第8話 血煙の女王

「ってことは、そのハートのクイーン様に俺は呼ばれたってわけか?」

「まあ、そうなるな」

「はっ! 俺も偉くなったもんだな。こんな称号すら持たない『札なし』に何の用があるってんだよ」


 久遠は両手をズボンのポケットに突っ込み、猫背の姿勢でけらけらと笑い始めた。


「うるさい男だな」


 皇は退屈そうに息を吐いた。


「処刑するぞ」


 冷ややかに物騒な言葉をこぼす。


「弥生、本当にこの変な頭の男で間違いはないのか? 私には、外見だけでなく中身まで狂っているように思えるんだが」

「ああ、間違いないよ。この坊やが狂っているところも含めてね」

「てめぇにだけは言われたくねぇ」


 仁科も無言で首を縦に振った。


「まあまあ、とりあえず勝負してみればわかることだ」


 パンパンッと、都築は胸の前で軽く手を鳴らした。

 皇と久遠の間に割って入り、懐からトランプのデックを取り出す。


「坊やも席に座れ、今から二人にはゲームで勝負してもらう」


 都築は久遠を向かいのソファに座るよう促した。


「いきなりだな、俺は何も聞かされてないんだが?」

「そりゃ、言ってないからね」


 当然、といった態度で答える都築。


「もはや怒りすら湧いてこねぇよ」

「仁科、紅茶をもらえるかな?」


 勝手に人の家のメイドに指示を出し、家主を差し置いて図々しく要求している。傍若無人ぶりは相変わらずである。


「ちっ……かしこまりました」

「おい仁科! いま私に舌打ちしたろ!」


 仁科は都築を無視して書斎を後にした。間違いなく最良の対応である。


「さて、紅茶が届くまでの間にルール説明といこうか」

「本当にやるんだな」

「当たり前だろう。そのために坊やを呼んだんだからな」

「あっ……そう……」

「ゲームの内容はそうだなぁ、適当にブラックジャックでいいか」


 ブラックジャック、数字の数で二十一を超えずに二十一に近い手を作った者が勝つという至ってシンプルなゲーム。基本的にトランプの数字がそのまま反映されるが、例外として絵札は十、エースは一と十一のどちらか好きな方で数える。親と子に分かれて戦い、子は配られた二枚のカードを表向きにし、親は二枚のうち一枚を裏向きにした状態でプレイする。


「二人とも、ブラックジャックの経験は?」

「俺は何度か」

「私も経験はある」

「なんだ、ならルール説明は必要ないな。まずは坊やが親でいいかい?」

「……待った」


 都築は早速ゲームを始めようとするが、久遠が制止した。


「その前にカードを確認させろ……それと身体チェックだ」

「ふっ……お前、用意周到だな。私がイカサマをするとでも?」


 頬杖をつきながら、皇は慎重に対応する久遠を鼻で笑う。


「ここはてめぇのホームだからな、用心するに越したことはねぇだろ? 念のために、この書斎も調べさせてもらう。あと、プレイする場所の指定もだ」

「はぁ……好きにしろ」


 久遠は書斎にある本棚を隅々までチェックし始める。彼が危惧しているのは、監視カメラなどの仕掛けである。一通り調べ終わると、監視カメラが間違いなく仕掛けられてないことが確認できた壁を背にして座ることを提案した。

 壁を背にしなければ、後ろから誰かに覗き見られるという可能性もあるからだ。


 続いて、都築に頼んで皇の身体チェックを行った。

 都築が相手側という可能性もゼロではなかったが、ここはさすがに久遠も妥協した。

 基本的に相手の体を調べるのは、シャイナーを使ってカードを覗き見る行為を防ぐためである。シャイナーはその際に用いられる鏡やアクセサリーなどの小道具のことを指す。


 皇は特にシャイナーの代わりになる鏡などの貴金属は持ち合わせていなかった。

 最後に都築の用意したトランプを念入りにチェックした。ガンカードはイカサマにおける基本中の基本だ。


「よし、別に不審な点はなさそうだな」

「まったく、坊やは本当に疑り深いなぁ……」

「なら、もうちょっとてめぇも信用される努力をしろ」


 久遠は辛辣に吐き捨てた。

 一通りのイカサマチェックが終わったところで、タイミングよく仁科が書斎に戻ってきた。


「どうぞ、アールグレイです」

「ありがとう、仁科」


 皇は執拗にイカサマを疑う久遠に苛立ちを一切見せず、終始冷静にしていた。

 同じティーポットから注がれた紅茶に皇が口をつけても、久遠は決してカップには触れようとしなかった。可能性としては低いが、薬物が混入されていても不思議ではないからだ。


「おや、紅茶は嫌いか?」

「さぁ……どうだかね」


 久遠は淡白に返した。無駄なやり取りがその後のギャンブルに影響を与えないとは限らないためである。無論、それはお互いにリスクとリターンが存在しているが、情報を得られることが確定づけられていない場合、無意味な賭けは不要と考えていた。


「坊や、慎重になるのは構わないが、時間は有限だ。そろそろ始めてもらっていいかな?」

「ああ、わかったよ……とりあえず、言われた通り最初は俺が親をやる」


 久遠はチェックし終えたトランプの束をシャッフルし、適当な位置で止めると互いに二枚のカードを配った。


「おや? あれだけイカサマを警戒していたというのに、肝心のシャッフルはお前一人でやるんだな」

「悪いが、ここにいる相手は誰一人信用できない。シャッフル権は親に一任させる形でいいだろう。カジノのブラックジャックだって、店のディーラーがシャッフルするんだからな」

「うむ、まあ、たしかにそうか」

「それに俺は『札なし』だ。多少のことは許してくれよ」

「ふん、都合のいい」


 皇は不服そうだったが、一応は納得した様子だった。

 ゲームが始まると、親である久遠からまず自分のアップカードを見せた。見せ札はクラブの三、対して子のカードはハートの四とダイヤのキングだった。この場合、皇の数字は十四ということになる


「まずはヒット……」


 子は自身のカードからヒット、スタンド、ダブルダウン、スプリットなどのアクションを行う。ヒットとはカードを一枚引き、スタンドは終了を表す。

 皇が引いたカードはクラブの六、合計でちょうど二十になった。


「……スタンド」


 続いて、久遠もカードを引いた。


「バースト……俺の負けだな」


 手持ちのカードが二十一を超えてしまった場合はバーストとなり、負けが決定してしまう。この場合、二十か二十一にならない限り久遠は勝てなかったため、必然的にカードを引くしかなかった。


 ブラックジャックはヒットとスタンドが基本的なプレイになり、親もこの二つのアクションしか行うことはできない。しかし、子にはダブルダウンとスプリットという、二つの別のアクションがある。


 子のヒットは二十一を超えるまで何度でも引くことができるが、ダブルダウンは一枚だけしか引くことが許されない。ただし、賭け金を二倍にできる。スプリットは同じ数字の際にカードを一枚ずつ分け、別々の手として使うことである。この場合も賭け金は二倍になる。


 そして配られた瞬間に二十一が完成している状態をブラックジャックと言い、子のブラックジャックは配当が二倍になる。

 親は十七を超えていない場合は必ずヒットしなくてはならず、十七以上なら必ずスタンドしなくてはならない。

 山札がゼロになるまで親は続き、使い終えた時点で新しい人に親が移るというシステム。


「坊や……ちょっといいかい?」


 すると、勝負の途中だというのに都築が口を挟んできた。


「……あ? なんだよ?」


 あからさまに嫌そうな態度を見せる久遠。都築に話しかけられること自体に拒否反応を示している様子だった。

 都築は久遠の肩に手を当てると、耳元に口を近づけて小声で一言呟いた。


「本気を出せ」


 冷徹な声色だった。

 いつものふざけているような印象は全く感じられない。初めて会った時のことを思い出すようだった。

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