第167話:そして、その日は訪れた
綺堂家の『鉄道屋敷』に来訪し、綺堂家当主である玲緒奈さんと対談し、娘の彩華さんと共に同じ学校へ転入する許可を貰う――そんな濃厚な1日を過ごした後、僕は父さんや母さんから健闘をたっぷり讃えられる形で祝福された。
でも、お祝いムードで盛り上がったのはその時だけ。それ以降、僕と彩華さんは間近に迫ろうとしている新たな人生の試練――教頭先生の学校への転入試験に向け、猛勉強を重ねる日々を過ごす事となった。
僕は教科書や参考書を片手に、今まで学習した範囲を何度も確認する事に時間を費やした。今までもちゃんと勉強を積み重ねてはいたけれど、いざ本気で挑むと、苦手だからと手を抜いていた箇所や再度の学び直しが必要な内容が浮き彫りになり、その度に何度も問題を解いて頭に叩き込む事となった。
そして、筆記と共に受ける事となる面接試験の方も、父さんや母さんの力を借りる形でしっかり練習を重ねた。今までの人生の中で様々な人、様々な出来事に触れ、色々な事を学んでいるからか、『面接官』役を担った父さんや母さんからの質問や指摘は玲緒奈さんにも負けないぐらい手厳しいものが多かったけれど、それでも僕は何とか考えを巡らせた。新たな学校で何を学習したいか、自分の夢は何か、今までの人生における最も大きな思い出は何か――僕は父さんや母さんと共に、どんな質問を受けても対応できるよう頑張った。
一方、それらの転入試験に必要な書類、そして学校に支払う転入費用に関しては、僕の父さんや母さん、玲緒奈さんがちゃんと用意してくれた。特に僕の父さんや母さんは、僕が玲緒奈さんの説得に成功し、確固たる信念をもって新たな学校へ挑む決意を持ってくれることをずっと信じてくれており、様々な書類を事前に纏めてくれていたという。そのお陰で、それらの書類もしっかり期限内に提出する事が出来、僕や彩華さんは安心して勉強に励めたのである。
とはいえ、そんな勉強の合間に上手く息抜きをするのも大事。一息入れるついでに、僕は彩華さんとスマートフォンを介して声を交わし合った。
『どう、譲司君……?大変そう……?』
「う、うん……」
彩華さんの方は、『勉学に対しては一切口を挟まない』、つまりえこひいきは一切せず勉学にも口を挟む事はない、という宣言をした玲緒奈さんに代わり、執事長の卯月さんが家庭教師となって彩華さんをビシバシ鍛え続けていた。ちゃんと勉強し続けていたつもりだったけれど、いざ真剣に向かい合うと分からない事や忘れていた事は意外と多いものだ、という彩華さんの言葉に、僕は大いに共感した。
『面接もどんな事を聞かれるか、分からないものね……』
「そうだよね……父さんも母さんもなかなか手厳しいよ」
『お父様を説き伏せた譲司君が言うのだから、相当のものなのね……』
でも、このキツく大変な勉強に『負けない』事が、きっと最高の未来に繋がるはずだ、と僕たちは互いを応援し合った。
そして、今までより頻度は少なくなったけれど、いつもお世話になっている会員制クローズドSNSの『鉄デポ』にも、僕や彩華さんは時々顔を出して仲間たちに現状報告を行った。
転入試験へ向けて日々頑張っている、という僕たちに向けて、皆は様々な応援を送ったり、効率の良い勉強方法を教えてくれた。中には既に社会で活躍しているという経験を活かし、こんな面接問題が出されるかもしれない、とアドバイスを送ってくれる人もいた。
ただ、僕たちが『鉄デポ』にログインすると出迎えてくれるメンバーの中に、開設時からの一員だったという『教頭先生』はいなかった。それに気づいた時、一瞬不思議に感じた僕だったけれど、皆の指摘のお陰でその理由を納得できた。
教頭先生はこれから僕たちが入学を目指す学校の関係者。会員制のクローズドSNSとはいえ、そんな立場の人が入学を目指す僕たちにアドバイスを送っていては公平性を損ねる事になってしまうだろう。それに、きっと自分たちの目に入らない所で、教頭先生は応援してくれているのかもしれない――その言葉に、僕は大きく頷いた。
そんな感じで、適度に息抜きをしつつ、未来へ向けた勉強を重ね続けているうち、気付けば転入試験まであと少しとなった。そんなある日、僕は再度彩華さんと電話を交わした。
父さんや母さんを相手にした面接もだいぶ慣れ、いきなりの難しい質問にもしっかり答えられるようになった、苦手な範囲もかなり狭まってきた、と互いの成果を報告しつつ、僕たちは改めて、あと少しで自分たちの未来が決まる事を実感し合った。
「なんだか、改めて転入試験が近づいてくるって感じると、緊張しちゃうな……」
『私もよ、譲司君。今までの勉強の実力がどれほど発揮できるか、ちゃんと集中できるか、面接で噛んだりしないか……色々と心配しちゃうのよね』
「うん、凄い分かるよ、その気持ち……」
でも、天狗になり慢心して油断大敵状態になっているよりはマシかもしれない、という彩華さんの言葉に、僕は同意の返事をした。
ある程度緊張感を持った方が、案外本番では上手く行くものだ、という先日聞いた母さんからのアドバイスも、僕の心に浮かんできた。
『それにしても……私と譲司君が出会ってから、あっという間にここまで辿り着いたわね……』
「うん……あの学校から逃げ出して、辞めるという選択肢をとって、彩華さんの父さんと一緒に糾弾に出掛けて、そして別の学校へ転入するための努力を重ねて……」
『これからの人生の中でも、ここまで怒涛過ぎる日々は訪れないかもしれないわ……』
「た、確かに……」
若干苦笑いしているような響きをスマートフォンの向こうから伝えてくれた彩華さんは、そのまま声のトーンを変えて言葉を続けた。
『……でも、私、譲司君と出会えて、本当に良かった。譲司君と出会えたからこそ、私はいつでもどこでも、こうやって「好き」な事や将来の事を意識できる時間を手に入れる事が出来た。勿論、さっきも言った通り、これから訪れる何かへの不安が無い訳じゃないわ。でも、正直言って、譲司君の声を聞いたら、「楽しみ」っていう感情もしっかり存在する事が認識できたの』
だって、譲司君がこうやって傍についているんだから――その優しい声を聞いた僕も、彩華さんに思いを伝える事にした。
「……僕もそうだよ。彩華さんと出会えたから、今の僕がいる。『友達』と一緒に居る事がこんなに嬉しくて楽しいものだって知る事が出来たのは、彩華さんのお陰。だから、彩華さんと一緒なら、どんなに不安な事が起きても、きっと乗り越えられると思うんだ。今回の試験だって、約束通り『満点』もとれるはずだ、って」
勿論、先程彩華さんが釘を刺した通り、慢心しているつもりは無い。でも、2人で力を合わせて頑張れば、きっとそれは架空の内容ではなく現実になるはずだ――。
『……そうね、譲司君。私たちの「協調運転」なら、出来るに決まっているわよね。どんな険しい峠だって、乗り越えちゃうんだから』
――そんな僕の言葉に、彩華さんは頼もしい返事をしてくれた。
やはり、彩華さんの思いを積載した声は、いつでも僕に勇気と希望、そして力を与えてくれる。そう感じつつ、僕はもう少しだけ復習に取り組んでみよう、と決意した。
そして、数日が経ち――。
「本当に大丈夫、譲司?」
「忘れ物はしてないか?ちゃんと筆箱や書類は持ったか?」
――レースのカーテン越しに朝日が差し込む家の中で、僕は父さんや母さんに促されながら、『転入試験』の会場である教頭先生の学校へ向かうための最終チェックを行った。筆箱に書類、学校へ向かう列車に乗り込むためのICカード、そして本番ギリギリまで見直すためのノートなど、鞄の中にしっかり試験に向けた必要なものが入っている事を、家族総出でしっかり確認する事が出来た。
そんな僕の今日の服装は、白のワイシャツに青いジーンズ。『私服で転入試験を受けても構わない』と学校からの種類に明記されていたおかげで、僕はあの地獄のような日々しか記憶にない前の学校の制服に袖を通さずに済んだのである。とはいえ、派手な服装は控えるように、という事もしっかり記されていたので、僕は普段通りの着慣れたフォーマルな衣装で試験に赴く事になった。
学校の最寄り駅へ向かう電車は混んでいるから気を付けるように、という父さんの注意の後、母さんはこんな忠告を僕に送った。レアな電車が来てもあまり夢中になってはいけない、と。
「りょ、了解です……」
実は彩華さんと電話を交わしたあの日、卯月さんの乗る車で学校まで送迎しても良い、と彩華さんは進言してくれた。でも、僕はその嬉しい誘いを断った。
もしこの転入試験で合格したとしたら、僕はラッシュアワーの電車の中に巻き込まれつつ、今までの学校よりも離れた場所へ通う事になる。勿論、卯月さんの送迎なんてない。敢えてそんな少々厳しいルートの通学を体験する事で、これから先の『未来』を味わっておきたい、という思いが僕の中にあった。絶対に試験に合格してこの通学ルートをもう一度進んでみせる、という気持ちを強くしたい、というのが大きな理由だった。
勿論、後ろ髪を引かれる思いは若干あったけれど、最終的に僕は彩華さんと共に、校門前で再会する事を約束したのである。
「それじゃ、頑張れよ、譲司。俺たちはずっと応援しているぞ!」
「譲司、彩華ちゃんの今までの頑張りを信じなさい。絶対に上手く行くって」
「……ありがとう、父さん、母さん」
そして、僕は一路、家を後に、教頭先生の学校へ向けて出発した。
彩華さんと共に『満点』を獲得し、教頭先生たちを驚かせる未来を作り出すために……。
「……いってきます!」
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