴツと焼けた手になっていた。でも銀貨が吸い込まれた手のひら。そこだけは少年の手のひらだった。指先や手のひらは繊細な動作が要求されるため偽装をしていなかったのだろう。提示した証拠としてはそれになるが、メイベルはそれ以前に微弱に漏れ出す強者のオーラを感じ取り、この屋台を指名していたのだった。敵かと警戒していたのである。
まあ。肉串を見てからは肉串に夢中ではあったが。
「……バレてんだ」
じゅう。
肉汁が炭火に落ちて音を立てる。
頃合いだ。
そのまま無言で炭火の上で程よく焦げ目のついた肉串に軽く塩を振り、メイベルに手渡してくる。メイベルがそれを受け取るために一瞬視軸を移動させ、それを再度オヤジに戻す。するとそこにいたのはオヤジではなかった。
天使のように可愛らしい少年である。
ふわりとした栗色の毛、小さくまとまった鼻、くりりと丸い瞳。鼻と目の近さがあどけなさを際立たせている。どこから見てもそばかすの可愛い少年である。だが、メイベルの隙をついて姿を変える事のできるこの少年がただの少年であるはずがなく、何らかの達人であると推測される。
「びっくりした?」
「うん」
「おれもびっくりしたよ。まさか見破られるなんて。本当の姿を見せる必要なんてなかったんだけど、驚かされた意趣返しだと思ってよ。おれはジョンだ」
「メイベル。よろしく」
「よろしく。自己紹介がてらに軽く会話と行きたいが、バレちまってるならアレだ。おれとの時間は勿体無い。皇帝が首を長くして待ってるよ。クリード王国から戻ってこっち、ずっとソワソワしてんだよ。メイベル嬢はまだかまだかってね。だからさ、屋台に寄り道しないで早く行こう。おれが案内するよ」
「カイエルはせっかち?」
「せっかちかな? いや、あんな陛下は初めてだな。多分メイベル嬢にだけだと思う」
「ふん? カイエルはどこ?」
「ん? 今はまだ執務室にいると思うよ。陛下は残業だらけだからね。ほら、あそこの大きな窓。わかる?」
指差した先には大きな城。いわゆる帝城であろう。その城で光る一際大きい窓が見えた。その手前には大きなバルコニーも見える。
「わかった」
ひとつうなずく。
「うん、よかった。で? 部屋を知ってどうするの?」
膝を軽く曲げて伸ばす。
「大丈夫。ありがとう」
今度は膝を深く曲げ、深く沈み込む。
「いや、だから。どうするの? ってちょっと待ってよ! 何する気か知らないけど、ほんとにちょっと待って!」
不審な行動と、不穏な言葉に、少年ジョンは慌てた声を出す。しかしメイベルにそんな事は関係ない。
「飛ぶ」
その場に残したのはその声だけ。
少年ジョンの耳にその声が聞こえた時にはすでにメイベルは目の前から消えていた。音が少年ジョンの耳に入るよりも早く飛んで消えたのである。その場に残された少年ジョンは呆気に取られ、天まで飛んで月に消えたウサギを探すように、星空のあちらこちらへと視線を泳がせるのであった。
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時間は少し巻き戻り、メイベルが少年暗部ジョンと会話し、ポンが肉串をカフカフと食べている頃。
カイエル皇帝は執務室で上機嫌で残業をこなしていた。上機嫌の原因は衛兵から届いた伝令である。内容はメイベル嬢が帝都についたというものだった。丁重に皇城に案内するようにと即座に指令を出した。公的な指令へ即座に反応した守護騎士。それと同時にそばに身を潜めていた暗部も飛び去った気配がした。
一人きりになり、口からついと言葉が漏れる。
「ついにきたか」
この一週間。
待ち。焦がれた。
待ちすぎて、焦がれすぎて、執務に手がつかない。
という事はない。
カイエル・カナリア皇帝は稀代の天才である。
どんな状況であろうと、どんな事に意識が囚われようと、それとは別の部位で脳を稼働させ、その部分で執務を遂行する。脳の中に何人もカイエル皇帝が存在するようなものである。
例えば。
メイベルが来てくれた。メイベルがあっという間に来てくれた。もしかして彼女も自分に会いたいと思ってくれていたのだろうか。そうだったら嬉しい。いやいや期待しすぎるな。彼女はそんな単純な人間ではない。あー、でも来てくれた。それだけでいい。嬉しい。嬉しいうれしいウレシイうれ……シ……。
なんて考えが頭の中をクルクルと回っていたとしても、脳の別部位で執務を並列で処理できるのである。そのおかげで恋に目覚めた中学生のような思考に囚われながらも、今もしっかりと書類を処理しているのであった。
そんな幸せな夜。
突然。
窓が弾け飛んだ。音は豪雷のごとく。執務室の窓が外から内へと砕け散る。部屋の中が粉塵で煙る。
その粉塵に紛れて一人の人間が転がり込んできた。
勢いが激しく何者かは判断できないが、このような狼藉にでる人間は敵対者であろう。
室内には執務中のカイエル一人のみである。
チャンスを狙っていた暗殺者であろうか。カイエルには敵が多い。
即座に護身用の剣を抜き、執務机を飛び越すと、粉塵の中の闖入者。その肩に刀身を乗せ、首元へと刃を据える。しかしその人間は首へ据えられた抜身の剣を意に介する事なく、粉塵の中からすっくと立ち上がった。同時に肩に乗った刃がクイっと上に持ち上がり、部屋のシャンデリアの光を乱反射させる。
それはまるで後光のように女の顔の後ろに光差す。目が眩み、思わず細めた目に、映されたのは女。
なんとも美しい女だった。
思わず上から下へと視線で撫でてしまう。
長身細身でありながらボディラインは女性らしい曲線で、自分の腰よりも高い位置に据えられている腰からスラリと伸びているのは大太刀のような脚である。
視線を上げ、再度顔を見る。
だれあろう。
皇帝が一目惚れし、他国からわざわざ嫁に迎えようとしている、メイベルその人であった。
「きた」
悪びれる様子なく堂々と到着を告げる。来いと言われたから来た。そんな様子である。
「ようこそ、メイベル嬢」
今にも歓喜の歌を歌いださんばかりの笑顔で、肩に据えた剣を鞘に戻す。
「驚かない?」
反面、メイベルはつまらなさそうに視線を落とし、足元で目を回している狸のポンを持ち上げると、先ほどまで乗っていた剣の代わりとばかりに肩へと乗せた。この登場はメイベル的にはサプライズのつもりであった。
「むしろ喜ばしいさ」
「これも?」
破壊され尽くした大窓を親指で示す。
サプライズとは言っても、本当はバルコニーに飛び降りて、静かに登場するつもりであった。しかし思わず勢い余って着地地点を誤ってしまった結果が、これ(高さ三メートルほどはあろう豪華な一枚ガラスで作られた窓ガラスは粉々に砕け散り、丈夫そうな木に美しい装飾が彫り込まれた一点物の窓わくも既に焚き木にしか用途がない状態)である。さすがのメイベルも怒られそうな気がしている。
「壊れた窓なんて、メイベル嬢がこの国に来てくれた喜びに比べるべくもない」
「変な男」
「変な男でなければ皇帝になどなっていないさ」
「わかる。王族も変な人間だった」
嫌な事を思い出しかのように顔を顰めるメイベルを見て皇帝もまた苦笑いを浮かべる。
「クリードの王族とは違うと思いたいね」
「違う、と思う」
とは言ったが、メイベルに人を見る目はない。それは本人が一番よくわかっている。生まれてこの方、王族のため、民のため、人生の全てを魔獣退治に捧げてきた。その結果が婚約破棄である。その結果が民からの蔑視と畏れである。今回は違うと思いたい。というのが本音であろう。
「違う、とは言い切ってくれないね」
メイベルの表情から、言葉通りではない事を察する。
「人を見る目、ない」
「大丈夫。任せてくれ。俺が今からそれを証明していくから」
「そう」
「ああ、期待してくれ。メイベル。と呼んでもいいかい?」
「いい」
「ありがとう、俺の事はカイエルと呼んでくれ」
「わかった」
「メイベル。ようこそカナリア帝国へ。俺が必ず君を幸せにするよ」
しっかりと目を見て、自分の名前を呼ぶ珍しい人間に、メイベルはなぜか視線を逸らしてしまった。
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