第2章

日の織々1 不和

 豊かな四季と自然に恵まれているヴィンセント王国は、魔物の脅威のために他国に占領されることもなく、その時々で各領主や貴族の力関係により小競り合いが発生するものの、内乱に至って国が揺らぐこともない。魔物すらいなければどこまでも長閑で平和な西の果ての地だ。

 他国では不安視されるであろう国王の不在と若い王太子の存在も、年長者の見守りと指導、新国王を補佐する若い人材の成長によって問題にされていない。素行が悪いとルヴィックの説教を回避できないレオンだが、これでもタイタンのような前王時代からの忠臣には主君に足ると認められているのだった。


 さて、国内外の状況が安定していると、レオンの仕事は将来を見据えたものや周囲の見守りと取り締まり、ごく身近な問題の早期解決が主になる。

 現在はもちろんこの国に滞在しているシルヴィアのことだ。


「どうやら他の者と関わることを避けているようです」


 近衛、王国、花剣という三つの騎士団の指揮官でもあるタイタンは、彼の執務室を訪れたレオンに「お越しになるのではなくお呼び出しください」と軽く小言を言ってからそう報告した。


「それは、すべての人間と?」

「私の見た限りでは戦闘職の者のみだと思われます。女官長や身の回りの世話をする女官たちとは交流を持っているようです」


 そのことはオリエからも同様の報告を受けていた。担当となった女官のサアラとカンナはあれやこれやと世話を焼いており、シルヴィアは日常生活のこと、衣食住にまつわる諸々について質疑応答を繰り返して、着替えや入浴などは一人でできるようになったという。厨房や洗濯室など思いがけないところで出くわすこともあるらしく、そのときは別の者を捕まえてあれは何をしているのか、何のためなのか質問責めにしているそうだ。


「黒剣隊に所属するよう言い渡したが、訓練にはまったく顔を出さず、城を歩き回っているわけか。そういえば俺も図書館で見かけたな。司書に本を選んでもらっていた」

「アリエスもそのように申しておりましたな。あれは騎士団長して剣を持つより書を好みますゆえ、印象的だったのでしょう」


 次はこれがいいと本を手渡す司書は読書に熱心な少女の出現を歓迎しているようだった。恐らく何度か同じやりとりをしているのだろう。日頃図書館に入り浸っている王国騎士団長のゲイル・アリエスもその光景を見ているはずだ。

 つまり、シルヴィアは人と関わることを避けているわけではなく、接触する人間を選んでいるわけだった。


「戦いに関わらない非戦闘員、すなわち【戦乙女】の戦闘能力を知り得ず想像もできない者とだけ交流を持っているわけだ」


 呟いたレオンはシルヴィアと出会ったあの日のことを追想する。


 魔物の出現を知らせる警鐘が鳴り響いたあのとき。


 その場にいた者たちに指示を終えたレオンは、シルヴィアに力を貸してくれるよう頼もうとした。だが彼女は「一人で事足りる」と宣言したかと思うと人外の身体能力でもって走り去ってしまった。

 その後、レオンは身体一つで騎乗すると、血気に逸るランディを含めた黒剣隊を率いて西門へ向かった。防具の装備は後で何とかなるが、シルヴィアをあのまま行かせてはならない、そんな予感めいたものがあったからだ。


 いま思うなら、それが結果的にシルヴィアの孤独を深めてしまったのかもしれない。


 森の道を駆け抜けて西門にたどり着いたレオンたちが見たのは、小さな身体に似つかわしくない大剣で難なく魔物を貫いたシルヴィアだった。


 消滅する魔物の塵を浴びても汚されない姿には、人にはあり得ない光そのものの高潔さがあった。一部始終を見ていた西の門衛たちはさすが【戦乙女】と称えたが、最初は異様な戦いぶりに恐怖めいた畏敬の念を覚えたそうだ。レオンもまた見た目から彼女を侮っていた自分に気付かされてはっとした。

 そしてそうした者たちの思いをシルヴィアは敏感に感じ取ってしまったのだろう。あの警鐘の直前、どこか様子が違っていたのもそのせいだ。それまで試みようとしていた、思考を言語化し、発露し、相互理解に至る方法を放棄して、いまなのだと思う。戦いに携わる者たちが自分を敬遠すると考えて関わりを避けているのだ。見かけからは想像もつかない能力を目の当たりにした者たちに、脅威として認識されたとわかってしまったから。


「この国にいてくれと、気軽に言うものではなかったかもしれんな」

「それはもちろんそうです。ですがそのようにして迷い子を拾ってしまうのが殿下の良さでもある」


 祖父ほどの歳の差の将軍に諭しながら言われ、レオンは気まずく頬を掻いた。タイタンは髭の下でふっふっと笑っている。


「それで、いかがなさいますか。上官として引っ張ってくることは可能ですが」

「もう少し様子を見て、避け続けるようであればそうしよう。いまは、一人で寂しい思いをしていないのならそれでいい」


 人の世を知らない、それはつまり自身をも知らないということ。自らを未熟と表現する規格外の戦乙女はいまそれらを学んでいる最中なのだから、レオンは彼女をこの国に誘った者の責任として、彼女を見守り、困ったときには手を差し伸べるだけだ。


(孤独にしない、ただそれだけだ)


 そろそろ処理すべき案件の書類の束を抱えてルヴィックが戻ってくる頃だ。タイタンには引き続き気にかけてくれるよう頼み、レオンは抜け出てきた執務室へと舞い戻ることにした。




 ヴィンセント王国に滞在中のシルヴィアは規則的な生活を送っている。


 夜明けとともに起床し、身支度をして、朝食を食べる。しばらくの間は厨房で賄いを受け取って野外の適当なところで食事をしていたが、サアラとカンナに見つかってからは女官や侍従たちが使う食堂に行くことが多くなった。

 城には使用人食堂が二つあり、騎士や兵士たちが利用するのが第一食堂、女性の利用者が多い第二食堂という特色がある。量が少ないがときには菓子が出るとサアラが嬉しそうに説明してくれたので、シルヴィアは第二食堂を利用している。

 食後は城内を散策する。小姓のお仕着せのシルヴィアは最初こそ呼び止められて名を問われ、あるいは新入りの小姓と間違われていたが、いまはもう素性を尋ねる者は誰もいない。遠巻きにしている者もあれば、数度の交流を経て軽い挨拶や会話をするようになった者もいる。

 この日は城を囲む森の、人が立ち入ることのなさそうな脇道を歩いていたが、そこへ時鐘が聞こえてきた。


(訓練の時間だ)


 騎士団舎のことを考えるがそちらに足を向けることはない。シルヴィアが留意すべきは王都の東西南北に位置する警鐘の音だけ。その音とともに王都を飛び出して行き、魔物を狩ること。人間に混じっての訓練は必要ない。何故なら。


(傷付けたくない。誰も)


 西門の城壁に上がり、壁の縁を歩いていく。こうすれば城内と王都、そして街の向こうを見渡すことができるからだ。門の詰所や見張り塔にいる門衛は通路に該当しないところを行くシルヴィアにぎょっとしたようだが、特に声をかけてくることはなかった。彼らにも【戦乙女】の戦いぶりのことは伝わっているのだろう。

 時間をかけて一周すると真昼時になっている。

 地上に降りて城に戻り、次の行き先を図書館に定めた。人の世やこの国の歴史、人間の知恵や発見を集積した図書館はいまのところシルヴィアが最も好んでいる場所だ。静謐で、光と影があって、どこか神の国を思わせる。


「あっ、シルヴィア!」


 だがその途中でサアラに遭遇した。

 サアラは現在シルヴィアが最も言葉を交わす人間と言っても過言ではない。片割れであるカンナは物静かな性格で、サアラばかりが喋っているからだ。世話係となった彼女たちはシルヴィアが一人で日常生活を送れる程度の知識と経験を得ると、日に一度、困っていることはないかと様子を見に来る以外は通常の女官の仕事に戻っている。


「何か用だろうか?」

「特に用事はないんだけど、いまから休憩しようと思ってるの。一緒に来ない?」


 ぶんぶんと手を振ってシルヴィアを呼び寄せて、サアラはにこにこと楽しそうに提案する。

 最初は「シルヴィア様」と呼んでいたが、何故敬称をつけるのかとそう呼ばれる度に尋ねた結果、レオンにするような仰々しい喋り方はしなくなった。するとこうして「用事はない」が何事かに誘いかけてくるようになった。

 そして「休憩」とはこの場合お茶とお菓子を一緒に食べようと誘っている。

「行く」と答えると「やったぁ」とサアラは目に見えて嬉しそうになる。だからいまのところ、彼女の誘いは断ったことがない。

 第二食堂に行き、並んで座って焼き菓子と熱い茶を啜る。ざくざくした穀物と干し葡萄を合わせた焼き菓子は、硬い食感が面白い。ざらざらしていて、こっくりと甘く、濃い茶によく合った。

 なお食事の作法は早々にオリエ、サアラ、カンナによって矯正され、ぼろぼろと食べ屑を落としたり食器を使わない、持ち方を誤っていたりということはなくなっている。そして食べ物、味の違いや自身の味覚を徐々に理解しつつあるシルヴィアはこの食堂の料理を好ましいと思っている。

 ざっくざっくと焼き菓子を咀嚼しているシルヴィアを見てサアラは首を傾げた。


「戦乙女って歯も丈夫なのかな?」


 さてどうだろう、とシルヴィアは考えた。


「この幼い姿で人間以上の能力を発揮するから、身体機能が高いことは間違いないと思う。恐らく歯も当てはまるのではないか」


 なるほど、ならば獣のごとく敵を食い千切ることができるのだ、と答えながら気付く。

 ふうんと言いながらサアラもがりがりと削るように焼き菓子を食んでいる。


「どうして訓練に行かないの?」


 これまでのやり取りを一切なかったことにするかのような問いに、シルヴィアは目を瞬かせた。どこかで彼女との応酬を聞き逃したか、一瞬で忘却したのだろうかと疑問すら覚える。


「ねえ、どうして? 何か理由があるの?」


 いや違う、これはサアラの平常だ。思いついたことを「そういえば」という前置きで話し始めるという。だからそのまま受け止めて答えればいい。


「理由はあるが、サアラは何故それを知りたいと思うんだ?」

「気になるから」


 率直すぎて返答に窮する。まだ語彙も少ないシルヴィアでは、それが返答になっていないことも彼女を諦めさせることも不可能だ。すると成長した感情や情緒との齟齬を解消できず、こちらも直接的に返すほかなくなってしまう。


「言いたくない」


 サアラはじっとこちらを見つめ「そっか」と呟いて引き下がった。


「ランディたちに嫌なことをされたから避けてるんじゃないかって思ってたんだけど、そうじゃないならいいや」


「うん」とシルヴィアは頷いた。嫌なことはされていない。攻撃的な言葉を投げつけられたが、彼の思いや怒りを想像できるし、仕方がないと思うことができる。だからどちらかと言えば。


「嫌なことをしたのは私の方だ」


 え、と不安めいた声を発したサアラに呼び止められる前に「ごちそうさま」と席を立つ。まだ完食していないサアラは決して追いかけてはこられない。空になった食器を厨房に返すとふらりと外に出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る