第9話 強者の仮面


「うるせぇ、好きにさせろ」

「はぁ、可愛くない坊やだよ」


 景気の悪いため息をこぼしながら、都築は再び久遠から距離を取った。

 久遠は次のゲームに入るより前に、一度デックの中を一枚ずつ改め始めた。


「どうしたんだ? 普通、使用済みのカードはデックの下に戻して、未使用なカードをそのまま使うならはずだろ? 中を改めたりしたら、またシャッフルすることになるぞ」

「いや、今一度不審な点がないか気になっちまってな」

「一度バーストしたくらいで疑うとは……さてはお前、友達いないな」

「んなもん必要ねぇよ」


 と言いつつも、久遠は頭の中でクラスメイトの宇佐美白をイメージしていた。友達とまでは考えてはいなかったが、それに近しい存在だと無意識に認知していたらしい。

 久遠は長いため息を吐きながら、頭をくしゃくしゃとかいた。


「ったく、邪魔なノイズだぜ」


 宇佐美のことは一度頭から取り除き、改めたデックをシャッフルした。

 カードを配り終え、再度ゲームを行うと、今度は皇がバーストしてしまった。


「まあ……こういうこともあるだろう」


 明らかに久遠が何か仕掛けたように思われる展開だが、皇はそれ以上言及したりするようなことはなかった。むしろ、確信を得ているからこそ、物証が出るまでは特に意義を唱える必要はないと判断したのだろう。

 その後も久遠は一度もバーストすることなくゲームを進め、最終的な戦績では皇を圧倒していた。

 皇は攻めた結果、何度かバーストしてしまうこともあり、ゲームの流れも終始久遠に奪われていた。


「さて、デックが無くなった、次はてめぇに親をやってもらう番だ」

「ふん、散々ゴトをやらかして、ずいぶんと生意気な一年だな」


 皇は怒りを露わにするようなことこそなかったが、久遠に冷徹な視線を向けながら呟いた。


「それが事実かどうかは知らねぇが、正直言うと拍子抜けだな、ハートのクイーンって言ってもこんなもんなのか?」

「威勢がいいな、そう都合よく自分の思い通りに事が進むと思うなよ?」


 久遠は僅かに顔を強張らせた。ゲームでは圧勝していたが、皇の放つ威圧感は今までに覚えのないものだった。

 思わず立ち上がってしまいそうになるほどだった。


「へぇ、じゃあここからが本番ってわけだ、あんたの親が楽しみだよ」


 ほんの少し、久遠の中で恐怖と期待が混沌した。

 しかし数分後、そんな気持ちはあっさりと消し飛んでしまった。

 結果、特に何か起きるわけでもなくゲームは淡々と進み、両者の親は終了、勝ったのは親の時に圧勝していた久遠だった。


「あれ? 終わり?」


 何かしら仕掛けを期待していた分、久遠は顔をきょとんとさせていた。


「私の負けか……仁科、ちょっと……」


 皇は目を閉じたまま淡々と呟き、指をくいっと軽く曲げて仁科を呼んだ。


「おい、このゲーム何の意味があったんだ?」

「ん? どうした坊や、『絵札』に勝ったというのに不服そうだな」


 都築は何か情報のアドバンテージがあるらしく、意地の悪い笑みを浮かべていた。どこか煽られているようで、久遠はあまり良い気分じゃなかった。


「なんか、わざと負けたように見えて納得いかねぇんだよ。絵札の称号を持つ生徒が、こんな呆気ないもんかぁ?」

「ふっ……それはまあ、本人の口から直接聞くといい」

「……はぁ? いったいどういう意味だよ、そりゃあ……」


 久遠が改めて皇に向き直った瞬間、視界に飛び込んできた衝撃的な光景に、思わず目を剥いた。


「うわああああん! 負けちゃったよぉ! 仁科ぁ!」

「あー、よしよし」

「はぁ?」


 久遠は惚けた声を漏らし、頭の上にいくつも疑問符を浮かべていた。

 さっきまで冷静で落ち着いた態度でゲームをしていたはずの皇が、今は泣きじゃくりながらメイドの仁科に顔を埋めている。


「このキモ頭、絶対にイカサマしたもん! 最低だよ、クソ野郎だよ!」

「お、おいおい、酷いな……」


 口調が一気に幼くなり、稚拙な罵声が飛んできた。


「そうですね、お嬢様。この虹色頭のクソ野郎は間違いなくイカサマしました。ですが、いくらクソ野郎だとしても、女の子がそんな言葉を口にしてはいけませんよ」


 メイドの仁科までも、言葉遣いが急に悪くなる。


「あんたも大概だな。てか、こいつさっきと雰囲気変わりすぎだろ」

「お嬢様はギャンブル恐怖症でいらっしゃるのです」

「んだって?」


 言っていることの意味がいまいち理解できなかった。


「はぁ、はいはい、怖かったですねぇ……アールグレイ飲みますか?」


 仁科は泣きたく皇の頭を優しく撫でながら、気怠げにため息を吐いた。


「うん……飲む」


 さっきとはまるで別人のようだった。皇は仁科に優しく慰められ、少しずつ落ち着きを取り戻していた。

 両手でカップを持ち、紅茶にゆっくりと口をつける。


「お嬢様、気分はどうですか?」

「……今にも気を失いそう」

「気絶しなかっただけでも大きな進歩ですね」


 仁科は柔らかい笑みを浮かべ、皇を褒めながら優しく抱き寄せた。


「あいつ、絶対イカサマしてた! 処刑してやる!」


 さっきとは雰囲気がまるで違うため、同じ発言なのに全く違って聞こえてくる。今は同級生に「死ね」と言い放つことを覚えたばかりの小学生のようだ。


「私に見抜けるわけないのにさ、酷いと思わない?」

「別に酷いとは思いません。それは見抜けないお嬢様が悪いです。あっ……いえ、間違えました……最低ですね、あの男……」

「おい、今ちょっと本音が漏れてたぞ」


 思わずツッコミを入れる久遠。


「だから本当は嫌だったんだよ、ギャンブルなんてできればしたくないのにさ、弥生が勝手にセッティングしてさ」

「都築様が最低なのは仕方ありません。諦めてください」

「いや、そこは諦めないでもらえるかな。普通にショックだよ」


 不服そうに言葉を返す都築。周囲の者から嫌われている自覚はないらしい。


「やる前にすごく私のこと疑ってくるし、何度も気絶しそうになった。吐きそうにもなった」

「はいはい、立派でしたよ、偉い偉い」


 異常なまでの豹変ぶりに、久遠は困惑を隠せなかった。


「おいクソアマ、俺に説明あるよな?」

「坊やはもう少しあの幸せな空間を眺めていたいとは思わないのかい?」

「思わない。さっさと要件に移れ……この女、いったい何者なんだ? まさか二重人格とか言うんじゃねぇだろうな?」


 都築は顎に手を添え、数秒思案する。どうも答え方に迷っている様子だった。


「二重人格、というのは少し違うな。言ってしまえば、あの子は見栄っ張りなんだよ」

「答えになってねぇぞ」

「要するに、ギャンブルの時は冷静な自分を演じているのさ、相手に本心を悟らせないためにね」

「本心だぁ?」

「ああ、あの子はギャンブル恐怖症のギャンブラーなんだよ」

「おい、矛盾してんぞ」

「していないよ、あの子は実績のあるギャンブラーだ。けれど、そのギャンブルというものが何よりも怖いんだ。そしてこれが、君をここに呼んだ理由だよ」

「……はぁ?」


 久遠はまだ、自分がどうしてここに呼ばれてゲームをさせられたのかわかっていなかった。正直なところ、見当もついていない。


「坊やには、あの子の教師になってもらいたいんだよ」

「教師? いったい何のだよ」


 反射的に訊ねたが、これは愚問だった。久遠の中ではすでに答えが出てしまっている。


「坊やが人に教えられることなど一つしかないだろう」


 久遠は今まで、まともな教育を受けたことがない。そんな彼が人に教えられることなど、もはや『ギャンブル』しかない。


「それこそ意味がわからん、この女はハートのクイーンなんだろ?」

「ああ、この学園で『絵札』の称号を与えられし十二人の一人だ、間違いないよ」

「なら、俺のみたいな『札なし』が教えることなんて何もねぇだろうが」


 久遠は腕を組み、背もたれに体を預けた。


「それは、お嬢様にハートのクイーンとしての実力があればの話です」


 疑問に答えたのは仁科だった。先ほどからずっと、主人である皇を抱きしめている。


「実力がねぇのに、ハートのクイーンの称号を与えられたってことか?」

「その通りです。申し上げたように、お嬢様は実績のあるギャンブラー、今まで何度も危険なギャンブルに挑まれてきました。そして、ずっと勝ち続けてきたのです。それも実力ではなく、全て運の力で」


 久遠は思わず苦い笑みを浮かべた。


「運だけで勝ち続けてきたとか、とんでもねぇ女だな。なら、それこそ俺なんて必要ねぇじゃんか。この先もその強運で勝利をもぎ取ればいいだろう。別に無敵である必要もねぇんだし、たまに負けたって問題はなさそうだけどな」

「いえ、そう単純な話ではないのです」

「あ?」


 仁科は顔を曇らせ、しばらく黙り込んでしまう。


「あの……仁科、ちょっと苦しい……」

「はっ! 申し訳ありません、お嬢様!」


 焦った様子で、仁科は皇を解放した。


「実はあの子に探りを入れてきている連中がいるんだよ」

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