三章 愛されない悪の皇女
第40話
「おや?キャンディス皇女殿下、バイオレット宮殿にいらっしゃっていたのですね。珍しいですねぇ」
キャンディスはニッコリ笑う糸目の男性を見て肩を揺らした。
ヴァロンタンの右腕で影として護衛を務めているユーゴだ。
よくキャンディスに忠告をしてきた嫌な奴で彼は貴族でもなく、ヴァロンタンが奴隷だった彼を拾い上げて護衛としてそばに置いている。
この国では黒色は呪いの象徴とされているため、ユーゴは好奇の目に晒されている。
しかし北の戦闘民族の出で幼い頃に人攫いにあってからヴァロンタンに拾われて忠誠を誓っている。
ヴァロンタンが信用してそばに置くのは彼一人だけ。
今も人当たりのいい笑みを浮かべてはいるが、最も警戒すべき人物であることには違いない。
キャンディスはユーゴをめちゃくちゃ嫌っていた。
その理由は黒髪黒目だからと、アルチュールと同じで高貴な生まれではないからだ。
いつもヘラヘラとしているのに、キャンディスを見透かしたように言葉を発するところも癪に触る。
キャンディスは母親が病死した後、父親に愛されたいと強く願った。
もう母親からの愛は永遠に得られない。
しかし父親は近くにいることに気付いた。
キャンディスは母が死んだ十二歳からバイオレット宮殿に押しかけていたのだがヴァロンタンがキャンディスのために時間を作り、話すことはなかった。
そんなヴァロンタンの代わりにキャンディスを追い払っていたのがユーゴである。
キャンディスはユーゴのふざけた立ち振る舞いが大嫌いだった。
ユーゴの生い立ちや見た目に文句を言って罵りながら去っていくのがいつものパターンだ。
(真逆作戦ではユーゴを馬鹿にしちゃダメよね。優しく……する必要はないだろうから、アルチュールと同じように普通に接しないと)
自分の信頼を寄せる腹心を馬鹿にされてしまえば気持ちのいいものではないだろう。
キャンディスも最近、エヴァとローズを好きだと思う。
まだ少ししか共にいないけれど、彼女たちを誰かが馬鹿にするものがいたら許せないだろう。
ヴァロンタンはユーゴを庇うことはしなかったが、報告を受けていたに違いない。
キャンディスにとってユーゴは父との間を阻む邪魔者だったのだが、実際はキャンディスの方が邪険にされているという悲しいパターンである。
ヴァロンタンは無言でキャンディスに視線を送り続けている。
端正な顔立ちから感情はまったく読み取れない。
緊張からキャンディスはゴクリと唾を飲み込んだ。
ユーゴはキャンディスの前に手を伸ばす。
以前は触らないでと言いながら打ち払っていただろうが、今回は迷うことなくユーゴの手を取り立ち上がった。
「ありがとう、ユーゴ。助かりましたわ」
「……!」
キャンディスはにこやかに笑みを浮かべながらユーゴにあえて御礼を言った。
そんなキャンディスの行動にヴァロンタンの眉がピクリと動く。
ユーゴも驚いたのは一瞬だけで、すぐに表情は元に戻り「どういたしまして、皇女様」と言った。
そしてキャンディスは息を整えた後に挨拶するためにドレスの裾を持つと頭を下げた。
そしてそのままヴァロンタンが話しかけるまでは何も言わずに待っていた。
(話しかけないで!話しかけなくていいからそのまま通り過ぎて……!あの日のことを思い出して泣いてしまいそうだわ)
通常、目上の人から話しかけられなければ挨拶をすることすら許されない。
時が巻き戻る前までは娘だという理由で、会えば自分からガンガン話しかけていたキャンディスだったが、今はもう真逆作戦により関わりを持たないようにしなければならない。
緊張からかドレスの裾を持つ手にじんわりと汗が滲む。
何も言葉もないが無言で向けられる視線。
子どもの体にはこの体制をキープすることが厳しくなり、そろそろ限界が近づいている。
足がフラリとした瞬間にカチャリと音が聞こえてキャンディスは肩を揺らした。
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