第5話 表と裏

「ヤクザの車を盗んで少年たちを撤退させるとは……噂通りの坊やだね」


 黒い車の中から聞き覚えのない声が響いた。

 降りて来たのは、レディスーツに身を包んだ二十代半ばから後半と思われる芯の強そうな女性だった。


「あぁ? 誰だてめぇは?」


 すると、黒いスーツを着たシークレットサービスのような集団が彼女を守るように久遠の前に立ち塞がった。

 女は薄笑いを浮かべ、嗜虐的な眼差しを向ける。久遠は直感から、カタギの人間ではないだろうと察した。


「私の名前は都築つづき弥生やよい。高校教師だ」

「はぁ? ふざけてんのか」

「ふざけてなどいない、人を見かけで判断するのはやめろ」

「ふん、信じられるか、高校教師が俺なんかに用があるわけねぇだろ」


 他人を全く信用していない孤独な瞳で、久遠は都築を鋭く睨めつけた。


「普通はな、むしろ君のような破天荒な坊やは願い下げだろう。だが、私は普通の高校教師ではない。私はというより、雇用先の学園が普通ではないのだよ」

「意味がわからねぇな。そういう豚箱かなんかの話か? 非行に走るガキども集めて、立派な社会人にでも厚生させようってか」

「ふふ……違うな、その全くの逆だ。社会における異物……はぐれ者を輩出する学園……というべきだろう。私が探しているのは、まさに君みたいな人種さ」

「……嬉しくねぇな」


 決して褒められたわけではない、都築は久遠が真っ当な人間でないとわかって目をつけていたのだ。


「うちの学園に入学しろ、これは命令だ」

「お断りだ、あんたみたいな危ないやつのところ、死んでもごめんだよ」

「ふふ、なら一度死んでみるか? 正直、断る理由はないと思っているが」


 表情一つ崩さず、まるで日常的に出てくる普通の言葉のように都築は返した。冗談でなら人は簡単に相手に死を促せるが、その目は本気だった。本当にこの女ならばやりかねない、そんな危険を感じさせた。


「坊やのことは一通り調べさせてもらったよ、今夜のようなギャンブルは初めてじゃない。居場所のない君は、今までも何度か危ない橋を渡り続けてきた……そうだろう?」


 久遠は何も答えなかった。ただどこかばつが悪そうに視線を逸らす。彼の頭の中では、八年前の記憶がフラッシュバックしていた。久遠がこの世界で生きていくことを余儀なくされた、運命の日が。

 両親に捨てられ、天涯孤独として生きていた久遠は、ギャンブルの世界に足を踏み入れた。全ては生きていくため、そして明日を手に入れるため。

 今夜も、その一つに過ぎなかった。家族もおらず、学校にも行けず、友人も作れず、久遠はずっと一人で生きてきたのだ。

 

 その借金の取り立てをしているのが、久遠が高級車を盗んだ九龍会である。

 久遠は日々、利息を払いながら九龍会の下でギャンブルを行って来た。今は元手となった借金も完済し、九龍会と縁を切るチャンスが巡って来た。今夜は、その決別を表明するために車を盗み、その罪を紅蓮隊に押し付けようとしたのだ。


「君に選択権などない。既に盗難、無免、未成年喫煙、そして賭博、少なく見てもこれだけある。だが私とともにくれば、それら全てをリセットできる。そのうえ、君がまだ味わったことのない普通の学園生活というものを与えてあげよう。この条件、坊やにはメリットしかないと思うのだが?」

「信用できるかっ! 俺みたいな野郎を受け入れてくれる学校なんてあるわけねぇんだ!」

「なら、騙されたと思って一度身を託してみればいいじゃないか。仮に嘘だとしても、結果は同じだ。君らしく賭けてみるといい、ギャンブルは得意分野だろう?」

「ちっ……何がギャンブルだ、悪魔が……」


 だが、都築の言葉を否定することはできなかった。断れば、何をされるかわからない。もはやギャンブルとして成立してすらいなかった。久遠は首に輪をかけられ、生殺与奪の権利を完全に握られているに等しい。


 久遠は己がいかに無力であるかを思い知らされた。どれほどギャンブルの才能を持っていたとしても、所詮は単なる少年に過ぎない。権力を持った大人の前では、ただ従うしかなくなるのだ。


 都築は口角を上げながら、見下すような視線で答えを待っていた。耳で聞くのではなく、久遠の口元に視線と意識を集中させている。そこから飛び出してくる言葉は、既に決定してしまっているからだ。そう、彼女が待っているのは答えではない。正確には、久遠の口から出てくる「イエス」という三文字だけだからだ。


「わかったよ、今はあんたに従ってやる。一ミリも信用しちゃいねぇが、結局のところは変わらねぇ。なら俺は、少しでも生きる可能性に賭ける!」


 不本意ながらも、久遠は力強く答えた。その選択がどうやっても薔薇でしかないとわかったうえで。


「ふっ、それでいい。では早速で悪いが、今からすぐに向かうとしよう」

「はぁ? い、今からだと?」

「そうさ、私も暇じゃないんだよ。ちなみに向かう先は日本であって、日本にあらず。法というものが半分機能していない治外法権だ」

「学校じゃねぇのかよ」

「表向きは、少し変わった制度を設けているだけの進学校さ。だが、本当の姿はその裏側だ」

「……裏側?」

「そうだよ。コインに……いや、カジノに表と裏があるように、君がこれから向かう学園にも目に見えない裏の世界が存在しているんだ。そして君の居場所は、表の世界じゃない」


 その言葉の意味を、久遠はすぐに察した。既に自分は、この女に嵌められたのだと。


「食えねぇな……てめぇ」

「褒め言葉として受け取っておこう。君は勘がいい、その裏側がどういうものなのか、もうある程度のイメージができているのだろう?」

「ふん、何が普通の学園生活だ、適当なことばっかり吐きやがって」

「大丈夫、嘘じゃないさ。ほら、ヒーローとかでよくあるだろ? 表向きはただの冴えない一般人、けど本当は町を守る正義のヒーローって感じのやつ」

「知らねぇよ、んな娯楽」

「とにかく、坊やは普通に生活してくれてていいんだ。ただ……事が起きたら動く、裏の住人としてね」

「俺にいったい何させる気だよ」

「言ったろ、カジノの表と裏さ、その学園は裏でギャンブラーを育成することを目的とした場所なんだよ。本来、そんなものが認められるわけがない。だからこそ、表向きは進学校を装っているってことさ」


 都築から語られたその先は、娯楽というものに触れてこなかった久遠の想像力では限界を迎えてしまうほどに飛躍したものだった。その言葉のほとんどが頭の中へスムーズに入ってこない。


「生徒同士はゲームによる対決で競い合い、学園での自身の地位を築こうとする。しかし、それはより実力の高いギャンブラーを育てるために作られた偽りのルールだ。これで私が最初に言ったことは理解してもらえたかな?」

「要するに、俺を道具として利用したいってことだろ? 最初からそう言えよ、普通の学園生活だとか、妙な飴ぶら下げねぇでよ」

「それなりに見返りは与えなくてはならないんだよ。正直な話、今夜のギャンブル以上に危険なものが裏の世界には潜んでいる。それこそ、今度は本当に死ぬかもしれない」


 軽く舌を鳴らしながら、久遠は後頭部を手でかいた。


「はっ! 上等だ。表だとか裏だとか、んなもんは関係ねぇ。ただ俺は、そこにしか道がないから進むって言ったんだ。そっちの都合で好きに扱うってんなら勝手にしろ! もう、俺に捨てるもんなんて何一つねぇからよぉ!」


 久遠は、ずっと己の運命と戦い続けてきた。これが間違った選択だろうと、もっと酷いバッドエンドルートだろうと、全てを受け入れる覚悟があった。


「君は本当に素晴らしいな。安心して身を託すといい、何度死んでも酷使し続けてあげよう」

「それ、どこが安心できるんだよ。俺、一回死んだらもう終わりなんだけど」

「ぜひ、この私が罪悪感を抱く存在になってくれ、期待しているよ」

「ちっ、クソアマが……」


 久遠は汚い言葉を吐き捨てるが、その瞳は前よりも少し澄んだ色へと変わっていた。


 こうして虹色頭の少年、久遠は裏の世界へと足を踏み入れた。学園の危険な仕事や役割を押し付けられる捨て駒、何のダメージにもなることのない『札なし』として。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る