「プロローグ③」冒険の夜明け

 見据えるのは一撃の向こう側、そこで勝利を確信した闇の魔法使い。

 そんな奴に家族を傷つけられ、心底怒りを煮やしている私。


 できるできないとか、そんなものはどうだって良い。

 大好きな人を傷つけたクソ野郎が目の前にいるから、ぶん殴るのだ。


「うぉおおおおお!」


 走り出す、雄叫びを上げながら。

 逃げるでもなく避けるでもなく、迫りくる恐怖に真正面から突っ込んでいく。


「……アリーシャ!」


 怯むな、走れ。後方のゼファーのその声が、微かに残っていた恐怖を拭い去る。──そのまま私は、ありったけの魔力を握り締めた。


 地面を抉りながら迫る魔法と、私の全身全霊の拳がいよいよ接敵する。叩き込め、自分が今出せる最高の一撃を……限界まで練り上げろ、練って練って練りまくれ! 


「フゥンぬっ!」


 荒々しく突き出した拳。それが描く軌道に虹を見た。いいや、虹と見間違えるほどに練り上げられた魔力の残滓が、光として滲み出たのである。そして虹の拳は、黒く邪な魔法を霧散させた。


「なっ……!?」


 最高出力の一撃を、またもやただの拳……しかも未熟者に防がれた。そのショックを瞬時に殺せず、一瞬の隙が生じる。私はそれを逃さず、一気に間合いを詰めた。


「お前はまさか、虹の──」

「飛べぇぇえええっ!」


 下から上へと放たれた拳は、そのまま闇の魔法使いの鳩尾に突き刺さる。魔法による防御はおろか、最低限の反応すら出来ていなかった。衝撃は肉体だけに留まらず、遂に上空へと吹き飛んでいく。宙を舞った後に彼方へ……叩き込んだ魔力の残滓が、美しい虹色の放物線を描いていた。


「はぁ、はぁ」


 私は肩で息をしていた。自分が危機を打ち払ったこと、見たことも味わったことのないような感覚で魔法を練り上げたこと、そしてそれが虹色に光ったこと……感情が揺らいで然るべきことが山積みだった。


 だが何よりも、今は甘えたかった。


「ゼファー……」


 褒めてもらいたい、頭を撫でて欲しい。ずっと怖かったし、もっと早く来てほしかったし、石になりかけている時は心臓が止まるかと思った。

 でももう大丈夫、振り返れば元気なゼファーが抱きしめてくれる。──そう、思っていた。


 だが、石化が止まらない。


「……ぁ」


 私の方を見て何か言おうとするゼファー。今も尚石化が進む中で、悶え、喉元まで迫った言葉を吐き出そうとして、そしてまた引っ込めて、それでも何か吐き出したくて。


「立派になったな、アリーシャ」

「……っ!」


 遠くを見るようなその目に耐えきれず、私はゼファーの下へと走り出した。


 駆け寄って、触れて、私には何も出来ないことを悟った。複雑に入り組んだ術式、二転三転する魔力の流れの片鱗すら掴めない。難しいとか、そういう次元の話ではなかった。


「アリーシャ」


 顔を上げると、そこにはゼファーがいた。

 いつもと変わらない、穏やかに微笑んだゼファーが。

 それは全てを理解した、その上での表情だった。


「……諦めないで。私がなんとかして呪いを解いて……」

「無理だ、この呪いは儂でも解けん。受けてしまえば最後……永久に石としてその生涯を終えるしかなくなる闇の呪いだ」


 ゼファーは私に嘘をつかない。

 彼は最強だ、この世で最も賢く強く偉大な魔法使いだ。そんな彼が「無理」だと言った。──私にも、諦めろと言ったのだ。


「なんで、そんなに落ち着いているの……?」


 ゼファーに二度目の涙を見せた。

 一度目は命を救ってもらったあの日。私が魔法使いになりたいと……そして、二度とこんなに悔しい涙は流さないと決意したあの日。

 二度目は今。目の前で大切な人が、徐々に蝕まれていくのを黙って見ているしかない自分への、熱い怒りを煮えたぎらせた今。


「安心しているのさ、私は」


 自らの無力さに憤る私を、ゼファーはそっと撫でた。その温かさと安心感が、今はどうしようもなくその場しのぎのように思えて、振り払いたくて……でもやっぱり、振り払えなくて。ゼファーはそんな私に、変わらず温かい言葉をくれる。


「もうお前が一人で生きていけること、私が守らなくても十分強い魔法使いだということ……それが嬉しくて、堪らないんだよ」

「……嫌だ」


 湿っぽい台詞を吐かないで、そんな泣きそうな顔で私を見ないで。


「これでお別れなんて、嫌だ。私、もっとゼファーから色々教えて欲しい。もっと一緒にいたいよ!」


 遠くに行ってしまうような気がして、二度と会えないような予感がして。私はゼファーに抱きついた。いいやしがみついた。──それでも、ゼファーの身体は冷たく硬かった。


「……じきに奴らの仲間がここに来る、その前に逃げなさい」

「嫌だ! 絶対に死なせないから!」

「人はいつか必ず死ぬ。それに儂は、もう死んだようなものだろう?」

「馬鹿なこと言わないでよ! まだ生きてるし喋ってる! 心臓だって……ぁ」


 耳を澄ませても、手を当てても、それはびくともしない。

 徐々に迫る石化は、既にゼファーの首元にまで迫っていた。


「巣立ちの時だ、アリーシャ」

「ゼファー……っ!?」


 ゼファーが笑うと同時に、風が地面から吹き荒れる。私の体は宙を舞い、そのままふわふわと引き剥がされていく。──天と地、私とゼファーが明確に切り離される。


「ゼファー! 嫌っ、ゼファー!」


 手を伸ばしても、もう届かない。声を上げても、もうきっと届かないだろう。

 それほどまでに遠く、離れた場所にゼファーは引きずり込まれていた。


「世界を知れ、アリーシャ! お前はこれから、お前が知らない全てを知る旅に出ることになる!」


 石化が進む、首元から首へ、首から徐々に顎へ……それでも彼は、最後まで。


「愛している!」


 その瞬間、大きく風が吹く。

 浮かべた笑みの行く末を見届ける間もなく、私は飛ばされる。どこまでも遠く、どこまでも離れた場所へと……ゼファーのいない未知の世界へと。


「……ぁ」


 もう、抑えられなかった。


「ぁ、ぁああ……ああ……」


 流れる涙は、真っ直ぐに垂れることさえ許されない。風に飛ばされ、僅かな光に煌めき、せめてもの輝きを放ちながら、あっという間に落ちていく。


 飛んで、飛んで。

 やがて風が弱まっていき、私もつられて落ちていく。風は最後まで私を支え、浮かせ……そっと私を、ただ広い平野のど真ん中に寝かしつけた。


「……」


 仰向けになったまま見上げる空の色は、夜明け前の薄暗い紫色だった。微妙に雲がかかっていて、それで明暗があって。


 嫌だな、と。不意に思う。

 悲しくて泣いたのに、自然と綺麗だと思ってしまう自分が。


 失ってしまった。

 家も、家族も、育んできたはずの幸せな日常も。


「……どうして」


 嘆かずにはいられなかった。

 これからどうやって生きていけばいい? 全てを失った私には何が残っているのだろうか? 適当な気持ちで、空っぽのポケットに手を突っ込んだ。


 ──何かある。


「……?」


 手で触った感じ、それは硬かった。こんな物持っていただろうか? そんな事をぼんやりと考えながら取り出す。──指輪だった。


「なんで、こんなもの」


 思わず私は起き上がった。私は街に行ったこともないし、こんなものに興味無い。なのになんで私のポケットの中に……と、更に奥まで手を突っ込むと、今度は紙切れが出てきた。──ゼファーの筆跡で文字が書かれていた。


『アリーシャへ

 この指輪が似合うような女性に育ってくれて、儂はとても嬉しい。

 いずれお前は、夢のために一人で旅に出るだろう。辛いこともあるだろう。その時は、この指輪を見て儂のことを思い出して欲しい。一人ではないことを、お前の家族は同じ地面を踏んで今日も生きているということを。

 改めて、誕生日おめでとう。

 愛している。                                                                                ゼファーより』


 太陽が昇る。

 東から現れつつある輝きが、徐々に小さな手紙と、そこに染み付いた古い染みと、たった今垂れ落ちた染みを照らす。


「……そうだよね」


 眩しくて、鬱陶しいほどに眩しくて。

 思わず目を背けたくなるほどの光が、そこにはあった。


「私、一人じゃないもんね」


 足腰に力が入る。

 鼻をすすり、目元を拭い去り、ゆっくりと立ち上がって伸びをする。既に夜は明け、太陽が昇り朝がやってきた。──昨日とは一味も二味も違う、朝が。


「だから私、もう泣かない!」


 澄んだ青を増していく空を見上げ、私は誓う。


「いつかなるじゃなくて、今すぐなるんだ! ゼファーを助けられるような、強くてかっこいい魔法使いに!」


 私は進む、太陽がやってきた東へ。

 決して振り返らず、嘆かず、その場で蹲らず。


 ただ、前へ。

 少しでもマシな未来を、今よりも幸せな未来を掴み取るために。


 ワクワクもドキドキも、恐怖も不安も山ほどある。積み上がって積み上がって、今すぐにでも溢れ出してしまいそうだ。


 でも、一つだけ確かなことがある。

 それは決して一人で進むわけではないということ。

 例え近くにいなくても、言葉を交わしたり触れられなくても。


「いってきます!」


 いってらっしゃい、が無くても。

 いつか、おかえりを取り戻せるように。


 私は今日、旅に出る。

 自分の夢を叶えるために。そして、もう一度あの人を抱きしめるための旅に。


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