天望の繭5 街歩き

 街が出来て砦が建つと、しばらくして砦は王の城と呼ばれるようになり、外からやってきた人々が新しい住民となって広げていった。それが橋を渡った先の新市街だ。

 建物は旧市街と同じ色彩だが、屋根の形や窓枠の装飾などに植物が絡むような意匠が多数見られ、現代建築の華やかさがある。また広場や公園、大通りなど、十分な空間を保持するよう設計されているらしい。緻密な細工を思わせる旧市街と悠然とした新市街によって『開かれた都市』の印象を強めている。


 そんな新市街を駆けてたどり着いたのは、色とりどりの簡易天幕が並ぶ広場だ。支柱に布を張っただけの屋根の下、一ヶ所だけ人が集まっている。シルヴィアに待つように言ったレオンはそちらへ行って「二つ!」とよく通る声で叫んだ。


「はいよ! 順番にね……って、おやまあレオン様! また秘書官様に内緒で買い食いかい? 懲りないねえ」

「奇跡的に開店時に居合わせたのに、ここで揚げ肉玉を買わない愚を犯すわけがないだろう」


 どっしりした腹回りをした店主との気軽なやり取りに、店先に集まっていた客たちが沸いた。


「さっすが殿下! この街のことをよく知ってらぁ!」

「そうそう、ここの揚げ肉玉は開店と同時に買わないと! 後回しにすると絶対売り切れているのよね」

「ええ、私も夫もこの店のものが大好物で」

「レオン様がそんなことを言うから、せっかく我慢したのにもっと欲しくなっちゃったじゃないか。ええい店主、追加で二人、いや三人前だ!」

「あたしも二人前追加ね!」


 旧市街にいた人々よりもこざっぱりした実用的な服装の人々がさらに活気付き、シルヴィアが普段接するものより荒っぽい言葉遣いで注文を叫んだ。店主が「はいよ、まいどあり!」と額に汗を浮かべて先ほどよりも素早く手を動かす。

 店主の前にあるのは油の鍋だ。丸めた肉だねにパン屑をつけたそれを鍋に放り込むと、しゅわあと気持ちのいい音がする。ゆさゆさと泳ぐ肉だねはやがて黄金色に揚がり、ぱちぱちと喝采めいた破裂音を響かせる。それを木べらでさっと掬い、油紙で作った袋に数個入れて、代金と引き換えに客に渡した。代金は足元の箱に投げ入れ、その間に放り込んだ新しい肉だねが油の中で心地よい音を奏でている。流れるような店主の動きは達人のそれだった。

 客は途切れず、中には我慢しきれなくなったらしく袋から取り出したそれを頬張って「熱い」と頬を緩めている者がいた。買い物を終えてにこにこしながら次の店で食材を吟味する者もいる。気付けば周りの店も営業を始め、売り込みの声がしていた。揚げ肉玉の店に限らず様々な店の前に客の姿がある。


(女性の声がする。あの少年は客引きだろうか。あの黄色い天幕の下が妙にきらきらしているのは、商品でも飾っているのか)


 食べ物の匂い。人の声。熱。色彩。太陽の光、天幕の影。シルヴィアの感覚が開かれて告げる。これらはすべて人の営み、その一部。


「何か面白いものでも見つけたか?」


 油と肉の香ばしい匂いがする袋を差し出して、「そら、揚げたてだぞ」とレオンが言う。


「それは、私が受け取っていいものか?」

「もちろん。そのために二人分買ったんだ。冷めないうちに食べてくれ」

「そうか、感謝する、じゃない、ええと……ありがとう」


 慌てて言い直すとレオンは「どういたしまして」とくすりと笑って、自分の分の袋から揚げ肉玉を摘んで口に放り込んだ。

 しゃくっ、と香ばしい衣が砕ける音。


「……うん、美味い!」

(ほう、そんなに)


 取り出した揚げ肉玉は、人差し指と親指で作る輪ほどの大きさだ。長く持っていると紙袋越しでもひりついて感じられるほど熱い。

 レオンに倣って口に放り込むと、じゃくっと音がした。


(これは……!)


 さくさくの衣が割れ、中から肉の味が溢れ出す。脂がしつこく感じられそうなものだが、それを抑えるのが肉だねに隠された玉ねぎと香辛料の味わいだ。玉ねぎは甘く、香辛料はぴりりと辛く芳しく、数種類を組み合わせているようだった。


「味はどうだ?」


 一つ、もう一つと口に運ぶ姿で答えは明白だったのだろう、レオンが嬉しそうに笑う。


「素晴らしく美味だ。一見素朴だが作り手の細やかさを感じる。肉の質、調味料や香辛料の配合に、最も感心したのはこの大きさだ。女子どもでも摘んで食べられる大きさで、もう少し、もう一つと手が伸びやすい。非常に考えられた料理だ」

「そうか、気に入ってもらえたならよかった」


 究極的には食事を必要としない身体ではあるが、シルヴィアはよく食べる。その味を知りたい、味わいたいという好奇心に由来するのだろう。このときも数分と経たず揚げ肉玉を完食してしまった。


「お嬢さん、可愛らしい上によく食べるなんて最高じゃないか」


 すぐ近くの店の者らしい女性が、切っていた赤い果物を差し出した。


「これもお食べよ。お代はいいからさ」


 何故食べ物を恵まれるのかわからず、しかし素直に尋ねて問題になる可能性を考慮し、最も身近な常識と世俗の案内人であるレオンを見る。いいのだろうか、という疑問を読み取ったレオンは安心させるように笑って頷いた。


「まだ食べられるようなら受け取っていいと思うぞ」

「そうそう、遠慮しないで。もし気に入ったら、今度うちの店に買いに来ておくれ」


「それが狙いか」とレオンに言われて女店主はわははと豪快に笑っている。遠慮も何もそれ以前に半分に切って二つになった赤い果実を無理やり握らされていたシルヴィアは、束の間呆然と手の中の果実を見つめた。

 柑橘らしい、橙色の肉厚の皮に隠された実は赤く、たっぷり水を含んだ一粒一粒が輝いて、甘さと酸味を帯びた香りを立ち上らせている。


(綺麗だな。これを『宝石のよう』と言うのだろう)


 鼻先に近付けてみると、より強く甘酸っぱい香りを感じる。心地よいそれを取り込むように深く呼吸すると、身体の内側に爽やかな風が吹くようだった。その快さはそのまま素直に喜びとなって表出する。


「とても美しい果物だ。感謝す、……ありがとう」


 シルヴィアは満面の笑みで感謝を告げた。

 するとレオンは目を丸くし、女店主は「あらまあ……」と絶句していた。どうしたのだろうと首を傾げると、女店主はぱちぱちと瞬きをした後、先ほどよりもずっと深い笑みを向けた。


「こちらこそ、ありがとうね。綺麗なものを見て寿命が伸びた気するよ」


 そこへお客がやってきたので、シルヴィアはレオンに促されて店を離れた。直前、店主が気が付いて「またね!」と手を振るのにこちらも手を大きく挙げて応じ、いつの間にか人通りの多くなった天幕の広場を抜け出した。


「あの場所で街の者は食事を買い求めるんだな」

「そうだな、買った方が安くて美味いと考える者たちが利用する。調理するにも手間や費用がかかるし、設備がない家もあるから」


 服装からも見えるように人々の暮らしには様々な段階があるのだ。宣伝のためであったとしても果物屋の女店主の行為はシルヴィアへの親切だったのだろう。


(次にこちらに来ることがあれば、あの店で果物を買おう)


 そう心に決めて、シルヴィアは手にしていた果実の半分をレオンに差し出した。


「先ほどの返礼にはならないが、君に」

「くれるのか? ありがとう」


 果実を受け取ったレオンは先ほどシルヴィアがしたように鼻先に近付けて香りを確かめる。


「いい香りだ。これは南の国の果実でパムロットというんだが、知っているか?」

「知識としては。常緑樹に成る果実で、白い花が咲く。柑橘の一種だが、特徴的なほろ苦さがあるという。……これがそのパムロットか」


 レオンの見様見真似で外皮を剥き、白い薄皮に包まれた赤い果肉を食す。

 柑橘の甘酸っぱい汁気に、わずかな苦味。顔が歪みそうになるが、食べ続けていると気にならなくなる。むしろただ甘いよりも癖になる味だ。


「苦味は大丈夫そうか? なるほど、なかなかいける口だな」


 レオンは嬉しそうにしながら何か思いついているようだった。ルヴィックなどはその実行力に頭を悩ませているが、シルヴィアは常識や権威から遠いだけにレオンのそれを率直に好ましく感じていた。いつかの言葉を借りるなら、彼の言動や発想は、シルヴィアが求める人の世界の『驚き』と『非日常』を体現するものだった。


 果実を食べ終えると、路地を抜けた先の小広場に案内された。

 小広場には井戸があり、レオンはそこで遊んでいた子どもたちに報酬の小銭を渡して、水汲みと食べ終わった紙袋と果実の皮の処分を頼んだ。少しでいいと事前に頼み、非力な子どもたちが汲んだ少量の水でレオンに促されるままに手を洗った。


(……さっきから視線を感じる)


 振り向くと、視線の主である少年たちがぎくりと肩を揺らした。


「な、なんだよ!?」

「それはこちらの台詞だ。私に何か用か?」


 乱暴に問いただされる謂れはないと淡々と応じると、先頭の少年は奇妙な反応を示した。黙りこくったかと思うと顔を真っ赤に染め上げたのだ。


(怒っている? いや違うな、これは……)

「そいつに不用意にちょっかいをかけると怪我だけじゃ済まないからな?」


 足元に少女たちをまとわりつかせたレオンが笑い、シルヴィアはむっとなって言い返した。


「さすがに子ども相手に戦わない。そのくらいの道理は持ち合わせている」

「すまない、言い方が悪かった。お前の判断能力を軽んじたわけじゃないんだ」

「ねえねえレオン様、この子だーれ?」

「どこの子? 見たことなーい」

「お貴族様? 騎士様みたいな格好だね!」


 髪色も年齢もばらばらな、しかしなんとしてもレオンに触れるか視界に入るかしたいらしい少女たちがシルヴィアをちらちら見ながら尋ねる。


「彼女はシルヴィア。いまは黒剣隊の一人として俺に力を貸してくれている」

「黒剣隊? こんなに小さいのに!?」


 その言葉に少年たちもぎょっとしている。子どもたちの興味と疑いの視線が集中し、さすがに居心地の悪さを覚えた。


「見た目は小さくてもれっきとした戦士だ。ここにいる全員が本気で戦っても勝てるかどうか」

「そんなに!?」

「レオン」


 頭を抱えるというのはこういう感覚なのだろう。決して嘘偽りではないが、それを子どもたちに聞かせてどうしようというのか。

 未成熟な人間はときに物事を必要以上に拡大解釈し、期待をかけたり希望を抱いたり、恐怖の対象として捉えたりするものだ。もしそうなったらシルヴィアを保護しているレオンにも類が及んでしまう。

 だがそんな心配を他所に、レオンはくすくす笑って「そろそろ行くか」とシルヴィアに声をかけて子どもたちの輪から抜け出した。


「ええぇ!? もう行っちゃうのぉ? もっとお話ししたいのにー」

「俺たちも! 教えてくれた正しい素振り、できるようになったか見てほしい!」

「悪いが今日は時間がないんだ。そのうち祭りの準備で視察に来る予定だから、そのときにしてくれ」


 聞き分けよく引き下がった子どもたちだが、もちろん「約束だよ!」と念を押すことは忘れなかったし、レオンはレオンで角を曲がるときに一度振り向いて手を振っていた。


「断ってよかったのか? 私は君に付き合うと決めているから、彼らと過ごそうと何をしようと君の自由だ」

「今日は止めておく。お前と過ごすと決めているからな」


 ふと、どんな顔をしてそれを言ったのか気になった。

 しかし路地を抜けた瞬間に差した光で、確かめることは叶わなかった。

 眩しさに目を細めて周囲を確かめると、新市街の大通りに出ている。ここでも通りの両端には様々な店が並んでいた。

 書店、楽譜専門店、楽器店に、手芸用品店と販売店があれば、代書屋に郵便事務所、警ら隊の詰所に、仕事を斡旋する紹介所もある。なお酒場などがある歓楽街は北の川沿いにあるそうだ。


「腹ごなしに身体を動かすか」


 呟くレオンの後に続いてやってきたのは新市街の中心にある時計塔が立つ大広場だ。

 街の大門からルクレス大橋に至る大通りは、時鐘を抱く塔が建つ大広場を経由する。時計塔に隣接するのは主神アンブロシアスを祀る神殿だ。ちらほらと人の姿があり、静かな活気が感じられる場所だった。


(うん、善く信仰されているようで何よりだ)


 神殿も、その前の道にも荒れた様子がない。定期的な清掃を行うなどして治安が維持されているからだろう。神々の末端も末端の身ながらそうした平和な光景は嬉しいものだ。

 レオンが向かったのは神殿、ではなくその隣の時計塔だった。

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