日の織々5 友を得る

「さて、次はお前だ」


 そこへ声の調子をがらりと変え、レオンは出会った頃と同じ気安さでシルヴィアに苦笑を向けた。


「思いがけずなかなかの問題児だな、シルヴィア。決闘と聞いて肝を冷やしたが、何故人間と戦うことを避けていたお前がそんな行動に出たのか、教えてくれないか?」


 黙って見返すシルヴィアにレオンは「カンナからおおよその話は聞いた」と囁く。彼が当初立っていたであろう観衆の方に視線をやると、痛切な面持ちのカンナと気を揉んでいるらしいサアラがこちらを窺っている。


「……私自身、驚くべきことだったのだが」


 口を閉ざし、心の内に答えを探す。

 言葉を選び、紡ごうと、拙くも試みる。


「……カンナが、あのような輩にこれからも表情を陰らせ、俯き、言葉を飲むのだろうと想像すると、耐えられなくなった。カンナ以外の、サアラや他の者たちもそうなるのかもしれないと、思った。だから……」


 汗を掻いた額に、冷たい夜風と月と星の光が当たる。


「そのような未来を阻止するため、命は奪わず、だが死を選びたくなるほど痛めつけることにした」


 苦痛や恐怖を与え、勝てない現実に心を折る。敗北を認めなければ終わりのない痛みが襲い、何度でもシルヴィアが立ち塞がってくるのだと思い知らせる。そうすれば二度とカンナのような弱者に手出しはすまい。


「だから罪と知りつつ決闘を受けた。痛みと苦しみと恐怖が当分の間あの男たちを苛むだろう。私の目的は達成された」


 可能な限り力を抑えて戦った理由がそれだった。

 その暴力的で容赦ない真意が周囲を絶句させるとは夢にも思わない。だがただ一人レオンだけが笑っていた。


「そんなことだろうと思った。ああした輩は本来なら俺が早々に取り締まるべきだったが、お前に肩代わりさせてしまった。すまなかった」


 そうしてぐるりと観客を見回し、カンナと周りの者たちに言った。


「それからカンナと、不当な扱いを受けた他の者たちにも心から詫びる。この国に在る者は誰もが法と秩序のもとに守られることを、どうか忘れないでほしい」


 月と星を灯りとする夜を迎えた世界で、こうして人々に語りかけるレオンはまるで光そのもののように輝いて見える。不思議だ、とシルヴィアは思った。


「今回の件を含め、聞き取り調査を行う。各々の知りうること、その思いを聞かせてほしい」


 跪いていた者たちは深く頭を垂れた。

 やがて決闘騒ぎのせいで放置されていた篝火が焚かれ、訓練場が煌々と明るくなった。それをきっかけに人々が動き始め、「シルヴィア」とカンナが裾を絡げて駆けつけてきた。


「こんな、無茶をして……あなたに何かあったら、私……」


 途端に顔を覆って泣き始められ、シルヴィアは困惑した。


「あの男の脅威は去ったのだから、泣かなくていい」

「違う違う! カンナはね、シルヴィアが無事でよかったって、安心して泣いているの」


 遅れてやってきたサアラが笑いながら「ね?」とカンナの肩を叩く。ますますシルヴィアは戸惑った。


「あの程度の技量の者に、私が危うくなることはない。カンナは私の力を疑っていたのか?」

「そうじゃなくってね」

「そういうときは『心配してくれてありがとう』っつーんだよ」


 サアラの言葉を継いだのは呆れ顔のランディだった。

 観戦していることには気付いていたが、声をかけてくるとは思わなかった。どういう心境なのだろうと見つめていると、彼はふいと顔を背けた。その横顔に最初にあったような嫌悪や敵愾心はない。気まずそうで居心地が悪そうではあるが、シルヴィアを排除しようとする意思は感じられなかった。

 それはここに集っている者すべてに共通していた。それぞれに動く彼らの視線や表情にある温かさが、それまでとは違う穏やかな空気を作り出している。


「最後になったが、シルヴィア。お前にはもう一つ言っておかなければならないことがある」


 視線を巡らせていたシルヴィアは「なんだ?」と答え、目を戻してレオンを見た途端、形容し難い衝撃に見舞われた。具体的にはびくりと勝手に身体が跳ね、小さな恐怖を覚えたような感覚だ。にこやかな表情をしているのに何故なのか。


「黒剣隊の訓練に参加せずにふらふら出歩いているそうじゃないか。清掃や戦馬の世話、武器や防具の手入れも捨て置いているとか。街の外だけじゃなく城内や街の巡回も仕事だし、魔物を討伐した際は報告と書類を作成する義務がある。まあ初日から欠勤続きなら知らないのも無理はないが」


 にこにこにこにこ。機嫌が良さそうにすら見えるレオンに異様さを覚えてシルヴィアはたじろぐ。


「だ、だから、何だ?」

「正当な理由もなく隊の職務を放棄した者にはしかるべき処罰を与える。決闘を行った罪も含めて、シルヴィアに減俸一ヶ月、ならびに同期間城内での奉仕活動を命じる。奉仕内容は、俺の剣の稽古相手だ」


 ぱちっ、と瞬きをしたシルヴィアは笑うレオンをまじまじと見返して眉を寄せた。

 前者はともかく、それは罰と言えるのか。だが問いを口にするよりも早く「ちょっとちょっと殿下!」とランディが大声を上げた。


「何ですかそれ! ずるい、じゃない、危ないですって! こいつが力加減を間違ったら無事じゃすみませんよ!?」


 その通り、とカンナとサアラの他、話を漏れ聞いた者たちが頷いている。だがレオンには響いていないようだ。


「そうか? さっきの戦いで手加減するこつは掴んだと思うが、どうだ?」


 それは、そうだと思う。だが安易に返答してはいけないと直感が囁いてくる。頼むから不用意な返答をしないでくれという人々の思いに突き刺されながらシルヴィアは唸るように言った。


「……絶対安全であるとは保証しかねる」

「ならなおさら経験を積むべきだ。そうだろう?」


 瞑目したシルヴィアの長く息を吐く音が、大勢のため息と重なった。

 恐らくこの感覚が『疲労』だ。頭、眉間の辺りが鈍く痛み、肺から深く嘆息してしまう。


「経験を積むなら相手も数も多い方がいいですよね!? じゃあ俺も俺も!」


 そしてランディは何故いきなり距離を詰めるような言動を始めたのか。すると「訓練の話か?」「武器種を変えてやりたいです!」「勝ち抜き戦とかできそうだよなあ」と他の者たちも集まっていつの間にか全員と稽古する話になっている。

 考えることが多すぎて気持ちがざわざわとし、心を掻きむしれない代わりに額を押さえているシルヴィアに、レオンが気付いた。


「シルヴィア、大丈夫か?」

「問題ないが、疲れた」


 できれば静かなところで何も考えずに横になりたい。そんなことを考えていると感情のない低い声での返答になった。


「そうだろうな。今日も色々あった。話は後日聞かせてもらうからもう休むといい。部屋まで送っていこう。歩けるか?」


 息を吐いて声に出さずこくりと頷くと、少し笑う気配がして「触るぞ」の声とともに伸びてきた手がシルヴィアを抱き上げた。

 突然の接触と浮遊感、レオンの体温などに驚いて目を瞬かせると、抱き上げた彼の方が訝しげな顔をしている。


「軽すぎないか、お前。ちゃんと食べているか? 食事と睡眠は強い身体を作るために最も有効なんだぞ」


 食べているし眠ってもいる。そもそも【戦乙女】は人間のような食事と睡眠をさほど必要としないのだ。心身ともに疲弊した場合など必要に応じて休息を取り、失われた力を回復させるために善き力を取り込む。力の濃度の高い場所に滞在する、食物を口にする、魔力を持つ者から得るなど。


「…………」

「お、おお?」


 だが説明する気力が失せた。シルヴィアは全身の力を抜き、レオンにもたれかかって目を閉じた。そうするとなんとも心地よく、少しずつ心身が癒えていくように感じられる。その場にいる者たちのくすくすという笑い声はまるで草原を渡る風のようだった。


「本当に疲れちゃったみたいね」

「私のせいで……ごめんなさい、シルヴィア」

「殿下がそんなことをしなくても、俺が」

「みんな、静かにな。聞き取りについてはまた連絡する。全員持ち場に戻れ」


 苦笑混じりに言って全員を抑えてからレオンはその場を離れた。抱えているシルヴィアを物ともしない足取りの、ゆったりとした振動がますます気分を和らがせる。またレオンの体温がちょうどいい熱源なのだ。

 こうしたレオンの姿形はシルヴィアが【戦乙女】として求めて止まないものでもある。


(敵に押し負けない体格。長い手足。膂力。最初からこのようにありたかった)


 だが、もしそうなっていたとしたら。

 きっと、こうしてレオンに抱き上げられることはなかった。


(…………?)


 なんだか妙な思考をした気がしてうっすら目を開ける。


「眠いなら寝ていいぞ。ちゃんと部屋に連れていくから」


 だが直前まで何を考えていたか忘れてしまったので、レオンの言うままに再び目蓋を下ろした。

 部屋で待っていたらしいオリエが迎える声がした後、レオンによって寝台に運ばれて横たえられる。服と靴に覆われていることが不愉快ではあったが、寝返りを打って身を小さく丸めた。


「……猫みたいだな」


 聞かせるつもりはなかったのだろう呟きを漏らしたレオンが、髪を掻き上げるようにしてシルヴィアを撫でる。


「おやすみ、シルヴィア。……ありがとう」


 何に対する感謝なのかわからないまでも、声の響きや触れていった手の温もりでそれがレオンの偽りのない本心であると伝わった。


「こちらこそ」


 シルヴィアは感謝している。レオン・エヴァルト・ヴィンセントという存在に。

 返した声は果たして届いたのか、さだかではない。レオンが足を止めたような気配がしたが、もしかしたらそれは『夢』というものだったのかもしれなかった。

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