人の国4 自由とは

 旅装から普段着に服装を改めた後、レオンは執務室で各種報告書に目を通し、裁可待ちの書類の内容を確認していた。

 そうしている間にも秘書官であるルヴィックが書類や訪問者を取り次いで仕事が増え、城に戻って数時間と経たないうちに机に縛り付けられて離れられなくなってしまう。

 他にも自らも赴いた主神神殿への参詣と、帰路での魔物の遭遇と戦闘についての報告書を仕上げなければならない。そこで出会った【戦乙女】のこと、この国での滞在を認め、保護する旨を明日の朝儀で重臣たちに宣言することは最優先だ。この根回しが早急に必要だった。


「ルヴィック、後でクロイツ宰相に時間を取ってくれるよう頼んでおいてくれ。シルヴィアの件で卿の力を借りたい」

「酒と菓子をちらつかせればすぐ来る。先日ついに母上に間食と寝酒を禁じられたからな」


 自身も決済済み書類を確認しながらクロイツ公爵令息であるルヴィックが言った。

 父親同士が主従の間柄で、当人同士も幼少期からそうなることが当たり前だと思って過ごしてきた幼馴染み。将来国王となったレオンの宰相となるのがこのルヴィック・クロイツだ。昔から頼りになる一方、親しい者に憎まれ口を利くのを楽しみにしている節がある。だから公の場では口調は砕けるし、食べることが好きな人格者の父親相手にも彼の舌鋒は鈍らない。


「この報告書、ランディだな」


 そうしているうちに先んじて帰還した黒剣隊から報告書が上がってきたらしい。一瞥したルヴィックの目つきが冷ややかになった。


「どうした?」

「【戦乙女】についての記述に客観性が欠ける。再提出だ」

「ああ、ずいぶんシルヴィアに敵愾心を抱いていたようだからなあ」


 レオンは笑いを噛み殺す。ランディには可哀想だが、仕事は仕事だ。決してルヴィックに毒づかれる仲間が増えて喜んでいるのではない。


「感情的な部分を律すればランディはいい騎士になると思うんだが、まだ難しいか。シルヴィアと足して割ればちょうどいいのになあ」


 好奇心と知識欲があり率直に言葉にする積極性もあるが、語彙が少なく物言いが硬すぎる上、表情も少ないシルヴィアだった。絵画の中の人物のように美しいが、感情を表現することを覚えれば、笑顔と素直な言葉で多数の人間を魅了するようになるだろう。すでに彼女のいくつかの言葉に心を動かされているレオンは、そのときを楽しみにしつつも恐ろしく思っている。


「御せるか?」

「そういう言い方は好きじゃない」


 ルヴィックは呆れた顔をする。この幼馴染みは昔からレオンが王族らしい言動を逸脱することに誰よりも否定的だ。

 それはヴィンセント王国が小国であること、中央国に比べて魔物の脅威が存在すること、幼くして母王妃を亡くし、守るべきものを背負ってしまったレオンに、王族として以外の不必要なしがらみを持つなと願うからこそだ。わかっているからレオンもひとまず耳を傾けるようにはしている。


「【戦乙女】は戦女神の被造物であっても神に類する存在だ。我々があやまてばこの国と民に甚大な被害が及ぶんだから、上手く利用してくれなければ困る。最近の魔物の出現率の高さはディセリアルの力が強まっているからだと神殿が進言してきたんだろう?」


 魔神ディセリアルは主神アンブロシアスの創造した世界を崩壊を望み、そのために魔物を放つ。そして魔物との遭遇率は波のように満ちては引くディセリアルの力の強弱に比例するのだ。

 周期的に訪れる災厄が近いという警告を神殿から受け、対策を協議した帰路、シルヴィアと出会った。その意味を、レオンは人間の思惑に絡めたものにしたくはなかった。


「ならばなおさら、御すなどと言うべきじゃない。神であろうとなかろうと、シルヴィアの行方はシルヴィアが決める。俺たちができるのは、可能な限りここにいて力を貸してほしいと請い願うことだけだ…………」


 ふと気配を感じて視線を巡らせる。「殿下?」と不思議そうなルヴィックの声を背中に受けつつ立ち上がり、中庭を望む大窓の鍵を外し、大きく開いたそのとき。

 ひらり、と銀の光が閃きながら舞い降りた。


「――――」


 違う。光じゃない。

 まとめ髪にしようとしたのか髪飾りを着け損ねて乱れた銀の髪。薄青のドレスは着付ける前の状態で紐だの留め具だのが中途半端に外れ、細い肩が剥き出しになっている。陶器めいた足にもちろん靴はなく、あまりにも無残だ。

 だというのにその姿は、何者にも侵しがたい野を行く獣と、少女の無垢を併せ持っている。


(美しい)


 溢れそうになった呟きを咄嗟に飲み込んで、レオンは苦笑混じりに問いかけた。


「いったいどうした、シルヴィア? その格好は?」

「レオン、あなたが私の身元を引き受けるこの国の暫定国主であるなら、私の話を聞いてほしい」


 くだけた物言いを知らないらしいシルヴィアはずっとこういう喋り方をしているが、生真面目さを強調するそれと薄い表情がいつにもなく逼迫しているように感じられる。


「何があった?」


 笑みを消して尋ねると、シルヴィアはふうっと大きく息を吐いた。


「この、ひらひらした拘束具めいた衣服の着用を強制する者たちがいる」


 胸元の薄い布地を摘んで、どこか忌々しそうに言うシルヴィアにレオンが返せたのは、束の間の瞬きと堪えきれなかった大笑だった。





 レオンと別れたシルヴィアはその後女性たちの先導で宿所となる部屋に案内された。彼女たちはこの城に奉仕する女官という職種の者で、これからシルヴィアの身の回りの世話をするという。

 白髪の混じる髪を結った女性が女官長と名乗ったオリエ、それよりも若く東の民らしい顔立ちをした女性がカンナ、さらに若く小柄な茶色の髪の女性がサアラという。名乗った順に立場が高いようだとシルヴィアは見て取った。

「まずはお湯浴みをいたしましょう」とオリエが言い、浴室に連れて行かれた。衣服を脱ぐよう言われ、従ったが、「失礼いたします」の声とともにぬるま湯をかけられたことには驚いた。


「何故こんなことをする?」

「はい? ……ああ、お湯浴みをする理由ですね? これは汚れを落とすためです。こうして濡らして、石鹸泡を全身に滑らせて、身体を清潔にします」

「むずむずする……」

「あら、くすぐったいですか?」


 オリエとカンナがくすくす笑いながら、シルヴィアを髪から爪の先まで洗っていく。入浴という知識と経験が結びつく出来事だったが、他人にされるがままになることに忌避感を覚え、早急に正しい入浴の方法を身に付けねばならないと強く思った。

 入浴後は水滴を拭い、髪を乾かす。

 そうしているとどこかに消えていたサアラが戻ってきて、シルヴィアが着ていた服を持っていこうとする。何をするのかと尋ねると洗濯だという。


「終わったらお返しするので、安心してくださいね」


 丁寧に洗わせていただきますと彼女はその場でそれを表現した動きをするので、先ほどの入浴のことを思い出したシルヴィアが「洗濯とは衣類の入浴なのだな」と気付きを口にすると、女官たちは楽しそうに「確かにそうですね」と笑った。

 衣類を回収する一方で、サアラは代わりになる衣服を持ってきていた。薄い青の、空に清水を混ぜた色合いの衣類で、女官たちの黒い装束とは異なる素材や意匠をしている。

 だが――それからの出来事はシルヴィアにとって『騒乱』と表現するほかない。

 下着だの体型を整える補正着だので身体を締め付けられ、軽量とは無縁の無意味にひらひらしたドレスとやらを着せられそうになったのだ。

 理由と説明を与えられても衝動的に理解を拒否したシルヴィアは彼女たちを振り解いて部屋を飛び出た。捜索されている声がしたので身を潜めようとしていたところ、偶然にも建物の最上階にあった部屋の窓を開けるレオンのもとへたどり着くこととなったのだった。

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