人の国2 剣の王国
初めての乗馬は横座りだったがすぐに慣れた。馬という生き物の意思や拍動を感じながら、過ぎ行く景色を眺め、併走する他の者たちの乗馬技術を観察する。もちろんシルヴィアと同乗するレオンについても。これからの自らの在り方や生活のために考えるべき事項は多かった。
「先ほど笑った理由は、この道行きで説明されるという解釈で間違いないか?」
「さっき? ああ、あれか。お前が可愛らしく思えたからだ」
「そうか。【戦乙女】は美しく作られるのでそのように感じるのは正しい」
すると何故かまたレオンは笑い始め、シルヴィアの頭を撫でて親愛を示した。
「その辺りの機微も少しずつ学んでいくといい。衣食住に関してはこちらで手配するが、何か希望はあるか? 食べられないものや、暑さや寒さに弱いといったことは?」
「特にない」
「戦乙女の能力を見込んで魔物と戦う戦闘職に就いてもらいたいと考えているんだが、問題ないか?」
「問題ない。魔との戦いは【戦乙女】の本分だ。特に私の場合は能力の成長が見込まれるので積極的に経験を積むべきだと考える」
「場合によっては戦闘以外の仕事を頼むかもしれないが、相談に応じてもらえるか?」
「受諾の可否は仕事の内容による。それを理解しているのなら、応じよう」
そう答えつつも大丈夫だろうという気がしていた。人の世界の常識に照らし合わせて非人道的と呼ばれるような行為、人の法に背くような真似を、このレオンと呼ばれる男は決してシルヴィアに強いることはないだろう。神々の末端にふさわしい技量を持つ【戦乙女】は戦闘にも活かされる直感力に優れている。その感覚が、このように出会って間もない人間を信頼に足る存在だと告げているのが不思議でならなかった。
いまも、ほら。
シルヴィアの視線に気付いて目を合わせ「どうした?」と尋ねてくる。
「何か心配事があるか? 疑問があるなら出来る限り答えよう」
「あなたという人間は一般的なものなのだろうか?」
レオンは少し斜め上を見て探るように唸った。
「うーん……その疑問に答えるにはまずどの部分を指しての問いなのか、その上で一般的とされる基準を設定するところから始める必要があるな。見た目か体格か、それとも技能なのか」
「現時点で私はあなたのことを親切で寛大な人物だと感じている。私が直接言葉を交わしたのは現在あなたを含めた二名だが、あなたが特異な人間なのかこの国の特性に関わりがあるのか疑問に思った」
それからしばらく、どっどっどっ、という馬の駆ける音だけがしていた。
これまで速やかに返答してくれていたのによほど難しい問いだったらしい。シルヴィアは黙りこくるレオンに言った。
「回答が困難であれば、私自身で確かめるので問題ない」
「ああ、うん……そうしてくれると非常に助かるが……シルヴィアは人たらしの才能がありそうだなあ」
先んじて「独り言だから気にするな」と言われて、人たらしの意味を尋ねそこなったシルヴィアだった。悪い意味のようでいてそうとも言い切れない複雑な気配を感じた。
しばらくすると人が作ったと思われる広い石畳の道に出た。しばらく走っていると馬車や
「黒剣隊とは、あなたたちのことか?」
「そうだ。ヴィンセント王国で魔物と戦うために組織された討伐隊の通称が『黒剣隊』だ。お前もここに所属してもらうことになる」
「理解した」と答えたシルヴィアは、ふとレオンを見上げて言った。
「『黒剣』とは、まるであなたを表すような言葉だな」
「…………」
息を詰まらせたレオンは沈黙し、深く長い息を吐いた。
「……劣っていると自称してこれか……見た目が違っていたら間違いを起こすところだ……」
「どういう意味だ?」
「独り言だ。シルヴィア、この国は比較的平和だが自衛は欠かさないでくれ。お前のように見目麗しい少女に不逞を働こうとする輩がいないとは限らん」
「承知している。我が主が与えたもうた力は、敵と相対するためだけではなく自らをも守るために存在する」
「うん、そういう返事をすると思った」
やがて大きな流れの音を【戦乙女】の優れた聴覚が拾うようになった。水の気配を濃く感じる。なだらかな丘を降るように駆けて理由を知った。
その都市は大河の両岸に作られていた。
丘を越えると起伏が緩やかになり、平野を埋める農作地と街があった。最も目立つのは、神々が建てた柱のような塔。時刻を知らせる時計塔がある街なのだった。
対岸は緑の木々で覆われた崖、その下にまた街が広がっている。こんもりとした森に覆われた岩場の上には、石造りの城が建っていた。この街を見守り、また来る外敵に備えて遥か遠く見渡すための砦だ。
「王都だ」とレオンが言う。
緑の茂る作地の間の道を行くと門があった。門番に「おかえりなさいませ!」と声をかけられて、シルヴィアたちは市街地に入った。
街に入ると一行は足並みを緩め、行き交う馬車や荷車と変わらない速度で通りを進む。石で舗装された道を行くのは、騎乗した者、驢馬などの家畜が曳く車、徒歩の者も多数いる。素朴な素材で作られた軽い衣服の者がいれば、金色の釦や袖口の華やかな刺繍を施した上着を着た者も、異邦の旅人と思われる汚れた旅の外套をまとう者もいる。老いた者も子どもも男も女もいた。
建物は、規模や形こそ違いはあるが、赤い屋根と白い外壁で統一されている。景観に関心の高い住民が多いのか、玄関前や窓辺には植物の緑や花があり、ごみが目に付くこともない。
風に混じるのは食べ物に由来するであろう甘い香りに辛い香り、川の水、その他が入り混じった複雑な匂いだ。犬と猫の鳴き声もし、人々の会話に、子どもたちのはしゃぐ声、どれに耳を澄ませばいいものかと考えてしまう賑やかさだった。
「今日は特別な日なのか? ずいぶん賑やかだ」
「いいや、これが日常だ。賑やかというのは祝祭や年越しの祭りなどのときだな。何倍も人の姿が増えて、みんな着飾って、街も飾り付けられて景色が華やぐ」
レオンの言葉を半分聞き逃すようにして、シルヴィアはあちらこちらに視線を向けた。先ほどまでが嘘のように、溢れるばかりに人間がいる。年齢も見た目も、服装すら異なっていて何のどこを見ていいのかわからなくなる。
「あまりきょろきょろすると危ないぞ。街を見物したいなら後で案内してやるから、少し落ち着け」
落馬しないよう支えていたレオンの手に自らの手を重ねて、シルヴィアは大きく頷いた。
「私一人では見るべきものが多すぎて目を回してしまうだろう。あなたと一緒なら安心だ。案内、よろしく頼む」
そう言いながらレオンに支えられてなるべく遠くを見ようと試みる。レオンは何か言いかけたが、悩ましげに首を振り「あまり身を乗り出すな」「触ろうとするんじゃない」と警告を発しつつ、見えるもの触れられる距離にあるものに興味を示すシルヴィアの好きにさせることにしたようだった。
一行は大河にかかる巨大な石の橋まで来た。橋の上を大勢のものが進んでも、下方の水の流れが強く橋桁を洗おうとも、まったく揺らぐ気配がない見事な石橋だ。
「ルクレス大橋という。『ルクレス』という名の高名な職人に敬意を称して名付けられたものだ。建国の頃からこの国は職人の地位が高く、現在も職人たちを手厚く保護する決まりになっている」
ほら、と指した先には市街がある。新旧入り混じった建物が集まっているようだ。
「あの辺りは職人の店や工房が集まっている地区で、職人街と呼ばれている」
シルヴィアが身を乗り出すように眺めるのを支えながら、レオンは後ろに続く者たちを振り返った。
「ランディ。先に戻って【戦乙女】を連れていくことを知らせてくれ。ルヴィックなら速やかに迎えの準備をしてくれるはずだ」
「……かしこまりました」
言葉とは裏腹に不服そうなランディは、追い抜く直前シルヴィアを一睨みしてから駆け去っていった。
対岸の街を通り抜け、崖の上に行く丘を登り、森の中を進む。木漏れ日の間から数種類の鳥の声が降り注いでくる。
「この先にあるのは城、国主の在所で間違いないか?」
「ああ、王城だ」
「国主の許可なく私の処遇を決定したのは問題にはならないのか。それともこれから許可を得るのか?」
そのとき後続の者たちが噴き出した。シルヴィアの疑問が聞こえたからのようだが、笑いながら「本当にお人が悪い」と顔を見合わせている。
所変われば国王と呼ばれる者の権力の強さが異なることは承知していた。大抵の国主は国の最高権力者、国民はその意思決定に従うものだが、象徴として王を置き、政は議会など複数の者の討論によって行われる国が存在するという知識はシルヴィアにある。
だがいったい何を笑うのだろう。笑うという行動の原因や理由を思い浮かべるシルヴィアはそのとき、ぽん、と頭を撫でられて目まぐるしく回転していた思考を止めた。
「行ってみればわかる。ほら、もう着くぞ」
森を抜けると視界が開けた。
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