天望の繭4 王都を知る
担当の業務に就くというカンナと別れるとレオンと二人になった。カンナと違ってシルヴィアは今日は急遽非番となって仕事を持たない。普段は図書館で読書に耽るか城内を散策するのだが、なんとなく気乗りしない。
何故なら、それよりもレオンが気になるから。
「……っ!?」
ばちっと音を立てるように目が合った。
驚いて顔を背けた。予想外のことに急激な動悸に見舞われる。
(なんだこの、失敗したような、過ちを行ったような感覚は……)
動揺するシルヴィアは見えないところで、不思議そうな表情を柔らかい笑みに変えたレオンに気付かなかった。視線を戻したときには悪巧みを思いついた顔になっていたからだ。
「なんだか気分転換がしたいな……シルヴィア、付き合え」
「気分転換?」
ちょいちょいっと手招きするレオンはもう先を歩いている。急ぎ足で追い付くと、レオンは何故か上着を脱ぎ始めた。
目の前で着替えが始まると、女性が近くにいた場合悲鳴や呻きなどの反応が見られるが、レオンのそれにシルヴィアは慣れている。着替えもせずに執務室を飛び出してきたので上衣をくつろげたり、稽古が終わった後、汗みずくのそれを脱いだりするし、他の騎士や隊士たちも怪我の手当てをするなど無造作に脱ぎ捨てるからだ。
「手合わせをするのか?」
「いいや。今日は趣向を変える」
だから今回もそれだと思ったのだが、違うとレオンは言う。
そうして向かったのは訓練を行う騎士団舎ではなく、真逆の東側だ。建物を抜けた先には城の者が使う厩舎がある。ここが目的地なのかと思ったが、馬を借り、ついでに厩番に脱いだ上着を預けて騎乗したレオンの後ろに乗せられ、前庭まで来てしまう。
「レオン、どこに行くつもりなんだ? 私はどうすればいい?」
気分転換と言われて、どこへ行って何をするつもりなのか、まったく思いつかないシルヴィアはついに音を上げた。返ってきたのは笑い声、それも人の悪い、楽しそうな笑顔と一緒だった。
「街に行く。案内すると言って延び延びになっていたからな」
「いまからか?」
「そう、いまからだ。行くぞ!」
高らかに告げたレオンは一気に馬を走らせた。
城の門番に「ちょっと出掛けてくる!」と叫べば、彼を妨げるものは何一つなくなった。開かれた門を通り抜け、川風の吹く崖上の道を早駆けで降るシルヴィアの目に、きらめく大河と眩い城下街が映る。森の溢れる木漏れ日を浴びて再び太陽の下に出ればそれらはもう間近にあった。
「あれぇ? レオン様じゃないですか!」
「その格好は、もしかしなくてもお忍びですね?」
街に入ってすぐのところで声をかけてきたのは壮年の夫婦だった。女性は茸や野草でいっぱいの籠を抱え、男性は薪割りをしていたらしく斧を手に、額の汗を拭っている。なんとなく見覚えがある二人だ。
「シルヴィア。二人は城内の食堂に勤める料理人だ」
「ああ! 思い出した。第一食堂にいるところを見たことがある」
レオンの後ろから顔を出して言うと、二人は似たような顔でふっくらと笑っている。そこの赤い屋根の家が彼らの住居で、城には通ってきているのだ。
「親方、おかみ、いいところで会った。ちょっと馬を預かってくれないか?」
「ええ、構いませんよ」
慣れているのだろう、あっさり馬を預かってくれる。その上「いま上着をお持ちすますね」と上着を持ってきた。体格のいいレオンに合うそれは間違いなく、街に降りる際に立ち寄ることを想定して備え置いているものだ。
「ん、どうした、シルヴィア?」
身なりだけはすっかり街の者になったレオンの純真無垢な態度に、シルヴィアは恨めしさと憎らしさを獲得したことを自覚した。自然と眉間に皺が寄る。
「……ルヴィックが君と言い争いをする原因の一端がわかった。私は非番だが、君はそうではないはずだ。だというのにいつもこんなことをしているのなら、『困った王太子殿下』と呼んで、行動を改めてくれと叱責したくなっても仕方がない」
しばらくすればレオンの不在にルヴィックが気付く。離宮に問い合わせ、同行したはずのシルヴィアとカンナを探す。カンナから途中で二人と別れたことを聞き、シルヴィアの姿がなければ、いずれ門番に問い合わせて外出したと知るだろう。
帰城後のルヴィックの反応を想像して擬似的な頭痛を覚える。自由で大らかなレオンに度々怒気を滲ませて接している彼は、シルヴィアにも何故止めてくれなかったのだと秀麗な顔を怒りに歪めるに違いない。
「まあそのときはそのときだ。いまは気にするな」
その反応もまた予想通りだった。君は気にしろという言葉を飲み込んで、シルヴィアはため息を吐き、料理人夫妻から見送られて街に繰り出した。
馬上から眺め、任務の際は通り過ぎるだけだった街を、散策を目的に歩いてみれば、以前よりもずっと気付きが増えている。
街並みや石畳の古さと歴史。建て増しされた家々の赤い屋根と白い外壁。外壁の窓辺にある鉢花は花が終わり、青々とした緑になっていた。
しばらく行くと人通りが多くなり、道沿いは大抵が物を作って売る職人の店になる。それぞれが意匠を凝らした金属製の看板を下げていて、眺めるだけでも面白い。同じ仕立て屋でも帽子、手袋、靴にドレスと専門店があるし、競合する店は特色を示そうと看板や通りに面した陳列窓に目印となる商品を飾っている。
「あまりきょろきょろしていると迷子になるぞ。城に来て長いのに、一度も街に降りなかったのか?」
「降りようと試みたことはあるが、門番に許可の有無を尋ねられて止めた」
どこまで自由に行動していいのかわからなかったし、何か問題が起こったときの対処が難しいと感じたのだ。知識はあっても常識や人との対話の経験に欠ける状態で、多数の人間が集まる場所を探索するのは危険度が高いことは、ランディや黒剣隊の当時の態度で明らかだった。
だからこそいま見る街が面白い。レオンの気ままさやこの後のルヴィックの反応をしばらく忘れることにして、忙しなく視線を動かして観察する。色彩、風、声、匂い、雰囲気、感じるもの、生じた疑問。外なる世界と内なるものに五感を働かせる快感に夢中になってしまう。
「城に近いこちら側が旧市街だ。通りにあるのはどこも古くからある店や工房で、王侯貴族と付き合いがあって高級店に位置付けられる。仕立て屋が多いのは需要が多いからだな」
レオンの説明をふむふむと聞き、通りから店内を覗き見てみる。シルヴィアが嫌ったドレスを着た様々な年齢の女性客の姿があり、通りを歩いているのも華やかな装いの男女だ。馬車もきらびやかな装飾が施されている。
貴族はそれぞれの領地に本邸を持つが、王都に滞在するときは別邸を利用する。それらが集まるのがここから北側の住宅地なのだった。夜の散歩で城の屋根に登ると、明るい光が灯って賑やかにしているのを見ることができる。
「お前もドレスを仕立ててみるか?」
「仕立てて、どうする?」
「興味だ。着飾ったところを見てみたい」
「実用性に欠けるものを用立てる意味を見出せないので、断る」
シルヴィアを着飾りたいと訴える者の代表はサアラをはじめとした女官たちで、あの控えめなカンナですら無造作に縛った髪をじっと見つめているくらいなのだが、何をそんなに執着しているのかと甚だ疑問のシルヴィアだった。そのため必要ないと端的に断って彼女たちが肩を落とすのがすっかりお馴染みになっている。
レオンは「そうか」とあっさり退いた。そういう引き際の見極めは戦士らしく的確だと思う。
東へ歩くとルクレス大橋だ。橋を渡りながらレオンが街の南側を指す。
「職人街の話は以前したと思う。この街最古の工房は鍛冶屋で、名をロティア・イアという。ロティア・イアの親方は代々伝統と歴史を背負い、職人組合の長としても尊敬を集める。この国では貴族に比肩する街の代表者とも言うべき存在だ」
「この剣もロティア・イアのものだ」とレオンは腰に帯びていたそれを軽く叩いた。数代前に王家に献上された一振りらしい。ほう、とシルヴィアは感嘆し、先ほどよりも前のめりになって職人街に目を凝らす。
「現在この国で作られる武器のほとんどは魔物を討伐するためのものか、神々に捧げる儀礼品だ。儀礼用と言っても神々の加護を賜るためには半端なものを捧げるわけにはいかない。そこで夏の終わりの火と風の祝祭に、供物を作る工房と職人を選ぶ競技会を行うんだ」
「競技会? 何を競うんだ?」
「武具だ。それぞれの工房を代表する職人が作った剣や槍、盾や手甲を集めて審査し、最も優れた職人を選ぶ。選ばれた者が神々に奉納する武具を作るんだ」
「それは面白そうだ」
創作物の優れたるを選ぶ、それほど人間らしいものはない。優劣の基準、価値観、不変のものなど存在しない世界では、そのとき何が選ばれるか、その時代そこに生きる人々にしかわからないのだ。
「もうじきに夏だ。秋には豊穣祭もあるし、冬には聖者祭や年越しの祭りもある。楽しみにしておいてくれ」
「ああ。そうしよう」
楽しみが一つできたと、如何なる職人がいるのかと思いを馳せて職人の名のついた橋の欄干を撫でたとき、ふと足下の位置に施されていた彫刻に目が留まった。
(乙女と、剣か?)
古い建築物、特に神々に関わるものには神自身は神を象徴するものを装飾に用いる。それと同様に、ルクレス大橋に刻まれているのは、布を巻きつける古代の装いをした乙女の側面図。その周りには数本の剣が半月状に配置され、遠目に模様として映るようにしてあった。
「この娘がルクレスか?」
「え? いや、そうじゃないと思うが……」
レオンはシルヴィアの視線の高さに合わせて屈み、まじまじと彫刻を見つめる。
「そういえばこの橋には乙女が浮き彫りにされているな。あまり気にしたことがなかったが……何故この乙女がルクレスだと思ったんだ?」
言われて、特に根拠がないことに気付いて「う、ん?」シルヴィアは眉を寄せた。
「……何故だろう? 何も考えていなかった」
「よくあるやつだな」
レオンは笑い、彫刻を撫でた。
「だが、そう言われてみると不思議だな。この橋は職人の名を冠して『ルクレス』だが、何故その装飾が人々を守る神々や、職人を守護する鍛冶神ギルストスや聖人ではなく、乙女と剣を選んだのか? 調べてみると面白そうだ」
そこで、レオンはくんと鼻を鳴らした。シルヴィアもつられて息を吸い込み、芳しい香りを嗅ぎ取る。香ばしく焼ける、恐らく何かを調理している匂いがする。もしサアラなら、気付いた途端に「美味しそう!」と目を輝かせて叫び出しそうな。
「俺たちは運がいい。行くぞ、シルヴィア!」
「え?」
言った途端に走り出されて、尋ねる暇もない。急いでレオンを追いかける。
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