夜の呪い

此糸桜樺

1

まずはこちらから。

『夜を待つ』

https://kakuyomu.jp/works/16817330662758713224/episodes/16817330662760633770




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「どうして……結愛、なあ、結愛! お願いだ! 目を覚ましてくれ!」


 辺りには少年の絶叫が響いていた。青白い顔で横たわる少女に、少年は今にも泣きそうな顔で必死で手を伸ばす。


「おい坊主、離れろ! ガソリンが引火するかもしれねえ」

「いやだ、そんなの、結愛! まだ君の夢が! 大人になるという夢が! まだ叶ってないじゃないか……」


 街の人たちが、無理やりに少年を事故現場から引き離す。いつの間にか狭い路地裏には、たくさんの野次馬が集まり、混沌を極めていた。

「皆さん離れてください! 危険輸送のトラックです! 二次災害のおそれがあります!」

 警察、消防、救急。それぞれの隊員が必死になって呼びかける。

 危険輸送トラック。少年の耳にその単語が聞こえたとき。単語の意味を理解し、言葉として頭に入ってきたとき。目を見開き、再び少女に手を伸ばそうとしたとき。

 赤黒い轟音と、噎せ返る黒煙と、皮膚が焼けただれるような炎が、トラックを包み込んだ。真紅の炎は、少年の目には鮮烈な花火となって脳裏に焼き付く。

 夜に咲く、赤い花のように。

 血で塗られた、大輪の花のように。


――天に花咲け、我がほしに呼応せよ――


「結愛ああっ!!」


 少年の声は、人々の悲鳴と、巨大な爆音にかき消された。人々は路地から逃げるため、一目散に大通りの方へと走っていく。その波に少年は押され、押され、押され……だんだんと爆発との距離が離れていく。

 大柄の男に引きずられながら、少年はうわ言のように少女の名前を呼び続けた。信じたくなかった、信じられなかった。最強のはずの魔法使いが、こんな最期をむかえるなんて到底納得がいかなかった。


 しかし、その声もいつしか小さくなっていき、体の力が抜けていく。段々と意識が遠のき、周囲の声が遠くに感じる。


 急に静かになった少年を、不思議に思った男が振り向いたとき――少年は完全に意識を失っていた。









――また、あの夢か

 真咲は気だるい体をベッドから起こした。悪夢を見た日の目覚めはすこぶる悪い。

 普段、冬はなかなか起き出すことができず、ギリギリになってようやく布団から出るのが日常茶飯事だが、悪夢を見た日は別だ。疲れも取れないし、ろくに休んだ気がしない。二度寝すらする気にもなれない。

 重たい身体を無理やり動かし、ベッドからフローリングに足をつけば、ひやりと冷たさが足裏を突き刺した。


 あの事故の日――魔法使いの結愛が死んでから、ずいぶんと長い月日が経った。数週間後にはいよいよ10年目を迎える。しかし、真咲にとってあの出来事は、今でも夢で見るくらいには苛烈なトラウマとなっていて、なかなか当時のショックを忘れることはできないでいた。


「仕事行かなきゃ……」


 出勤前のコーヒーを一杯飲む。何か固形物を腹に入れる元気はないため、朝食は抜きだ。どうせお昼は無理やりにでも食べる羽目になるのだから、一食くらい抜いても別に問題ないだろう。


 マフラーを撒いて外に出ると、道路には寂し気な木枯らしが吹きすさんでいた。一年が経つのは早い。ついこの間まで桜の季節だったような気がするのに、もう霜が降りる季節となってしまったらしい。


 勤務地に着くと、真咲はほうと白い息を吐いた。コンクリート造りの大きな建物は、数年前に建てられたばかりの小学校。生徒にも保護者にも好評の、きれいな新校舎である。

 真咲は、今は小学校の教師となり働いている。「教師になり、子供たちを教え導く」という結愛との約束を果たすためだ。


 いつものごとく担当の教室に入れば、子どもたちはワイワイとお喋りに花を咲かせていた。


「ほらー、席つけー。朝の会始めるぞー」

「あっ、先生だ!」


 子どもたちは相変わらず元気に喋りながらも、皆一斉に席へと着いた。このクラスはムードメーカーや人懐っこい性格の生徒が多く、全体的に温かな雰囲気が広がっている。男女の仲も良く、真咲の自慢の生徒たちだ。

 教師3年目の冬だった。


「せんせー、彼女いますかー」

「いや、いないなあ」

「あははははは!!」

「何で笑うんだよ。いいだろう別に」


 真咲が少しおどけたほうに言えば、教室中がどっと湧いた。


 真咲に恋人を作る気はない。そんなことをしても無意味だからだ。

 あの事故の日からしばらくの間、真咲は途方もない罪悪感と無力感に苛まれ続けた。結愛から継承された魔法は、ほとんど使ったことがない。結愛の死をどうしても認めたくなくて、一回だけ魔法を使ったことはあるが、思うような結果は得られなかった。

 一番救いたい人を救えない魔法だなんて、そんなものいらない。

 所詮、「最強」などその程度なのである。


 しかし、とはいっても真咲も魔法使いの端くれ。魔法使いとしての責務はきちんと果たさなくてはならない。

 つまり、真咲の命と引き換えに救うべき人──そして自分が犠牲になってもいいと思えるほどの人を、探す必要があった。








「先生!」


 生徒の声に振り向くと、彼女は無邪気な仕草で真咲の袖をつかんだ。陶器のように美しい肌は、天真爛漫な少女に似つかわしくないほどの白さで、まるで西洋のおとぎ話に出てくる登場人物のようだ。


「今度ね、私、雑誌の表紙に載るんだよ! 表紙は初めてなの!」

「おお、そうなのか。すごいなあ」

「すごいでしょー。先生も雑誌見てよね!」


 玲那は嬉しそうに話す。

 しかし、真咲はその可愛らしさの代償を知っている。小学生ファッション雑誌の読者モデルとして活躍する彼女は、母親から過度な生活管理を受けているのだ。食事制限はもちろん、外に出て日光を浴びることにも時間制限を設けられ、放課後友達と遊んだりするのもほとんど禁止されている。そもそも習い事が多く、現実的に遊ぶ暇はないのだが、たまにある休みの日でさえ徹底的に放課後は予定を入れられている。

 確かに、教育熱心な親なら、たくさんの習い事をさせている家庭も珍しくないだろう。しかし、玲那の母親は、学校の友人と遊ばせないようにするために習い事をさせているのだ。きらきらとした世界を最大限に浴びさせるため、一般の子と関わらせたくないのだという。


 真咲からすると、玲那の健康面も、友好関係も、どちらも心配だ。そこまで全てを犠牲にされて、果たして幸せなのだろうか。


「分かった、書店で探してみるよ。……お祝いにリンゴでも食べるか? 職員室でちょうど切ってあるからさ。みんなには内緒だぞ?」

「ええー、やったー!」


 目、頬、口。どれも完璧なプロの笑顔である。だから、たまに分からなくなるときがある。玲那が何に喜び、何に遠慮し、何を嫌がっているのか。本当の笑顔なのか、それとも感情を押し殺した笑顔なのか。


 玲那は、職員室で真咲からリンゴを受け取ると、しゃくりとリンゴをかじった。薄い黄色の果肉に歯形が付く。


 彼女の横顔を見ながら、真咲は複雑な気持ちになった。


「あのねー、もし一つだけ願いを叶えてくれる神様がいたとしたらね、私はこうお願いするんだ。大好きなお仕事が、もっともーっと楽しくできますように!って」

「そうか。仕事は好きか?」

「大好き! 読モの友達もできるし、可愛い服たくさん着られるし、楽しいよ!」

「そっか。うん、叶うといいな。きっとできるよ」

「ほんと? それだといいな!」


 オーバーサイズのトレーナーから伸びる腕は、小枝のように頼りなく細い。ブランドものには疎い真咲だが、きっとこの服も高価なものなのだろうと思った。


 何度も保護者と面談をしたが、「結婚していない先生には、子どものことなんて分からない」と聞き耳を持ってくれない。


 どうしても救ってやりたかった。


 彼女は読者モデルの仕事が好きだという。生徒の夢や好きなことを応援することも、教師にとって大切な仕事である。彼女が読者モデルの仕事を嫌いになる前に、なんとか手を打たねばならない。


「じゃ、先生ありがとう!」

「はいはい、どういたしまして」


(願いを一つだけ叶えてくれる神様、か)


 真咲は、静かに目を伏せた。魔法使いの力を玲那に伝承することができれば、彼女の願いを叶えることができるだろう。

 ただ、魔法使いは、己の死を代償として人を救う運命にある。教え子にそんな過酷な運命を背負わせることは酷なことのように思えた。

 しかし、それでも――彼女のことは救ってやりたいと思ってしまうのだ。


 傲慢だろうか。偽善だろうか。

 いつまで経っても結論はでない。


 真咲は虚空に向かって、深いため息をついた。






 全ての授業が終わり、真咲は帰り支度を始めた。本当はいくつか仕事は残っているのだが、どれも家に持ち帰ってできるものばかりだ。

 校舎から出ると、真咲の足は自然と、知人の入院している病院へ向かっていた。心に迷いが生じたとき、自分の道標となってくれる場所である。

 己の悩みを振り払い、頬をパシッと叩いた。せっかくお見舞いに来たのだ。寝ぼけた顔で会うことはできない。


「久しぶり」

「あ、お久しぶりです」


 真咲が病室に入ると、ベッドの上でにこやかに笑うその人は、思いのほか元気そうだった。入退院を繰り返しているため、体はかなり悪いはずだが、当人は案外あっけらかんとしている。


「今日はね、子どもたちから彼女いるのかって聞かれたよ」

「えっ、いるんですか?」

「いないよ、別にいらないし」

「ふうん、なあんだ」

「なあんだ、ってなんだよ……」

「あはは」


 真咲が顔をしかめると、その人はいたずらっぽい笑みで楽しそうに笑った。


「……それでさ、『先生は孤独死嫌じゃないんですか』だってさ。答えようがない質問で、思わず苦笑したよね」

「わあ、小学生なのに難しいこと言いますね。確かに孤独死は嫌です」


 その言葉を聞いた瞬間、真咲はぐっと声を詰まらせた。なぜならそれは、真咲が今一番聞きたい言葉だったからだ。


 孤独は寂しいものだ。孤独は辛いものだ。誰だって嫌に決まっている。


 真咲はひどく安堵するのと同時に、そんなことで心の平穏を保っている自分に嫌気がさした。


「君は、死ぬのは怖い?」

「いいえ。昔は怖いと思っていましたが、今は平気です。こんないつ死ぬかも分からない身体ですし、もう心の準備はできていますよ」

「……そうか」


 真咲は、その人の真っ直ぐな瞳を痛いくらいに受け止める。他の誰よりも「死」と「生」をともにして生きてきたその人の言葉は、他のどんな有名人の言葉よりも重く響いた。


「私は『大人になる』という夢を叶えました。それがどんな形であれ、私は幸せです。てっきり二十歳になったら死ぬのかと思っていましたが、意外にも長生きしてしまいましたしね」

「……もっと、長く生きたい?」

「そうですね」


 その人は少し考えながら言った。真咲の背筋に緊張が走る。


「まあ、こうしてお喋りする元気があるうちは、ですかね」


 含みのある言い方だった。何か言わなくてはと思うのに、上手く口から言葉が出ない。しばし二人の間に沈黙が続いた。


 病室に冬の冷たい風が流れ込む。窓が少し開いているらしく、ひゅうという隙間風が部屋に響いた。


「……閉めていい?」

「いいですよ。さっき、少し外の空気を吸うのに開けてもらっただけですから」


 真咲が立ち上がると、街路樹の木々はすっかり裸になっていて、枝が寂しげに空へと伸びていた。冬は日の落ちるのが早い。もう既に外は薄暗くなっていて、存在感のないイルミネーションがちかちかと灯っている。


「もうこんな時間か。テストの丸つけしないと……」

「はい。無理しないでくださいね」


「じゃあ、またくるよ。


「では、また。真咲くん」


 結愛は、微笑んで真咲に手を振った。


 病院から出ると、澄み渡る冷気が勢いよく顔を覆う。あっという間に、吐く息は白くなり、慌てて手をポケットの中に入れた。


 あの事故の日。結愛は全身に深い傷をおった。致命傷ともいうべき、死に直結するような傷をいくつも。しかし、結愛は奇跡的に意識を取り戻した。医師も驚くほどの、「奇跡」としか言いようがないほどの回復だった。

 だが、真咲は知っている。あれが「奇跡」なんかではないことを。そして「回復」でもないことを。

 あのとき、結愛は確かに「死んだ」のだ。大量出血と、脳震盪と、全身火傷を一身に受けた結愛は、間違いなく。

 ただし、それは「魔法使いの結愛」が死んだだけに過ぎない。人間としての結愛は死んでいなかった。いや、むしろ、のだ。


 普通の人なら命を落とすような、痛みも、傷も。結愛にとっては、死の要因とはならなかった。

 なぜなら、まだ夢を叶えていないから。夢を叶えるまでは、どんな致命傷を負おうと不死身なのである。

 夢を叶えるまでは死ねない――。それは一種のとさえ思えた。


 それではなぜ、大人になることを叶えた結愛が、まだ生きることができているのか。

 二十歳になったら死ぬはずの結愛が、苦しい日々を過ごし、どうして今も死ねないでいるのか。


「ごめん、結愛」


 真咲は小さく呟いた。

 結愛はまだ知らない。彼女には魔法使いとしての呪いだけでなく、他の呪いもかかっていることを。そして、それが真咲のせいだということも。

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