第15話 ジョーカー


「私は……ないな」


 その時、自然と久遠の方へと視線が動いてしまった。昨日の今日だが、既に都築から久遠の過去については耳にしていた。

 故に、つい無意識のうちに「私は」と答えてしまった。


「そっか……ないんだ。そりゃ、暗部で活動したりしてなきゃ、この学園でも命のやり取りを経験した生徒は多くないだろうね。ちなみに、私はあるよ。それも……一度じゃない」


 周囲の空気が重たくなるように感じた。その言葉には、瞬間的に得られる大きな情報が少なくとも二つ潜んでいる。

 それは、剣崎が既に命を賭けたギャンブルを経験したことがある、という点である。この時点で、経験の差という一つのアドバンテージが存在している。


 基本的に、どんなことにおいても経験者の方が有利であるというのは当然のことだ。

 学業でも、部活や委員会、もっと言えば授業内容など、上級生の方がレベルが高い。

 そしてもう一つ、それは今この瞬間も剣崎が生きているという事実だ。


 命を賭けたギャンブルということは、負ければ当然死んでしまう。剣崎がまだ生きているということは、今までずっと命を賭けたギャンブルで勝利してきたことになる。

 単純に仕事やスポーツで過去に経験したことと、過去に勝利し続けてきたことでは意味が大きく変わってくる。


 その事実は、自然と相手に大きな威圧感を与える。

 プレッシャーは、時に人の思考を鈍らせる。

 既に剣崎と皇では、立っている土俵が違っていた。

 しかし、その事実を知ったところで、皇に動揺は見られなかった。

 澄ました顔を浮かべ、目は虚ろに感じられるほど濁っている。


「ふふ、さすがだね皇さん……いや、ハートのクイーンって呼ぶべきかな。無敵の女王様は、この程度で臆したりしないみたいだ。はぁ、まったく参っちゃうよ……あまり私を不安にさせないでほしいなぁ……」


 そんな彼女を見て、剣崎は思わず吹き出し、やれやれと言いながら体を縮こませた。


「あっ、そういえば、まだそっちの変な髪色な付き人さんの名前、聞いてなかったよね? 良ければ教えてくれない? ついでにトランプの称号も」

「俺は一年の八房久遠。お嬢の付き人って言っても、トランプの称号は持ってない」

「へぇ……じゃあ少年が例の特殊な一年生か。暗部でも話題には上がったよ、トランプの称号を持たない生徒なんて初めてだったからね。まさかこんなところで会えるなんて……妙な偶然だ。ハートのクイーンも、まさかこんな特例の少年を付き人に選ぶなんて意外だな」

「その方が便利なんだよ。称号を持ってない生徒なら、それこそいくらでも代わりが作れるからな。懐刀としては、使い捨てやすい方が助かるんでね」

「お嬢……本人の前で言うなよ、それ」


 久遠は敬語こそ使わないものの、皇に対する呼び方は「お嬢」と変化していた。しかし、態度自体は前と何一つ変わっていない。


「躾のなってない犬だね」

「まったくだ。お前の方は部下が多いようで、少し羨ましいよ。私には、こんな髪色に染める趣味のやつしかいない」

「多くてもいいことないよ? 今だって、薬を持ってくるのに何分かかってるんだか」


 剣崎が不満を漏らすと、下の階から長身の男が息を切らして戻ってきた。


「す、すいません、剣崎さん! お、遅くなりました!」


 手に持っているビンの中には錠剤が詰まっており、剣崎は嬉々としてそれを受け取った。


「あはっ、やっと来たぁ!」


 目を輝かせ、手のひらいっぱいに錠剤を落とす剣崎。その量は明らかに適量ではなかった。どんな種類の薬かはわからなくても、それが飲み過ぎであることは誰の目から見ても間違いなかった。

 見ていて嘔気を催すレベルの量を飲み、剣崎は狂ったように笑い出した。


「あはっ……あははっ……あはははっ! あーあ、またダメだったぁ……やっぱりまだ生きてるなぁ……」


 頬を指でぺたぺたと触りながら、落胆した様子で虚ろな目を浮かべる剣崎。


「待て……お前その腕、それに首……もしかして」


 首などに巻かれている包帯を改めて認識し、皇は額から嫌な汗を流す。


「あはは、そうだよ……今までずっと失敗してきたの、何度やっても私は死ななかった」


 剣崎は淡々と語り出した。自身の趣味、自殺について。彼女は事あるごとに自殺を図るという常人には理解できない狂った遊びを楽しんでいた。けれど、彼女はどうやっても死ぬことができなかった。首を吊っても、毒を飲んでも、手首を切っても、舌を噛んでも、睡眠薬を大量に服用しても、決して彼女に死が訪れることはなかったのだと。


「んなの、てめぇの妄想か作り話だろうが」


 久遠は話を聞かされても、全く信じようとしなかった。当然、にわかには信じられない話である。


「嘘や妄想に聞こえるのは仕方ないと思う。けどね、事実なんだよ。私は死なない。でも本当に死ぬことができないか、いつもこうして試してる。要するに、私は命を賭けた勝負においては最強なんだよ」

「俺が言うのもなんだが、嫌な趣味だな」

「あは、そうかもしれないね。けど、興味はそそられる。だから私は何度も試した。けど路上に身を投げても、車は私にぶつかるより前に不運な事故を起こしてしまい、私は無事だった。首をロープで吊っても、絶命に至るよりも前にロープの紐が何故か切れる。致死量の毒を飲んでも、体には最初から免疫が備わっていた。私の持つギャンブルの才能、それは死ねないことだよ」


 不死身、命を賭けたギャンブルにおいて、最も重要な力と言ってもおかしくない力。剣崎はそれが生まれつき強く、ずば抜けていたのだという。

 故に、死が絡むゲームで負けることはほぼ無く、遊びの一種であるジャンケンやくじ引きですら、命を賭ければ無敗を誇る。

 それこそが、彼女がスペードのクイーンにまで上り詰めた力の正体だった。


「趣味は自殺、特技は不死身とはねぇ。まったくとんでもねぇ野郎がいたもんだな、お嬢」

「ああ、まさに忌み嫌われるスペードのクイーンにはピッタリだな」

「あはは、野郎じゃないよ。私はこれでも一応女の子だからね。ていうか、そういうの普通に傷つくなぁ」


 剣崎の表情や態度からは、特にショックを受けているようには見えなかった。


「それじゃあ、そろそろ勝負といこうか」

「待て、その前に俺から一つ質問がある」

「へぇ、君が質問? いったい何かな?」


 皇ではなく『札なし』の久遠からの質問に、剣崎はあからさまに興味を示した。


「てめぇ、何でお嬢との勝負を急いだんだ? たしか例の仮面舞踏会は二週間後だろ?」

「あー、なんだそんなことか」

「答えてくれるのか?」

「構わないよ。私は、彼女と個人的な賭けをしたくて勝負を早めただけだから」

「個人的な……賭けだと?」

「一応、表の世界のルールだって私たちには適応されてるからね」


 剣崎の言うルールとは、王生学園が設けている生徒同士による決闘のことである。

 学園の生徒は揉め事などを全てゲームの勝敗で解決し、もしゲームで負けた際に約束事を反故にしたりなどすれば、即刻退学となってしまうというものだ。


「さすがに舞踏会じゃ、個人的な勝負は挑めないから。私が欲しいのは、この学園最高位の称号『ジョーカー』に関する情報だよ」


 皇は無表情のまま、壊れた人形のように首をひねった。

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