第170話:みんなの補機になりたい

 街で一番大きな図書館の中に彩華さんと一緒に足を踏み入れ、この図書館の目玉である交通関連の資料がずらりと並ぶ区域へ向かい、そこにあるたくさんの書籍から是非読んでみたいと思ったものを選ぶ――なんだか久しぶりに、お馴染みの工程を体験しているように僕は感じた。

 家で2週間ほど熟読出来る本を厳選するべく、僕が棚にずらりと並ぶ鉄道関連の本を見定めている間、彩華さんもまた読んでみたい本をじっくりと探しているようだった。

 以前彩華さんの家を訪れた時、僕はこの図書館にも負けないどころか、ここにすら置いていない古い雑誌や珍しい本を彩華さんの部屋の本棚でたくさん見つけて、その一部を思う存分読ませてもらった。

 でも、鉄道関連の本は世界中で文字通り星の数ほど出版されている。その中には、あの大富豪・綺堂家の令嬢である彩華さんでも網羅しきれていない、存在は知っていても購入までには至っていない本もたくさん存在する。僕の家で見つけて興奮していた、第二次世界大戦前の気動車に関する前後編の書籍もその1つだ。


 大富豪の令嬢として生まれても、僕よりも圧倒的にお金や資料に恵まれていても、やはりもっとたくさんの知識を得たい、様々な鉄道の資料を読みたい、という思いは僕にも負けないほど強いのかもしれない。

 そんな未知への探求心が、彩華さんをより美しく格好良い『鉄道オタク』にしているのかも――。


「どうしたの、譲司君?」

「あ、ご、ごめん、何でもない……」


 ――そんな事を考えているうち、僕はつい彩華さんの顔をじっと見つめてしまっていたようで、慌てて小声で謝罪する事となった。


 一方、それと同時に、僕はある重要な事を忘れかけていた事に気が付いた。

 今回、僕はもし彩華さんに何らかの用事があってデートが出来なくなっていたとしても、この図書館に向かう事に決めていた。勿論、その目的の1つは鉄道の本を借りたいというものだったけれど、もう1つ、それとは別、『鉄道』とは離れた分野の本を読んでみたい、と考えていたからである。

 そして、僕は彩華さんに、もしかしたら図書館の外のロビーへ向かうのが遅くなるかもしれない、もしそうなったら悪いけれど待っていて欲しい、と告げた。

 少しきょとんとした顔で彩華さんが頷いたのを確認した僕は、借りる事に決めた鉄道の本を片手に持ちながら、一旦交通関連の資料が並べられている区域を後にした。


(えっと……あれ……どこだっけ……)


 ただ、その『別の分野』の資料が集まっている所はどこなのか分からないまま訪れてしまい、近くを通りがかった司書の人に尋ねる羽目になってしまったけれど。


 その後、司書さんの親切な案内によって無事目的の区域にたどり着いた僕は、気になっていた本を手に取り、内容をざっと読んだ後、どれを借りるか見定めた。

 そして、今日借りる分の本を決めた僕は、カウンターへ向かい借用の手続きを終え――。


「ごめん彩華さん、待たせちゃったね」

「あ、譲司君お疲れ様」


 ――図書館の外、屋根のあるロビーで待っていてくれた彩華さんと合流した。

 本を無事に借りた後、このロビーに集まり、借りた本をそれぞれ披露し合うのが、最初の図書館デート以来の僕たちの恒例行事となっていた。


 早速彩華さんが見せてくれたのは、つい最近出版されたばかりの鉄道に関する本だった。

 貴重な写真や豊富な資料を用い、様々な鉄道の歴史に関するコンテンツを紐解く人気シリーズの最新作で、とある大規模な私鉄がかつて行っていた貨物輸送について紹介する内容らしい。

 貨物列車が大好きな『鉄デポ』のメンバー、人気アイドルとして活躍中の『ミサ姉さん』こと美咲さんが以前お勧めしてくれた、と彩華さんは嬉しそうに話してくれた。


「内容が面白かったら購入してみようかな、って考えていたの。前にミサ姉さん、そう言う目的で新しめの本を借りていたからね」

「ああ、確か以前のオフ会で図書館に立ち寄った時、そんな事を言っていたね……」


 そして、もう1冊彩華さんが自慢げに紹介してくれたのは、その『鉄デポ』の仲間たちが集まったオフ会の際に僕が借り、先頃返却したばかりの本――電車のモーターやブレーキ、台車など様々な部品や機器の構造や歴史、そして最新技術などが詳しく記された専門書だった。

 ざっと見た時点で難しそうだという事は予測していたけれど、やはり中身は専門用語や計算式、グラフが頻発しており、1冊読んだだけで数学や物理の勉強合宿を受けたような感覚になるほどだった。

 とはいえ、お陰で日頃よく聞く『吊り掛け駆動方式』『VVVFインバータ制御』『ハイブリッド式』『回生ブレーキ』などの仕組みが、ある程度理解する事が出来たのは間違いなかった。


 全部読むと結構大変かもしれない、下手すれば転入試験の問題より大変かも、と念のため忠告した僕に対し、彩華さんはそれも覚悟の上だ、と返した。


「でも、興味深い内容なのは間違いなさそうね。頑張って読んで、あの教頭先生にもばっちり駆動方式やブレーキの解説できるようにしてみせるわ」

「応援してるよ……本当に頑張ってね……」


 そして、次は僕の本を彩華さんに披露する番だった。

 新幹線の裏方を支えたドクターイエローなどの『事業用車両』を紹介する本、国鉄時代の電気機関車をまとめた写真集といった鉄道関連の書籍と共に僕が今回借りたのは――。


「これは……『いじめ』の本……?」


 ――学生向けのいじめ対策に関する本、各地の学校や教育委員会などに取材を行った結果に基づきいじめの実態や対応について記した本、そして僕も知っている有名なタレントの人が執筆したいじめの体験記。

 それらは、僕が初めてこの図書館で借りた、『鉄道』とは一見して全く関係が無さそうなジャンルの書籍だった。


「これを探していてちょっと遅くなっちゃったんだ……」

「そうだったの……。でも、どうして急にこういう内容に興味を持ったの?」

「うーん……何というか……これからの参考のため、読んでおいた方が良いかな、って」

「これからの参考……?」


 首を傾げる彩華さんに、僕は心の中で少しづつ形になろうとしている、1つの思いについて説明する事にした。


 今、この場所で彩華さんと一緒に楽しく語り合う時間に至るまで経験し続けた、長いようで短い怒涛のような日々の中で、僕はある事を感じるようになった。

 言い方が悪いけれど、この僕、和達譲司は、ただ『幸運』なだけだったのかもしれない、と。


 父さんや母さんが僕の『鉄道オタク』という趣味を理解し、いじめを受けた後も全力で僕の事を味方してくれた。

 『鉄デポ』という、素晴らしい仲間たちが待っている場所に辿り着くことが出来た。

 苛烈ないじめを受け続けても、図書室に逃げ込めば図書室のおばちゃんという学校の中にいる協力者がいつでも助けてくれた。

 綺堂家当主・綺堂玲緒奈さんや、綺堂家に仕える執事長の卯月さんを始めとする、強大な権力を持つ後ろ盾を得る事が出来た。

 そして何より、『綺堂彩華』さんという、『特別な友達』と出会い、交流を重ね、友情という名の強固な連結器で繋がり合う事が出来た。


「前の学校の図書室で、彩華さんと出会って、趣味を共有し合えた時点で、僕の幸運は始まっていたのかもしれない……」

「それは、私も同じ。あそこで譲司君と出会えたお陰で、私はあの学校から逃げ出して、教頭先生が待つ新たな学校の一員になることが出来た……」


 そう、僕たちはそれで人生が好転した。何もかもが良い方向へ進むようになった。

 でも、世の中に星の数ほどいる『鉄道オタク』の人たちが、みんな僕や彩華さんのような幸運に恵まれている、という事は決してあり得ない。

 もしかしたら、以前の僕のように、様々な場所で『鉄道オタク』という理由だけで苛烈ないじめを受けている人もいるはずだ。

 いや、『鉄道オタク』だけじゃない。あらゆる分野において、自分の『好き』という気持ちを徹底的に笑われ貶され否定されている人は確実にいる。

 僕の父さんや母さんのような助けを求める事が出来る相手もなく、『鉄デポ』のような逃げ場所もなく、ただそういった悪意に懸命に耐えながら、今にも折れそうな心を何とか守り通さなければならない、一歩間違えれば自らの未来行きの路線が『廃線』になりかねないという事例も、少なからずあるだろう。本当は、あってはならないけれど。


「そもそも、彩華さんと出会わなかったら、僕自身もそういう経路を辿っていたかもしれない。そう考えたんだ」

「譲司君……」


 だから、彩華さんを始めとした多くの人々から受け取ることが出来た思い、様々な心、そして何かが『好き』という強い感情を、今度は僕が、『好き』という感情が傷つけられている人たちに分け与えたい。

 鉄道オタクだからといじめられ続けている人たちに、微力でも手を差し伸べたい。その地獄のような場所から逃げるための手助けをしてあげたい。

 玲緒奈さんや一葉さん、僕の父さんや母さんには及ばないと思うけれど、出来る限りの事をやって、みんなの未来行きの路線を『存続』へと方針転換するための支援をしたい――僕は、心の中で少しづつ、でも着実に形になろうとしている『将来の夢』を、彩華さんに語った。

 その『夢』へ向けた第一歩として、より具体的に『いじめ』という概念について調べてみたい、というのが、今回図書館でいじめに関する本を多数借りた要因だ、という説明を含めて。


「まだまだはっきりと夢が固まったわけじゃないし、そもそも僕のような運が良い人、『成功者』が苦しんでいる人を助けるなんて、上から目線だなんて言われてしまいそうだけれどね……」

「……そんな事はないと思うわ」


 若干自分を卑下するような言葉を言ってしまった僕に対し、彩華さんは優しくも力強い声でそのネガティブな感情を否定してくれた。


「あんな地獄のような日々を経験した譲司君なら、苦しんでいる人の気持ちがよく分かると思うわ。それに、そう言う上から目線になってしまうのって『私は助かったのからあなたも助かるに決まっている』って、自分の考えを押し付けるような事を指すんじゃないかしら」

「そういうものかな……」

「きっとね。でも、譲司君はそう言う天狗にはならない。心がズタズタになっている人と同じ目線に立って、優しく声をかける。目の間で苦しんでいる人のために、どこまでも力を尽くす。それが、『和達譲司』という人よ。私と言う、譲司君に救われた『実例』がそう言うんだから、間違いないでしょう?」

「……うん……信じてくれて嬉しいよ……」


 感謝の言葉を述べた僕に、彩華さんはこう言って応援してくれた。

 この僕、和達譲司なら、険しい人生の坂に挑まざるを得なくなったみんなを力強く支えてくれる『補助機関車』=『補機ほき』になれるはずだ、と。


「もしその『夢』が具体的になった時には、是非この私も何かしら協力させてくれないかしら?」

「……ありがとう。碓氷峠の補機、ED42形やEF63形のように、彩華さんと『重連運転じゅうれんうんてん』が出来るのなら、とても心強いよ」


 カウンセラー、フリースクール、心理学など、これから詳しく知る必要がある分野はどんどん多くなりそうだけど、頑張ってみる、と語った僕に彩華さんが笑顔を見せた時、僕たちのお腹が一斉に鳴り響いた。

 久しぶりの図書館デートと言う事で気合を入れて早起きし、早めに朝ご飯を食べたせいで、すっかりお腹が減ってしまったようだった。


 そんな訳で、僕たちは互いに見せあった図書館の本を鞄にしまい込んだのち、図書館に併設されたレストランへ直行する事にした。

 このレストランでご飯を食べるのも、気付けばすっかり僕たちのお馴染みのスケジュールになっていた……。

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