日の織々3 果たし合い

「殿下っ!」


 図書館にいるレオンのもとに息せき切って駆けてきたカンナが、日頃聞いたことのないような大声を発した。

 城にいるレオンは執務室で仕事をしているか、騎士団舎で身体を動かしているか、厩舎で馬の世話をしているかだが、この日はシルヴィアのことを聞こうと図書館の老司書を訪ねていた。だからずいぶん探したのだろうカンナは、普段の落ち着きぶりからは想像もできないひどい顔をしている。何かあったのだと悟るには十分だった。


「落ち着け。何があった?」

「おゆ、お許しください、殿下! 私のせいでシルヴィアが……!」


 涙を堪えるカンナを宥めながら、シルヴィアが挑まれた決闘を受けてしまったという話を聞く。


「決闘? あのシルヴィアが?」


 あちらこちらに興味関心を抱くものの、戦うことに関する事柄を避けていると思っていただけに、誰かと戦うことを選ぶとは意外すぎてつい訝しむ反応をしてしまう。


「はい、恐らく私を庇おうとして……」


 小さく付け足された口惜しげな呟きに、レオンは大方の事情を悟った。

 黒い髪に象牙色の肌、彫りが浅く、全体的に華奢なカンナはひと目で東の人間の血が入っているとわかる。ただでさえ年若い女官は宮中の男どもにちょっかいをかけられるものだが、異国人の特徴を持つカンナは他の者たちよりもその機会が多い、それも悪意を伴っているに違いない。貴族令嬢や富裕な家の生まれの娘ならあしらい方もやり返す方法も身に付いているが、外つ国生まれのカンナには難しいだろう。


(改めて注意喚起が必要だな)


 城に仕える異国の者や血を持つ者たちを一通り思い浮かべる。


「案内を」


 短く告げると、司書には騒がせた詫びを伝え、道すがらカンナに決闘に至る経緯を聞く。だが相手のことを聞いたレオンは何とも言えない苦笑を浮かべてしまった。


「デュリス伯爵家のフレッドか。またとんでもない相手に挑んだものだな」


 伯爵家の嫡子としての男爵を名乗る、王族の警護を行う近衛騎士だ。役職を持たないためレオンは特に親しいわけではないが、一応人となりや評判は記憶している。デュリス伯爵夫妻にとって遅くに生まれた唯一の後継ぎということでずいぶん甘やかされ、日頃の言動も耳に入っているが、その都度デュリス伯爵が自ら収めてきたので強く咎めずにきたのだ。

 今回も見逃すのかとカンナの悲しげな目が陰るが、いやいやと手を振る。


「とんでもないというのはフレッドがシルヴィアに挑んだことを言っている。これが彼の運の尽きなのだろうと思ってな」


 くつくつと苦笑するレオンに、カンナは見てはいけないものから目を逸らすように俯き、早足になる。確かに王太子が一方に肩入れしていることは知らないふりをしていた方がいい。

 だがのんびり話をしている場合ではなかった。シルヴィアの戦いの技術ではフレッドも彼の権威に追従する貴族令息たちも何が起こったのかわからないまま落命するだろう。力量差を見極められず、不用意に煽るようなことすらしでかすに違いない。


(まあ、あんなに美しい少女だからなあ……)


 陶器人形か絵画の少女神かと目を疑う美しさだ。だが硬すぎる物言いや表情の少なさ、豊富な知識量と学習能力以上に、その身体機能と戦闘技術にどれだけ驚かされたか。城壁まで一度に跳躍したり屋根から屋根へ飛び伝っていったり。魔物との戦闘を任務とする黒剣隊の者が用心して二人一組で当たる討伐を、たった一人、しかも数分とかからず何体も倒したり。


(本人は自らの強さに自覚的だったが、本気で戦うつもりなのかどうか)


 命を賭けるにしても結果は見えている。人間の限界を超えているのだから、神そのものか神と人の混ざり者でなければ太刀打ちできまい。そうなったとき国王代理としてレオンが味方をしなければならないのは自国民のフレッドだ。シルヴィアではない。


(俺にお前を裁かせるな)


 その思いが祈りに似た切実さを帯びているとは気付かないまま、騎士団舎に到着する。中央訓練場に出た瞬間、冷えた夕暮れの風と思いがけない熱気が押し寄せてきた。


 ――があん! がぎぃっ!


 異なる種の武器が交差する。一方は真剣、もう一方は訓練に用いる木の剣。

 それぞれの武器を手に戦うフレッドとシルヴィアを他の者たちは固唾を飲んで見守っている。興奮を何度も嚥下するように前のめりになっているランディを見つけたレオンは、カンナに頼んで静かに彼を呼び寄せた。


「殿下!」

「やっと来てくださったんですね!」


 ランディと、そのすぐ近くにいたらしいサアラが一緒にやってきて興奮気味の声で言う。


「静かに。状況は?」

「すごいです、本当、まじすごいです! あんな戦い見たことねえです!」

「シルヴィアが格好良すぎて、もう……!」


 語彙を失っている二人に苦笑が漏れる。『すごい』のはここで数秒見ていれば理解できた。


 振り下ろされる白刃を木剣で受けて弾き返す。

 突きの連撃を軽々と躱し、たった一突で押しやる。

 相手が身体や髪を掴もうとすると平手で打ち、もう一方の手の木剣で反対側から返すように二撃目を繰り出す。


 曲芸めいた動きだが決して遊びではないことが伝わってくる。その理由はシルヴィアの集中力だ。額に汗を浮かべ、鋭く息を吐きながら、絶対にフレッドを殺さないように力を抑えて戦っているのだ。


「始めてどのくらい経った?」


 サアラが首を振り、ランディを見る。


「私が来たときにはもう戦っていました。ランディ、どう?」

「まだ半時も経っていません。最初三対一だったんですけど数秒で取り巻きを撃沈させて、それからずっとフレッドと戦ってます。すごいですよ、あれ。坊々のお飾り剣術があいつのおかげで一応剣闘に見えます」


 相手を再起不能にするのでもなく、心を折るのでもない、勝てるかもしれないと思わせつつ圧倒的力量で応じる、その繰り返し。そこで合点がいった。


「ああ、なるほど。狙いはそれ・・か」


 疑問符を浮かべる彼らに意味ありげに笑って、レオンはカンナを振り返った。


「フレッドのがよほど気に食わなかったのと、今後を案じて、あんな行動に出たようだ。ずいぶんよくしてくれてやっていたんだな。シルヴィアに代わって礼を言う」


 突然の感謝にカンナは意味がわからない様子で目を丸くし、ランディははっきり疑問を顔に出し、サアラはカンナに「どういうこと? あの坊々がまた何かしやがったの!?」と詰め寄っている。


「さて、そろそろ終わりかな?」


 汗を流そうととも凛とした美しさを汚すことのないシルヴィアと、限界を迎えつつあるフレッドを見遣る。レオンの呟きが示すように戦いは佳境を迎えていた。

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