「第六話」人質

 状況は最悪と言っても過言ではなかった。

 私と、バンを捕まえている男との間には中々の距離があった。走ればすぐに間合いの範囲内だろうが、相手は手首を少し返しただけで事足りるのだ。──人質を、取られた。


「おいおい、やけに素直じゃねぇかよ」


 下衆な笑みを浮かべる男が、ナイフの切っ先をちらつかせながら、拳を構える私を見ていた。バンは何故か抵抗する素振りも見せず、ただひたすらに泣きじゃくっていた。──当然だ、こんな状況で、ただの子供が……まともに動くことなんてできるわけがない。


「虹の魔法を使う女がいるっていうからわざわざ来たのによ、なんだただのガキじゃねぇか……しかも杖も握ってない」

「うっ……!」


 やけに不満そうな声を上げながら、男はバンの首を絞めた。苦しそうな声を上げ、自分の首を絞める手を振りほどこうとしている。手加減も容赦も何一つ無い、考え無しの浅はかな行動だった。


「バン!」

「おおっと、動いたら首チョンパだぜ?」


 踏み出そうとして、踏みとどまざるを得なかった。たとえあの男の顔面を殴れたとして、そのころにはバンは殺されている……他人の命で一か八かの賭けに出るような選択が、私にはできなかった。


 男はニヤニヤとしながら、バンを抱えたまま後ずさった。──こっちに来い。そう言いたげな顔だった。


「……」


 私は黙ってついていく。どうやら人がいない時間帯と場所を選んだようで、外部からの助けは期待できそうになかった。路地裏を通り、明るいはずなのに夜のように暗い……気味の悪い別の世界に進んでいるような、そんな未知の恐怖があった。


 いつもなら、叫べばゼファーが来てくれた。

 でも、そんな優しいヒーローはもういない。──だから。


(私が、助けなきゃ)


 誰にも聞こえないように、私は小さく呟いた。ぶつぶつと、自分で自分を鼓舞するかのように……そうしている内に、私は一軒の建物の前で立ち止まった。その様子は普通であるはずなのに、無理やり溶け込んでいるような違和感を感じた。


「妙なこと考えんじゃねぇぞ」


 男はそう言って、躊躇なく建物の中に入る。

 私も拳を握り締め、中に入った。


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