日の織々4 お裁きの時間
決して殺さず、しかし生かすこともなく。勝てるかもしれないと希望を持たせながら勝利は譲らずに。楽な相手と思われないよう相手の全力を引き出し、それでいて自らは力を抑える。シルヴィアの一撃ではこの男の肋骨を数本折ってしまう。うっかりすると思いきり剣を振ってしまうので常に自制と理性が必要だった。
それに――すぐに戦いを終わらせては意味がない。
取り巻き二人を早々に叩きのめしたのは、中心人物一人を相手にして勝利すれば勝敗が決すると考えたからだ。観戦者の会話から断片的に拾った情報からフレッドという名らしいこの男が徹底的に負かせられたなら二度とこちらに挑むことはないだろう。強者の影に隠れている輩は所詮その程度の存在だ。
(おっ、と)
「ぐあっ!」
考え事をしていると思考が逸れる。反射的に首を狙いそうになり、急遽軌道を変えて肩を打った。抑えきれなかった強打を受けたフレッドが激痛の呻き声を上げる。
涙の浮かぶ憎悪の目を、シルヴィアは静かに見返した。お前が始めたことだろうと言いそうになったとき、別の言葉がぽつりと浮かんで口を突いた。
「力を、持つ者は」
当事者も観戦者も言葉と息を飲む戦いの最中、シルヴィアが発した声に誰もが耳を澄ませている。
「力を持つ者は、義務と責任と引き換えに力を与えられる。その力に自覚的であれと命ぜられ、一切の忘却と無関心を禁じられるさだめを負う……」
地上に降りて、たった数日、なれどシルヴィアは強く自覚し、認識した。
私は戦女神の【
だが、それでも。
「力とは破壊、威光、支配、心、思い、豊かさ……その、どれでもない」
いつの間にか夜に委ねられた世界で、紺碧の空に浮かぶ銀月と星を背負い、シルヴィアは、微笑んだ。
「力は、ただの力でしかないのだから」
だが、それでも、過たなければ、望む場所にいるくらいはできるだろう。
信仰心の強い者なら神殿の神の像を包む静寂だと表現したかもしれない、そんな沈黙を破ったのはなりふり構わないフレッドの叫び声だった。
「何を、……余所者ごときがぁあッ!」
これが最後だ。
歪んで醜い顔を涼やかに一瞥すると、突進してくるフレッドを躱し、木剣を振り下ろした。
ばしっと強い音がしてフレッドが倒れ伏す。手を突き、起きあがろうとするもそれ以上動くことができず、どさっと地に沈んだ。
「これ以上の戦闘の続行は不可能だと判断する。敗北を認めろ」
「……誰が……負けたと……!?」
呻きとともに呪う声が放たれた。
「この……魔性め! お前は戦乙女を騙る魔物だ! この国を滅ぼしに来たんだ! 早く討たないと……黒剣隊! 魔物だぞ、早く狩れ! 近衛騎士もだ! 早くしないと殿下の身が危うい……」
「真の強者は敗北を認められるものだ。君はそれすらもできないのか」
すっかり呆れ返っているとフレッドの顔がますます赤くなる。
「ディセリアルの力を借りたお前になど絶対に屈しない!」
「その認識は誤りだ。私は【戦乙女】、我が主は魔神ディセリアルではなく戦女神ジルフィアラだ」
「うるさいッ! 俺は騙されない! いますぐお前の悪事の洗いざらいを殿下にぶちまけてやる!」
シルヴィアは小さく息を吐き、観客の方を振り返った。
「彼はこう言うが、私は『悪事』の心当たりがない。レオン、あなたに国王代理として公正な判断を要求する」
ぎくっと空気が強張ると同時に観客の輪の一部が割れて、そこに立っていたレオンに視線が集中した。間違いなくレオンだとわかった途端、全員がざっと音を立てて跪く。
レオンはやれやれとでも言い出しそうな笑みを浮かべながら、人の壁が作る道を悠々と進み、決闘場の中央にいるシルヴィアとフレッドの元へやってきた。
見下ろすレオンは、シルヴィアのよく知る目をしている。興味深そうでいて面白がっている、泰然としたいつもの目。だが一度目を伏せた後、そこには冷厳とした光が宿っていた。
「フレッド・デュリス」
瞳の光に等しい声音で呼ばれたフレッドが青い顔でびくつく。
「シルヴィア」
「なんだ」
返事をしただけなのにレオンは笑い出しそうになり、取り繕うように息を吐いてから朗とした声を響き渡らせた。
「まず、現代のヴィンセント王国では命を賭けた決闘は重罪である。挑んだ者受けた者、どちらも同罪だ。ゆえに挑戦者が誰かは問わない。公平に罰を受けてもらう」
殊勝に俯いた、フレッドがその顔に勝ち誇ったような喜色を浮かべているのをシルヴィアは見る。
だがそれも続く言葉を聞くまでだった。
「次に、我が国においてはいかなる者も虐げられない。それはこの国の民のみならず、外つ国の者、人とは異なる存在、敵意や害心を持たないあらゆる者に適用される。保護という名目での奴隷化、性的関係や従属の強要といった、命を命たらしめる尊厳を踏み躙る言動が許されないことは、我が国で義務付けている初等教育で学ぶ。家庭教師等による学習においても同様に。知らないというのであれば、教師が義務を怠ったか、当人の自覚に欠けるかのどちらかだろう――フレッド・デュリス」
途端にフレッドは青ざめ、血の気の失った顔を強張らせた。
レオンの声は静かに、重みを増していく。
「俺がここで見聞きしたものを含め、お前のこれまでの行いについて取り調べを行う。聴取の日時は追って知らせる。それまで謹慎を命ず」
「……で……殿下……! そんな、俺は、ただこの国のために……!」
「そういう話も後日だ。これ以上王宮を騒がせるな」
呆れているようで本気で怒っていることはフレッドにも伝わったらしく、口元をわななかせ、やがて力尽きるように項垂れた。
レオンが「救護班!」と呼ぶと、医療に従事する者たちがやってきてフレッドを担架に乗せて運んでいく。シルヴィアと戦い、そこにレオンの言葉に衝撃を与えられて、フレッドの救護班の呼びかけに応じる声は朦朧としており、立つこともままならなくなっていた。
弱りきった彼の姿は、決闘とも呼べない戦いにおけるシルヴィアの目的が達成されたことを意味していた。
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