第169話:あいつらの末路
「そういえば、彩華さん……」
「ん、どうしたの?」
駅に到着した新型電車から降り、本日のデートの目的地である図書館の大きな建物が間近に迫る広場に辿り着いた時、僕は彩華さんに声をかけた。
楽しい気分で図書館に入って本を探す前に、どうしても気になる事――若干気分を害してしまうような事を、彩華さんに直接相談してみよう、と決めたのだ。
もしかしたら、内容次第ではここから先の時間に影響が出てしまうかもしれない、だから断っても大丈夫だ、と事前に注意を促した僕だけれど、彩華さんはきっぱりとこう言ってくれた。
折角2人の時間を過ごすのに、嫌な気分を抱えたままだと全然面白くない。だったら、図書館へ入る前に直接打ち明けた方が気は楽になるだろう、と。
「ごめん、彩華さん……事前に言っておけばよかったんだけど……」
「それも難しかったんでしょう?いいわ、どんな内容でも聞いてあげる」
「ありがとう……」
そして、まず僕は気になった出来事を打ち明ける前に、彩華さんが先日電話で教えてくれた内容を、確認がてらもう一度尋ねた。
無事教頭先生の学校への転入試験に合格し、ようやく僕や彩華さんの日常に平穏が戻り始めた数日後、瑞々しい森や巨大なレンガ調の壁に囲まれた綺堂家でちょっとした事件が起きた。
事前の連絡も綺堂家側からのお誘いも無しに、いかにも豪華そうな高級車に乗った『客』が訪れ、綺堂家当主であり彩華さんの父さんである玲緒奈さんへ面会を頼み込もうとしたのである。
その『客』こそ、僕や彩華さんが受けた苛烈ないじめを放置し、責任を放棄しようとした結果、綺堂家からの金銭を始めとする支援を全面的に打ち切られた、前の学校を司る理事長とその奥さんである貴婦人だった。
「確か、前の学校は色々と大変な事になっていたんだっけ……」
「ええ。私はもう関係ないから完全に又聞きと言う形だけれど、支援を打ち切られた事が明かされて保護者会が紛糾したり、理事長が多方面から批判を受けたり……」
加えて、僕たちをずっと助けてくれた図書室のおばちゃんが主導する形で進められていた、理事長へ長年不満を抱いていた教師陣による集団離職運動も、この支援打ち切りも契機になってさらに加速しており、おばちゃんたちは別の学校へ転勤したり少し早めの定年退職を迎えたり、様々な道を歩む事が確定しそうな勢いだという。
そんな事が積み重なり、文字通り四面楚歌、窮地に追い込まれた理事長や奥さんが選んだのは、綺堂家へ直接乗り込み、玲緒奈さんの許しを乞う、というものだった。
丁度その時、彩華さんは別の用事で綺堂家の屋敷を離れていたので詳細は執事長の卯月さんを始めとした綺堂家で働く人たちから聞いたそうだけれど、いかにも豪華そうな服装とは裏腹に、理事長や奥さんの表情は焦燥しっぱなしであり、本気で助けを求めている様相だった。
これ以上何も支援がないと自分たちの生活は成り立たなくなる、あの学校も潰れてしまう、どうか自分たちを許してくれないか、と必死に頼み込んだ理事長たちは、卯月さんの前で土手座までしたという。
でも、当然ながら何度も信頼を裏切った挙句、自身の娘にまで危害を及ぼす事態を引き起こした元凶たちを玲緒奈さんが許す訳はなく、警備員の人たちから報告を聞いた後、問答無用で追い出すよう指示を与えた。
そして、しばらくの間揉みあいになった末、卯月さんや警備員の人たちは何とか理事長たちを壁の向こうにある綺堂家の敷地内に一歩も入れさせる事無く追い返す事に成功したという。
その際、理事長たちは何かしらの捨て台詞を述べていた、と卯月さんは彩華さんに報告したようだけれど、その内容はあまりにも酷すぎるので詳細を伝える必要はないと判断した、と語っていた。僕も彩華さんも、卯月さんの判断は正しいと思った。
「まあ、許しを乞うのに豪華な車や服で向かう時点で駄目だと分かりそうなものよね」
「本当にそうだよね……。卯月さんも玲緒奈さんも、使用人の皆さんも、本当にお疲れ様って言いたいよ……」
「譲司君は優しいのね。それで、この出来事と譲司君が気になった事に、何か関係があるの?」
「う、うん……正直言って、関係がある『かもしれない』という感じなんだけれど……」
「いいわ。この機会だし、教えてくれる?」
そして、遅ればせながら、僕は彩華さんに、ネットで見つけてしまったとある案件について、相談する事にした。
先程彩華さんがもう一度述べてくれた、綺堂家に押し掛けた前の学校の理事長と奥さんの一件だけれど、実はあの時、理事長たちは玲緒奈さんに許してもらうため、このような事を述べたという。
綺堂家の『お嬢様』に泥を塗る行動を起こして反省も見せない自分たちの『息子』は将来的に我が稲川家から勘当する事に決めた。あのような出来の悪い存在は稲川家にはもう要らない。だから、これで手を打ってくれるだろうか、と。当然、それくらいで玲緒奈さんが許す事は無かったのは言うまでもないけれど。
この理事長の息子――僕を『鉄道オタク』だからという理由でずっといじめ続け、その矛先を彩華さんにも向け、さらに過去には『鉄デポ』仲間の飯田ナガレ君にまで『鉄道オタク』だからという理由で危害を加えた人物らしき存在が、ネットで大暴れしている様子を、僕は目撃してしまったのだ。
彩華さんからの誘いで参加した、会員制クローズドSNSの『鉄デポ』以外にも、僕は別のSNSに登録しており、日本や海外問わず、撮り鉄や乗り鉄、音鉄、資料鉄、海外鉄など様々な鉄道オタクの人たちが投稿してくれる様々な情報を収集して楽しんでいた。
最近、その『別のSNS』で、そういった鉄道オタクの人たちが投稿する様々な内容に、誹謗中傷としか思えない返信を送り続けるアカウントが現れたのである。
でんちゃっちゃが大好きな犯罪者がデカい口を叩くな。
鉄の塊を写真にとってアップするな、気色悪い。
外国に『鉄道オタク』とかいう日本の恥を広めるな。
鉄道オタクとかいうキ○○○を早く駆除してくれ。
加えて、ハッシュタグにも「#撮り鉄は犯罪者」「#乗り鉄は○○者」「#音鉄はキ○○○」など、罵詈雑言の数々が並べられていた。
しかもそれだけに留まらず、このアカウントは自分の暴言に対しての反論や批判に対して、『鉄の塊が喋んな』『うわ、鉄道オタクがシュポった!』など、更に煽るような文句を返し続けていたのだ。
「え、『シュポった』?何それ?」
「鉄道オタクが誹謗中傷に対して反論したり意見を述べたりする様子を、蒸気機関車がシュポシュポ煙を上げて走っている光景に例えた言葉みたいだね。『鉄オタが顔を真っ赤にしてムキになって怒ってる』と嘲り笑う感じの……」
「へぇ……。世の中、嫌な言葉があるものね」
「何だかごめんね……変な知識を教えちゃって」
「ううん、気にしないで。なるほど、このアカウントっていうのが……」
彩華さんの指摘通り、僕はある仮説を立てていた。
この誹謗中傷を述べ続けているアカウントが現れたのは、綺堂家に理事長が訪れ、息子を将来的に勘当して稲川家から追放する事を告げて間もない頃。それに、鉄道オタクを敵意している内容は、まさに僕や彩華さん、そして恐らくナガレ君が受け続けたいじめと全く同じもの。
つまり、このアカウントの中身は、勘当が確定した事に対して怒り心頭の『理事長の息子』ではないか、と僕は考えたのである。
「確かにその可能性は高いわね……。あの糾弾の場でも最後まで反省していなかったし」
「うん……。勘当の腹いせでやっているかもしれない、って思ったんだ」
「自分が悪いのを鉄道オタクに責任転嫁して、誹謗中傷を並べたててスッキリする……。あいつならあり得そうな話ね」
でも、逆に考えれば、『理事長の息子』が威張れるのはこのSNSしかない、という表れかもしれない、と彩華さんは言葉を続けた。
家からも追い出される事は既に確定し、学校でも間違いなく支援打ち切りの元凶の1人として誰からも味方をされなくなっているはず。リアル世界に味方がいなくなっている彼の居場所は、最早SNSしか残されなくなっている、という訳だ。
「ここまで酷い事ばかり言って批判を受けているようじゃ、近いうちにアカウントは凍結されるでしょうね。そうなると、あいつの居場所は完全に失われ、誰からも相手をされなくなる……。まあ、もう私たちには関係ない話ね」
「う、うん……まあ、確かにそうなんだけれど……」
「どうしたの、譲司君?あまり浮かない顔ね。他にも何か打ち明けたい事があるのなら、言っていいわよ」
「ごめんね、彩華さん……」
気遣ってくれる彩華さんの言葉に甘えてしまう形になってしまったけれど、僕はそれに関してもう1つ気がかりな話を述べた。
確かに、この『理事長の息子』らしきアカウントは、将来的に凍結され、SNSから追放されるのが目に見えている。でも、あのSNSで鉄道オタクだからという理由で様々な暴言を述べるアカウントは後を絶たず現れているのだ。
鉄道オタクがくだらない発言を行った、鉄道オタクが気色悪い写真をアップした、などの理由で晒し上げ、その光景を皆で嘲り笑う、という感じだ。
しかも、中にはそういった事に対して正当な反論をする鉄道オタクを弄ぶような返答を行い、余計に馬鹿にするようなアカウントも、僕は目撃してしまった事があった。そもそも『シュポってる』や『シュポる』という単語は、元々そういった鉄道オタクを煽るアカウントが使い始めていた言葉なのだ。
「そう言うのを見ていたら、あの時の『理事長の息子』の捨て台詞を思い出しちゃって……。結局、鉄道オタクだからという理由で馬鹿にしたりする人は多いのかな、鉄道オタクは誹謗中傷を浴びるのを覚悟しなきゃならないのかな、って……」
「うーん……」
確かに、『鉄デポ』の皆が動画やブログ記事などで述べた通り、世界中の皆が『鉄道趣味』が好きという訳ではなく、様々な事情からそういったものが苦手な人は間違いなく存在する。それは、僕も彩華さんも、しっかりと理解している事実だった。
でも、だからこそ、と彩華さんは言葉を続けた。
「そういう『シュポる』とかいう言葉を使う連中の言葉は、あまり真に受けない方が良いわね」
「そ、そうかな……」
「勿論、鉄道趣味が嫌いな人はいるでしょうし、マナーが悪いオタクたちはしっかりと反省して欲しい。犯罪行為なんて以ての外、鉄道オタクの
「ああ……そうかも……」
「それに、そんな行為をSNSで見かけたら、いちいち反論したり反応したりせず、S運営に報告してシャットダウンしてもらうのが一番じゃないかしら。相手にすればするほど『鉄道オタクがシュポって草』とか言って付け上がる訳だもの」
「うん……」
それに、そもそもそういった連中は、あの『理事長の息子』のように譲司君=この僕の事を直接馬鹿にはしていないだろう――彩華さんの言葉に、僕ははっとする思いを抱いた。
「嫌なものを見た時、それに引きずられる気持ちは私も分かるわ。でも、覚えているでしょう?あの時、譲司君がいじめられている動画が流出した時、ネットの世論のほとんどは、譲司君の味方をしてくれた事を」
相変わらず鉄道オタクが馬鹿にされる風潮がまかり通っているのを見ると、多くの人は単に時流に乗っただけかもしれない。それでも、皆がいじめを受けていた僕を味方をしてくれた、応援してくれた事は間違いない。
自分たちの『好き』を否定する声よりも、そういった『好き』を応援してくれる人たちに耳を傾けるのがよっぽど良い。嫌なものを見てしまった時は、良い事に意識を向けるのが大事だ――説得力に満ちた彩華さんの言葉は、いつでも迷える僕を正しい方向へ導いてくれるようだった。
「……そうだね……少し深刻に捉えすぎちゃったのかもしれない。ありがとう、お陰で何だか胸のつかえがとれた気がするよ」
「どういたしまして。やっぱり譲司君は、『好き』なものを『好き』だと誇り続ける姿が一番格好良いわね」
「そう言ってくれると、嬉しいよ」
気になっていた内容を全て打ち明け、無事解決策を見つける事が出来た僕は、その手助けをしてくれた彩華さんにもう一度笑顔を向けた。
そして、ようやく落ち着けた僕は、彩華さんと共に目の前にそびえ立つ図書館の建物の中に入り、自分たちを待つであろうたくさんの本のもとへと向かった。
鉄道が『好き』という気持ちを、より強固なものにするため。そしてもう1つ、僕の心の中に生まれた別の思いを形にする第一歩を踏み出すため……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます