第6話 初仕事

 土曜日、午前十時。


 王生学園学生寮。

 常人であれば起きていて当然の時間ではあるが、八房久遠は未だ布団の中で夢の世界を満喫していた。

 もちろん、目覚まし時計などかけていない。久遠にとって、睡眠とは至福の時間なのだ。本来が自堕落であるが故に、何もなければ一日を布団の中で終えてしまうほど。


 だが、そんな幸せな時間は、突然の衝撃によって破壊される。

 腹部を思い切り踏みつけられ、一気に最悪の気分へと変わった。久遠は、人から踏みつけてもらいたいなどという特殊な性癖は持ち合わせていない。

 まだ覚醒しきっていない状態でゆっくりと目を開けると、目の前には見知った女性の姿があった。


「やぁ坊や、ずいぶんと贅沢じゃないか。こんな時間まで寝ているなんて、昨夜は夜更かしでもしていたのかい?」

「て、てめぇ……」


 そこにいたのは、久遠のクラスの担任教師、都築弥生つづきやよいだった。黒のジャケットに身を包み、短いタイトスカートを履いている。


「重いから、その足退けろ」

「レディに対して重いだなんて失礼な男だ。せっかく下着を見せてやってるというのに」

「ババアの下着になんて興味ねぇんだよ、クソアマがっ!」


 すると、都築は無言で微笑み、久遠に激しいモーニングコールを叩き込んだ。


「……ぐふっ!」

「そうかそうか、君はまだ二十七の私をババアと言うのかぁ……へぇ……」


 明らかに悪意のある一撃だった。だが、これは無防備な状態で暴言を吐き捨てた久遠の自業自得である。

 久遠は腹部を優しく撫でながら、おもむろに起き上がった。


「朝から何の用だよ……つうか鍵は?」

「合鍵で入った」

「勝手に作るな」


 完全に不法侵入と同じ状態だが、都築は悪びれる様子など全く見せず、むしろ我が家同然のようにくつろいでいた。勝手に畳へと腰を下ろし、軽く腕を伸ばしている。


「あのさぁ、用がないならさっさと帰ってくれねぇか? 俺、もう少し寝ておきたいんだが」

「用ならある。まあ、なかったとしても帰らないがな、学生の健康を守るのも教師の務めだ。朝の十時に起きて二度寝を決め込むなど、許せるわけがない」

「学生の健康って、今てめぇの足で死にかけたんだが」

「坊やがその程度で死なないことくらい、私はよく知っている。波止場での一件をこの目で見たんだからな」

「あー……そんなこともあったな、もう忘れちまったよ」

「私と坊やにとっては運命の日だというのに、冷たいねぇ」

「クソアマと出会った日なんて忘れたいくらいだっての」

「まったく、これでも私はモテるんだぞ。私の足で蹴り殺されたいと願う男どもがこの諸島に何人いると思っている」


 都築は大胆に足を組み、自慢げに大人の魅力をアピールしてきた。際どいスカートなだけあって、その絶対領域からは妖艶な魅力が伝わってくる。


「いや、叶ったら死ぬじゃねぇか。悪いが、俺にそういう趣味はねぇよ」


 さりげなく視線は逸らすが、別に意識しているからというわけではなかった。単純に興味がない。


「つまりはロリコンか……」

「おかしいだろ、なんでてめぇに興味がなかったら問答無用で小児性愛者にされなくちゃならねぇんだ」

「そんな坊やには酷なことを言うが、今から学校の先輩と顔を合わせてもらう。まあ、ロリコンならむしろ無害ということで安心だな」

「てめぇ、そんなにババア扱いされたのが嫌だったのかよ。酷なことを言うが、てめぇに興味が湧かねぇのは年齢とかじゃなくて性格の問題だからな」


 久遠も負けじと言い返す。本来、教師に対してここまで酷い言葉遣いをする生徒は不良以外の何者でもないのだが、久遠は特に真面目で模範的な生徒というわけじゃない。どちらかと言えば不良に分類されるだろう。


 都築が単に高圧的なだけの麗人なら、久遠もそれなりに意識はしたかもしれない。けれど、彼女はそもそも男女問わず人に好かれるタイプではないのだ。特に、久遠のような同族相手では嫌悪感が生まれやすい。

 故に、久遠が不良であろうと優等生であろうと、彼女のことを毛嫌いするのはもはや決められた未来だった。


「私の追撃が来る前に着替えて準備をして表に出ろ、今すぐにだ」

「ったく、わかったよ。捨て駒だからって扱いが雑すぎるっての」


 久遠は布団から出ると、軽く顔を洗って歯を磨き、寝巻きとして着ていたシャツを脱ぎ捨てた。


「制服のがいいか?」

「いや、普段着で構わない。ただ、ジェスターのような格好はやめてくれよ。私が隣を歩きたくない」

「んな格好、誰がするかっての」

「その髪色では説得力ないぞ」


 ぐうの音も出ない。虹色の髪だけにやけに派手であるため、普通の服を着ていても毎回バランスが悪く見えてしまう。ただ一応、久遠の中では良いセンスをしているつもりではある。

 久遠はジャージに着替えると、軽く体を伸ばした。


「で、誰と会わせるって?」

「二年の女子生徒だ。坊やとは違った意味で、学園じゃ有名人だよ」

「へぇ、有名人ねぇ……」

「おっ、興味が湧いてきたかい?」

「そんなんじゃねぇよ」

「ふふ、坊やは素直じゃないなぁ」

「うわぁ……うっぜ」


 毒を吐きながらも、久遠は仕方なく都築に従った。

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