天望の繭3 竜の神剣の呪い

「まず、竜の剣とは、竜神エヴルセムの祝福だ。剣の所有者はエヴルセムの加護、竜の力と不老不死を得るが、所有権を有するのは竜族の血を引く竜血の民のみという制約がある。竜の剣の制約について、私のようなものでも知っているのはごくわずかだ。剣が存在する限り発生する『対の呪い』。そして『呪いを断てば使い手の願いを一つだけ叶える』という約定」

「聞いたことがある。竜の剣の使い手、言い伝えでは『竜騎士』だな。エヴルセム大神殿の神殿騎士の名誉称号になっている。剣の持ち主は生涯一度だけ竜神に願いを叶えてもらうことができると……」


 レオンが呟く。その知識はシルヴィアもこの城の図書館の書物で得た。言い伝えとしての記述だったが、神々の末端に位置するシルヴィアはそれが正しいことを知っている。そして一度も叶えられていないことも。


「だが、竜の剣と対の呪いが巡り合うことは奇跡に等しい」


 事実を告げられるのは己のみ、そう思うのに躊躇いを感じるのは何故なのか。こちらをひたと見つめる彼らの目に、期待が映り、かと思えば悲しみに陰るからか。


「竜の剣の呪いは、命を蝕む。呪いの持ち主の命を奪うと、次は誰に宿るかわからないからだ」


 竜の力と不老不死を与える神剣の代償。

 それは、他者を喰らい尽くす短命の呪いだ。


「姉上の呪いがそうだというのか?」


 レオンの表情が険しくなる。感情を律して、声も硬い。


「判断に至った理由は二つある。エマリアからは竜の力を感じること。私に与えられている我が主の力と反発して干渉波を発生させたこと。私の力はジルフィアラの祝福、ならば反発するのは呪いだ」

「幼い頃から数多の医師や医師、魔法使いにも診せ、聖職者たちにも頼った。だが竜の呪いだとは誰も言わなかった」

「恐らく呪いの強度による。呪いは、持ち主を食い潰さぬようにしながら成長に応じて徐々に強さを増していくものだ。当時は診察した者たちが感知できない微弱なものだったのだろう。いまであれば魔法の才や神々の加護を得る者なら感じ取れるはずだ」


 未熟な【戦乙女】一人の見立てでは弱いらしい。納得しきれない雰囲気を感じ取って、正しく鑑定できる者の心当たりを知識から引き出す。


「私一人の診断では弱いか。正確を期すなら、竜神に近しい者の力を借りるのはどうだ」

「竜の民のことか?」


「それは難しい」とシルヴィアは首を振った。

 竜族や、その血を引く竜の民と呼ばれる半竜半人の者たちは、人間より神に近い存在として人の世に深く関わることがない。そして神々がこの世を離れた地の国に在る現在、一族数は減少傾向にある。接触できる可能性は限りなく低い。


「竜族、竜の民もそうだが、私はそれらを奉じる者たちとの接触を推奨する。竜神を奉じる者、特に祭祀を務める者にはエヴルセムの権能の一部を与えられていることがある。ゆえにここは、竜神殿の巫覡、高位とされる者に依頼するのはどうか」


 この国の南部には竜神殿があると記憶している。王族のレオンなら神殿の長に協力を要請するのは、竜族や竜の民を捜索するよりも容易だろう。

 だがレオンは即座に返事をしなかった。落とした視線のせいか、表情は暗い。


「レオン、どうした?」

「呪いを解くためにはどうすればいい」


 問いを無視した、声の感情のなさにシルヴィアはわずかに不信感を抱く。その途端、いま説明していることはもしかしてレオンにとって好ましからざる状況ではないのかという疑いが生じて、すぐに言葉が出なかった。


「……竜の剣で、呪いを断つ。私が知っているのはそれだけだ」


 またレオンは黙った。シルヴィアの内側で疑いと不安が生じ、膨張すると、焦ったような言葉が押し出された。


「だがそのためにはただちに竜の剣の所有者を見つけ出さねばならない。竜神の敷いた制約は、戦女神のものである私には未知のものが多い。別の手段があるはず、それを模索するべきだ」


 殿下、とこれまで黙っていた女官たちも呼びかける。


「この方の仰ることが本当なら、姫様をお助けすることができるかもしれません。原因もわからず治療法もない、苦痛に耐えるほかない孤独な姫様をお救いできたらと、私たちがどれだけの涙を飲んできたか、殿下はご存知のはずです!」

「どうか竜神殿の神殿長にお尋ねしてください。姫様を助けてくださるようにお願いを」


 殿下、殿下。お願いいたします。どうか。

 希望を抱いて訴える声は、次第に興奮を帯びて高く、大きくなっていく。


「――黙れ」


 それらを打ち砕く低いレオンの一言が轟いた。

 シルヴィアは咄嗟に前に出た。そんなことはないはずなのに、一瞬、彼がその場にいる女官たちを攻撃するように感じられたのだ。


「……レオン」

「……少し黙ってくれ、頼むから」


 レオンは顔を覆い、呻いた。シルヴィアが感じ取った暴力的な衝動はあっという間に沈静化し、代わりに色濃い悲嘆が彼を覆っていく。


「もしそれが本当に竜の呪いだとしても、姉上が助かると決まったわけじゃない。他の方法があるという保証もない。運良く竜の剣の持ち主の所在がわかったとしても、間に合わない可能性だってある……」


 この場にいるどの女性よりも痩せ衰えた身体に、艶のない髪。白い指の爪は長く続く体調不良によってひび割れている。座ってこそいるが、恐らく数分も保たない。着席していられるだけの筋力がないからだ。そのようにしてエマリアの容体が芳しくないことは、シルヴィアでも一目で見て取れる。

 ならばそれ以上に長く、確実に死へと近付き行く姉を目にしていたレオンは、どのような思いを抱くだろう。誰よりもエマリアの延命を望み続けたであろう、彼は。


「希望を持たせないでくれ」


 かすかな、小さく弱々しい囁き。


「――――」


 耳にしたそれがシルヴィアを突き動かした。


「レオン」


 衝動的に駆け寄り手を差し伸べる、しかしそれよりも早く彼に触れる者がいた。


「わたくし、行くわ。竜神殿に」


 エマリアは掬い上げるように俯くレオンの顔に両手を添えた。

 弾かれたように顔を上げた彼に、エマリアはやつれた頬に優しい微笑みを浮かべた。


「竜神殿に行き、竜の呪いだという確証を得て、呪いを解く方法を探しましょう。本当にわたくしが竜の呪いの持ち主なら竜神殿もきっと放っておかない。わたくしたちは他の方法を探しながら、竜神殿には竜騎士の所在に心当たりがないか世界中の神殿に呼びかけてもらうのよ。ヴィンセント王国に、あらゆる願いを一度だけ叶えられる者がいるのだと」


 病み衰えていてもその瞳は弟とよく似た理知と寛容を讃え、弱き者を鼓舞する力強さがあった。語りかける声は頼もしく、死に囚われた者とは思えないほど生気に満ち溢れている。


「訪れるかどうかもわからない未来や可能性に怯えて行動しないなんて、あなたらしくない。何があっても何もしないよりまし、そう思ってあなたはここまで来た。そうでしょう?」


 エマリアの瞳が涙を帯びていく。

 青の瞳に浮かぶそれは、こちらをはっとさせるほど清く輝いている。


「わたくしはこのまま何もできずに朽ちていきたくない。この国の王女としてずっと何もできないでいた。この数年は公務も行えず、他国の王女のように国の利益のための婚姻も、王家の血を残すこともできない……父上が亡くなって、遠からず即位するあなたを助けることも叶わない。このままでは本当にそうなってしまうの――それは、それだけは、絶対に嫌!」


 駄々をこねるような叫びが迸った。

 静寂が訪れると、しばらくして周りの者たちのすすり泣きが響き始めた。レオンと思いを近しくする、エマリアと長く在った女官たちがそれぞれに涙を落としている。


「姉上……」

「だから竜神殿に行くわ。あなたが行かないと言うなら、シルヴィアに同行を頼みます。戦乙女ならきっとわたくしを守ってくれるでしょう」


 今度の「姉上!?」は驚愕と衝撃の叫びになっていた。思いがけず指名されたシルヴィアは目を瞬かせながら、ころころと心地よい笑い声を響かせたエマリアを見つめる。

 死を身近に、遠い希望を目指して、笑うことができる。これが人間。これが、エマリア・セラフィーラ・ヴィンセントという女性なのだ。

 愕然としていたレオンは苦悩し、頭を抱えて唸っていたが、しばらくして顔を上げたときには影は薄まり、彼らしいしたたかな苦笑が浮かんでいた。


「……まったく、仕方のない人だ。昔からこうと決めたら絶対に譲らない」

「あなたの姉ですもの」

「説得力のある台詞だ」


 思わずシルヴィアが呟くと、よく似た二人の目が集中し、同時にくすりと柔らかくなった。


「シルヴィア、発端はお前だ。当然協力してもらうぞ。竜神殿の道行きで魔物に遭遇するとも限らんのだから護衛は多い方がいい。その他詳細は俺が決める。それでいいな、姉上?」

「ええ、お願いね」


 弟を抱き寄せたエマリアの「ありがとう」を、シルヴィアはまるで「ごめんなさい」を告げているように感じた。


「シルヴィアも、ありがとう。あなたがわたくしに希望を与えてくれた」

「私は知識を伝えただけだ」


 首を振って答えた刹那、思い出す。

 レオンの「希望を持たせないでくれ」という呻き、それに突き動かされたこと。内側で震えた何かと、それを思い出すいま感じているもの。


(希望を与えることで、私は、レオンの心を折るところだったのかもしれない)


 右手で左の手首を握る。結んだ唇で堪える、かすかな後悔。そして、恐怖。


(恐怖。敵を前にしているわけでもないのに?)


 思考に沈むシルヴィアの意識は、響き渡った激しい咳と引きつる吸気の音で引き上げられた。

 エマリアが身体を折って咳き込み、全身を苦痛に震わせている。興奮で染まっていた頬からは血の気が引いていた。


「今日はここまでです、姉上」

「そ、れは……だめ……カンナのことが……」


 シルヴィアに会いたい。カンナに謝罪したい。竜の剣の呪いの話をしたために当初の目的が達成されないまま面会を終わらせることをよしとしないエマリアがレオンの腕にしがみつくが、レオンも女官たちも、当事者であるカンナも首を振った。


「だめだ。ここで終わりにしないと竜神殿行きの話はなしだ」

「朝早くからお支度をしておられましたから、お疲れなのです。もうお休みください」

「すぐに侍医が参りますから、お召替えをいたしましょう」


 なおも「謝罪だけは……」と引き下がらないエマリアに、カンナが言った。


「わたくしの件で、エマリア殿下にお詫びいただくことは何一つございません。もしわたくしを案じてくださるというのなら、どうぞ御身を第一にお考えくださいませ。そしてまたわたくしにお世話をさせてくださったらこれ以上嬉しいことはございません」


 それを聞いてやっとエマリアは抵抗を止めた。ごめんなさい、と咳をし、熱に潤んだ涙を浮かべながらレオンに抱き上げられて運ばれていく。

 しばらくして戻ってきたレオンに伴われて、シルヴィアとカンナは離宮を辞した。


「すまなかったな、カンナ。ああ言ってくれて助かった。詫びは後日するから」

「いいえ。その必要はありません。エマリア殿下にお伝えしたことが、わたくしの本心です」


 先を行く二人が話している後ろで立ち止まり、シルヴィアは離宮の二階を見上げる。

 来たときに開いていた窓は閉められ、帳が下ろされてしまっていた。この庭はこんなに明るく美しいのに、穏やかで優しい部屋に横たわるエマリアが見るのは、いつも寂しい暗闇なのだ。


「…………」


 胸中に漂う曖昧な感情や思考を手探りしながら、シルヴィアは離宮を後にした。

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