人の国6 人ならざる者

 国王の代理人の案内なら間違いはないだろうと、安心して後に続く。ルヴィックや女官たちも一緒で、ルヴィックはレオンのすぐ近くを、オリエたちはシルヴィアの後ろを歩いていた。


 空は夕暮れの色に染まりつつあった。遠くから大河に集う水鳥らしき声が聞こえ、真昼時とは違った緩やかで静かな雰囲気が辺りを包んでいる。


 ヴィンセント王国の王の居城は、小高い丘を埋めるように麓から頑丈に、高く作られている。四方を囲む建物があり、奥に高い建物が段差を作り、中庭を、川を、街を望めるようになっている。シルヴィアが逃げ込んだレオンの部屋はこのうち最も低いところにあった建物だ。


「この辺りは本城と呼ばれる部分だ。表と裏があって、俺の執務室がある辺りは各種専門の者たちが仕事を行う国政を司る『裏』で、『表』は主に社交や外交を担い、謁見の間や宴を催す大広間など国内外の人間をもてなす部屋がある」


 本城の構成は大きく二つに分かれる。川側の麓に女官や侍従といった者たちが日常的に過ごす仕事場や私室があり、反対側の麓が黒剣隊をはじめ騎士や兵士の戦闘職の拠点に当たるという。シルヴィアが今後過ごすのは後者になるそうだ。

「見学に行くか?」と尋ねられたが断る理由はない。

 緩やかな道を下るように騎士団舎に向かうと、近付くに連れて人の、勇ましい掛け声や武器の打ち合う音が聞こえてきた。


 騎士団舎には複数の野外訓練場があり、戦いが行われていたのは中央部に位置する最も広いものだった。十分な距離を置いた複数の二人一組が木製の剣で戦っている。


「騎士団舎にいるのは王族を守る近衛騎士団、女性王族を護衛する花剣騎士団、国内の防衛に努める王国騎士団、魔物との戦闘を専門とする討伐隊だ」


 見分ける方法は服装だという。言われて見れば、訓練を行う者たちはそれぞれ異なる色の革帯をしている。近衛は黄色、花剣は赤、騎士団は青、討伐隊は黒のようだ。


「訓練止め!」


 怒号めいた男声が響き、全員が動きを止めて武器を下ろして直立する。声の持ち主が「殿下」と呼んで姿を現した。


「そのような大勢でお越しとは、お珍しい」


 白い髪と髭を蓄えた立派な体格の男性だった。老いてはいるが動きにも視線の配り方にも隙がない。にこやかながらしっかりシルヴィアを捉えている。


「訓練中にすまない、将軍。シルヴィアに城を案内しているところなんだ」


 続けてくれとレオンが手を振ると、将軍と呼ばれた男性は「再開!」と声を響かせた。途端に動きを止めていた者たちが再び戦い始める。


「シルヴィア、彼はアーノルド・タイタン近衛騎士団長。この国の戦士たちをとりまとめる強者で、みんな将軍と呼んでいる。将軍、彼女はシルヴィア。戦女神ジルフィアラの乙女だ。黒剣隊に所属してもらうつもりでいるからよろしく頼む」

「左様ですか。本当に【戦乙女】であるならこれ以上なく心強い」


 彫りの深い顔に多数の皺が刻まれているが、笑った顔は人懐っこく、愛嬌がある。だがシルヴィアの力量を探る鋭い光を瞳の奥に隠していた。


「アーノルド・タイタンと申します。どうぞお頼み申します」


 レオンが「よろしくお願いします、と答えるんだ」と囁く。


「『よろしくお願いします』」


 シルヴィアが素直に繰り返すと、タイタンは目を細めて「こちらこそよろしくお願いします」と応じた。先ほどの笑顔とは少し違って、女官のオリエがしていた表情に近しい。年齢を重ねるとこのような眼差しをするのだろうか。


「新しい者たちはどうだ、よく育っているか?」

「だいぶ慣れてきたようですが、その分驕りも見え始めております」

「まあ、そういうものだろうなあ」


 頭の上で二人が言葉を交わすのを聞きながら、シルヴィアは訓練場に視線を向ける。これからはああいうことをするのかと思いながら、しかし『訓練』という言葉に引っ掛かりを覚えた。

 そんな様子に気付いたのはサアラだ。隣に並んで同じものを見ようとしながら声をかけてくる。


「シルヴィア様、どうかなさいましたか?」

「『訓練』とは習熟するための学習行為で間違いないか?」

「え? ええぇっとぉ……」


 笑みを引きつらせたサアラが困ったように視線を彷徨わせると、レオンとタイタンがそれを気付いた。


「どうした?」

「レオン。彼らは戦闘技術を習熟させようとしているのか、相手を負傷させないよう力の度合いを調節しているのか、どちらの認識が正しい?」


 刹那、ぴりっと空気が張り詰めた。

 もちろんシルヴィアは感じられるだけでその意味を理解できない。


「どういう意味だ?」

「あれは戦闘技術を向上させる行為ではないように感じられる。彼らはお互いに全力を出していない。負傷の可能性が高い攻撃をあえて避け、不必要に打ち合いを続けている」

「なんだとぉお!?」


 凄まじく尖った大声とともにランディが荒々しい足取りで近付いてきた。


「お前! もう一回言ってみろ!」

「『あれは戦闘技術を』、」

「まじでもう一回言うんじゃねえよ!」

「あなたが指示する通りにしたのだが他に汲み取るべき意味があったのか」


 ランディは顔を赤く染め、ぶるぶると震えている。レオンは口元を覆い、タイタンはひっそりと笑って、ルヴィックは冷めた顔をし、女官たちは各々微苦笑していた。一同にこの状況を解説するのは困難そうだと判断してシルヴィアは自ら思考する。ランディのこの反応は何を意味するのか。


「もしかして、あなたは怒っているのか?」

「当たり前だろうがっ!」


 ランディはこれまでになく怒りを吹き上げた。


「たったいまお前は俺たちの訓練を『無駄』っつったんだ! たとえお前が本当に【戦乙女】だとしても俺たちの努力を笑う権利はひとかけらもねぇ! 本当のことを言っただけだなんてぬかしたら俺がぼこぼこに叩きのめしてやる!」


 笑ったわけではないという反論は無意味だと本能的に察知して口を閉ざす。

 本心だとも嘘偽りは言っていないというのも、ランディの怒りを増幅させるだけだ。どうしたものか考えて黙っていたのが悪かったのか、ランディはレオンに向かってシルヴィアを指した。


「殿下! こいつと勝負させてください! 俺が勝ったらこいつの黒剣隊配属の撤回をお願いします!」

「勝負か。俺は別に構わんが、どうする、シルヴィア?」


 シルヴィアはレオンとランディを見比べ、眉を寄せて首を振った。


「勝負は、受け入れられない」

「なっ、逃げるのか!?」

「落ち着けランディ。シルヴィア、勝負を断る理由はなんだ?」


 全員の視線が集まり、シルヴィアは驚きと違和感を覚える。これまでの素直な言動から絶対断らないだろうと思われていたこと、また得意とされる事柄に拒否を示したせいだとは少しも思わず。


「未熟なれど私は【戦乙女】、我が主ジルフィアラの武具として作られた。我が主の敵、主なる神アンブロシアスを脅かす者、すなわち魔の神ディセリアルとそれに連なるものどもと戦うのが【戦乙女】。そのための力を与えられている。ゆえにただの人間相手では――」


 シルヴィアは無意識に大きく息を吐いた。


「――殺してしまう」


 しいん、と辺りが静まり返る。


 ランディの乱入から訓練中の者たちは動きを止めており、怒りを表す者や呆れる者、不愉快そうな者とそれぞれに成り行きを伺っている。

 彼らに共通するのは、疑いだ。


(そう、疑問を覚えている。私は本当に戦乙女なのか、この幼い姿で【戦乙女】の能力を発揮できるのか疑っている。戦えるはずがないと考えている)


 これまで出会った誰もが探るような目をしていたのはそれが理由だ。【戦乙女】を名乗る者が戦闘に適しているとは言い難い少女の姿をしているのだから。


(だが、不完全体でも私は【戦乙女】だ)


 決して侮ってはいけない、と言おうとして。


 ――カンカンカンカンッ!


 鋭く打ち付けられる鐘の音に全員がはっとなった。


「警鐘。西門側のようです」


 タイタンが笑みを消して音のする方を示した。それを受けてレオンの目つきも鋭く変わる。


「オリエたちは他の者たちに声をかけながら避難を。騎士団は城内ならびに王都の防衛と巡回に当たれ。指揮は将軍に任せる。花剣は離宮へ、状況を知らせに急ぎ向かうよう。黒剣隊、負傷者以外は出るぞ」

「かしこまりました」

「仰せのままに、殿下」

「お任せください! すぐやっつけてやりますよ!」


 レオンの指示にオリエ、タイタン、ランディが応じる。西と聞いてシルヴィアはそちらを見やり、魔の気が感じられることを確認した。確かに魔物が出現したようだ。


「シルヴィアは、」

「魔の者を狩るのは【戦乙女】の務め。あれくらいなら私一人で事足りる」


 それだけ言うとシルヴィアは駆け出した。建物の壁に直撃すると予想した者たちの悲鳴と制止を背に、大地を蹴って屋根の上に飛び上がり、そのまま西へ、屋根と地上を貫くように跳んでいく。


(私一人で足りるなどと、何故言ってしまったのか)


 言わなくてもいいことを口にしたと、自らを省みる。

 ランディは怒りを煽られただろうし、遠くで耳をそば立てていた者たちの疑心や嫌悪を募らせた可能性があった。この振る舞いが意図したものなら、シルヴィアは自ら彼らとの関係の構築を放棄したことになる。

 これまで見聞きしたもの、感じた思いが浮かび、渦を巻いてないまぜとなって心を乱す。人々の目。表情。この世の常識。ドレス。怒り。疑い。嫌悪。想像しても共感ができずにいる感情たち。


 殺してしまうと言って、そのことを自覚したときのまるで落下していくような感覚。


(わからない)


 ――私は、『私』がわからない。


 屋根が途切れた先は森だ。躊躇なく城を守る緑の海に飛び込んだ。

 森の闇を作る枝葉に手足を傷付けられながら降り立つ。西門へ至る開けた道があったが突き抜けた方が早いと、建物の上にいたときに確認した方角へ向けて走り抜ける。時間もかからずにたどり着いた城壁の上へ跳躍し、そこで一息ついた。

 遥か大地を見渡して、見つけた。


(獣魔。狼、鹿、牛、猪の混ざりもの。魔の神の手慰みの被造物)


 神のすべてが創造の力を持つわけではない。持っていたとしても巧拙の差が激しく、ジルフィアラなどは【戦乙女】しか造れず、ディセリアルは造り出すものに知性と理性を与えることができないという。

 創造は絶対的でも万能でもない。

 この身が証明するように、どれだけ知識があっても、人の世に在るためにはそれだけでは無意味だ。

 真の理解を得たシルヴィアは大きく息を吐くと、暮れなずむ大地へと一歩を踏み出した。


 城壁から落下し、緩やかに降り立つと、地を駆けながら鞘を振り捨て、郊外の農作地を荒らしていた獣魔へと迫る。一息に距離を詰める姿は銀の髪の輝きも相まって流星のようだったと、後に西門の衛兵たちが語った速度のまま、横倒しにした剣で一体を薙ぎ払う。

 一瞬にして塵とかした魔物には見向きせず、別の一体がこちらを目視する反対側に跳んで高いところから叩き切る。

 そこで果樹を押し倒して回っていた三体目がようやく気付き、獣の吠え声を上げて唾を吐き散らしながら巨体を揺らして迫る。

 星の瞬く夜空よりも黒い闇。凶暴性に支配され破壊のみを行う魔物と相対し、シルヴィアは考える。


 敵であるというだけで剣を振るう私は、知識を持ち、意思とそれを伝える言葉を持ち、感情と経験を育てる余地を残した【戦乙女】は、同じ神の造り物である魔物といったい何が違うのか。


「…………」


 少なくともいまは、人間を脅かす魔神の手駒を見過ごすことはできない。

 牙を剥く獣魔に自ら身を寄せて剣を突き立てる。柄まで押し込んだ刃が確実に、心臓に当たる核を貫き、シルヴィアは命を失った魔物の塵を浴びた。


 風が塵をさらい、消えていく。

 ゆらりと剣を下ろし、シルヴィアはぼうっと空を見上げた。

 道とは呼べぬ経路と距離を、人にはありえない速度で駆け抜け、息も乱さず魔を狩る。傷ひとつ、髪の一筋に至るまで汚れない、幼い姿。


 これが【戦乙女】。

 これが、私。


(私は、人間ではない)


 一連の出来事を知った人々の思いを先んじて胸の中で言い表して、この日からシルヴィアは自らのさだめに従って人の世で過ごすこととなった。それは力を持つ者の宿命と人ならざる我が身を理解する日々でもあるのだった。

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