天望の繭2 呪われた王女

 案内するというレオンに連れられて向かうのは、城の北側だ。人気のない静かな場所にあるものにシルヴィアは心当たりがあった。


「離宮か」

「そうだ。エマリアは身体が弱く、本城ではなくあちらで静養している。周りが騒がしいだけで発熱したり肺の発作を起こしたりするからな」

「症状が重いのなら、この城よりも静養に適した場所があるんじゃないか?」

「俺もそう思う。だが本人がそれを望まない」


 人気がないにも関わらず頻繁に人が通っている痕跡があるその道を登りながら、レオンはシルヴィアに説明する。


「世話をする者も限られているから、城内の者に手伝いを頼むことがある。カンナがそれだ。姉上は、カンナが本城への帰路でフレッドに絡まれていたと知って、謝罪したいと本城に足を運ぼうとして、また熱を出した。それでもこちらに来ようとするので、本人を連れていくから大人しくしてくれと頼み込んだんだ」

「そんな、姫様は無関係ですのに……」

「気に病むだけで体調を崩す人だ。悪いが少し付き合ってやってくれ」


 狼狽えるカンナにレオンは苦笑を向ける。


「では私は何故呼ばれたんだ?」


 シルヴィアはレオンに尋ねた。カンナの理由はわかったが、シルヴィアはエマリアとは面識も関わりも持たないので謝罪とは無関係だ。王族として国内に滞在する人外の者の動向が気がかりなのだとしても、ここまで得た情報からはレオンのような執務を行うことは不可能だろうと類推する。無理をして会おうとするだけの理由が思いつかなかった。


「幼い頃から毎日のように寝込んでいる人間が最も欲するものはなんだと思う?」


 突然レオンは奇妙な謎かけを口にした。


「王女らしい華やかさとは無縁で、着飾ることもできず、お茶会だの夜会だのにも参加せず、散歩するときは離宮の庭。親しい友はおらず、話をするのは世話をする女官と、弟の俺だけ。外の出来事を知る手段はそうしたわずかな人間と書物から。そんなエマリアは何を求めているか」


 淡々とした言葉は、それゆえに哀切を帯びている。

 レオンの語る状況を望んではいないのだろう王女エマリアについて想像する。そのような環境下に置かれた場合、何を欲し、求め、望むか。シルヴィアに会いたいという理由に至るもの。


「驚き。――非日常か」


 勢いよく振り返ったレオンがシルヴィアを凝視する。


「何かおかしなことを言ったか? もし自分だったらと置き換えて考えてみたんだが」

「いや。面白い表現をすると思って。……そうだな、求めているのはエマリアにとっての『非日常』だ。お前がこの城にいること、それから決闘の件を聞いて、是非会いたい、会わせてほしいと懇願されたんだ」


 呟いて、次にこちらを見たときのレオンはいつもの悪戯を思いついたときの笑みになっている。


「もし自分だったらと考えたなら、お前の望みはそれだということか。どうだ、この国は。お前に『驚き』と『非日常』を与えられているか?」


 シルヴィアはくすりとし、口元を緩ませた。


「まあな。何せ国王代理は人を驚かせることを娯楽としているから」


 レオンは満足そうに声を上げて笑う。そんなやり取りは真面目なカンナには少々刺激が強かったのかもしれない。ぎくりとし、息を飲み、ほっと安堵していた。

 しばらく行くと道が途切れ、緑の蔓が絡む円弧状の門と庭園のある二階建ての館が見えてきた。

 北の離宮だとレオンが言った。歴代の王妃や王女が社交のために使用してきたものだという。

 二階部分は屋根がある広い露台で、一階もまた上階と同じく風を感じられる突き出しになっていた。柵の透かし彫りが瀟洒な印象を与え、緑と花とよく調和している。シルヴィアが本城で見かける、華やかな色合いのドレスをまとった女性たちが集えばさぞ麗しい眺めになるだろう。


(だがこの静寂さも好ましい)


 そう思いながら離宮に足を踏み入れる。迎えに現れたのは見知らぬ女官だ。ここでの仕事を主としているのだろう、顔見知りらしいカンナと会釈し合っている。


「姉上との約束を果たしに来たんだが、お加減はどうだ?」

「今朝は熱もなく、お元気でいらっしゃいます。殿下とのお約束を楽しみにするあまり、いまにも部屋を飛び出していかんばかりで……」

「なら早く行かねばな。走り出して、行き倒れられては困る」


 笑うレオンに導かれて二階の、南側の部屋にたどり着く。

 二階の露台に面した一室だ。扉は開かれたままで、室内には二人の女性の姿があった。一人は女官、もう一人は椅子に座り、濃紺のドレスの裾を優雅に広げた黒髪の女性だ。


「ご機嫌麗しゅう、姉上。お加減はいかがですか?」

「とってもいいわ、レオン」


 立ちあがろうとする女性を制して近付いたレオンはそのまま彼女を抱擁する。そうして彼によく似た、真っ直ぐな黒い瞳がシルヴィアを捉え、柔らかく微笑んだ。


「シルヴィア。姉のエマリアだ。姉上、彼女がこの国に降臨した戦乙女だ」


 エマリアが立ち上がる気配を察知して「構わない」と告げる。


「私はまだ君のような状態の人間への理解度が低いので気遣うことができない。身体に負担をかけないことを最優先にしてほしい」


「まあ……」とエマリアは丸くした目を瞬かせ、レオンを見上げる。弟に笑みを返された彼女はくすりと嬉しそうに頬を染めて言った。


「お気遣いありがとうございます、戦女神の【戦乙女シルヴィア】。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。エマリア・セラフィーラ・ヴィンセントと申します」

「シルヴィアだ」


 ほっそりと痩せた手を握って挨拶を交わそうとして。

 ――ぱんっ。

 シルヴィアの視界に光が弾けた。


「何?」

「え」


 同じものを見たらしいエマリアは小さく声を上げ、目が眩んだ様子でふうっと後ろに倒れる。「姉上!?」と驚愕しながらも咄嗟にレオンが支えたおかげで椅子ごとひっくり返らずに済んだ。


「姉上、どうされましたか? 気分は?」

「大丈夫よ、でも……いまの光は、いったい……?」


 光、と呟いたレオンはカンナと待機していた女官たちを見るが、彼女たちは困惑顔を返した。レオンたちは光を感知する能力を持たないのだ。


「シルヴィア、何があった?」


 わずかに険しいレオンの問いにシルヴィアは問いで返した。


「それは私が聞きたい。何故エマリアは呪われている?」


 レオンが息を飲み、驚愕をもたらした言葉を咀嚼するような間を置いて低く言った。


「……呪い?」


 そうだ、とシルヴィアは頷いた。


「私とエマリアが見たのは神々の力の干渉波だ。性質の異なる力が衝突すると発生する。私は我が主ジルフィアラの力、エマリアは相反する力を有している。すなわち、呪い」


 シルヴィアの黒い瞳が善き力を帯びて銀光を帯びる。

 善き力と【戦乙女】の能力と知識が、エマリアが宿した呪いを正しく鑑定する。彼女の心身を覆う呪い、それは。


「エマリアが持つのは、竜の呪いだ。竜神エヴルセムの、竜の剣の祝福と対を為す呪い」


 見顕した真実を告げて、シルヴィアは黒い瞳を眇めた。そして、この場にいる誰もその心当たりがないことを知った。エマリア自身ですら自覚がなかったらしく、白い顔はより青白く強張っている。


「レオン、エマリア。君たちは、知らなかったのだな?」


 確信を得ようと問いかけると、レオンはやはり首を振った。


「……知らない。何故呪われているのかも見当がつかない」


 何故。どうして。知りたくない、だが知らなければならない。

 それが如何なる恐ろしいものであっても、決して逃げるものか。

 硬直する姉に代わって答え、くずおれそうな身体を支えながら手を握り締め、ひたむきにシルヴィアを凝視する瞳が、レオンの押し殺した本心だ。


「そうか。では私の知ることを伝えよう」


「頼む」と言うような頷きを確認して、シルヴィアは口を開いた。

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