第166話:喝とエールを貴方に

 綺堂家当主・綺堂玲緒奈さんとの間で、娘である綺堂彩華さんがこの僕、和達譲司と同じ学校への転入を目指したい、という思いを認めてもらうために意見をぶつけ合う。

 その玲緒奈さんの自室に招かれ、愉快で気さくな『鉄道おじさん』の正体、というもう一つの顔を知る。

 玲緒奈さんが『鉄道おじさん』として活動する会員制クローズドSNS『鉄デポ』の誕生の秘密や、玲緒奈さんの最愛の人にして彩華さんの母さんである綺堂一葉さんの事を知る。

 そして、昼食として美味しいカレーライスを食べた後、彩華さんの部屋へ招かれ、貴重な鉄道の本を読みあったり彩華さんから一葉さんに対する思いを聞いたり、有意義な時間を過ごす。


 彩華さんが目標としていたという『綺堂コレクションのお披露目』に関しては、また次回以降に持ち越しという事になったけれど、それを除いても僕はこの綺堂家の『鉄道屋敷』の中で、非常に濃い1日を過ごす事となった。

 でも、もう間もなくその時間は終わろうとしていた。僕の父さんや母さんが待っているであろう家へ帰る事に決めたからである。


「これから大変かもしれないけれど、互いに勉強頑張ろうね」

「ええ。転入試験で満点を取って、教頭先生の腰を抜かさせちゃいましょう」


 そう言い合いながら、僕たちは護衛を受け持ってくれたスーツ姿の執事さんたちに囲まれ、綺堂家の廊下を進み始めた。上の方からは、僕を見送るかのように綺堂家の屋敷内を走る模型車両の汽笛が響き渡った。

 全てが落ち着き、もう一度この屋敷に来訪する機会を得た時には、幻の『綺堂コレクション』と合わせてこの模型鉄道網の全容も把握してみたい、と僕は心の中で思った。


 やがて、僕たちは宮殿や豪邸と言うより東京駅に似た雰囲気を持つ綺堂家の屋敷の外へ、ゆっくりと足を踏み入れた。見上げた空は、夕焼けから夜の装いへと少しづつ変わり始めていた。

 そして、どこかの歴史ある博物館のような大きな玄関の傍らには、既に執事長の卯月さんが運転席に座っている、黒づくめの高級車が待っていた。勿論、エンブレムには僕が何度も見た、0系新幹線に似た紋章が刻まれていた。

 僕は改めて彩華さんと見つめ合い、互いに笑顔を送った。


「それじゃ……和達譲司さん、今日は1日、我が綺堂家を堪能していただき、誠にありがとうございました」


 どこか日本の急行型気動車のような色合いのドレス姿で丁寧なあいさつを送った彩華さんに、僕もしっかりとしたお辞儀を返すことが出来た。

 すると、そんな彩華さんに呼応するように、周りにいる執事さんたちも、是非またいらして欲しい、今度は美味しいお茶やお菓子をご馳走したい、自慢の鉄道模型を披露してあげましょう、など、僕に様々な言葉をかけてくれた。

 気づかないうちに、皆に気に入られていたようだ、と笑顔で語る彩華さんに、僕は少しだけ恥ずかしがりつつも嬉しいそぶりを見せた。


「それじゃ、父さんや母さんに報告したらまた連絡を入れるよ」

「分かったわ。それじゃ、また後で!」

「うん。彩華さん、こちらこそ、本当に今日はありがとう」

「……こちらこそ!」


 そして、僕は彩華さんたちにもう一度軽く頭を下げ、卯月さんの車の助手席へと座った。シートベルトを締めたのを互いに確認し合った後、卯月さんはゆっくりとアクセルを踏んだ。走り去る車を見送るかのように、彩華さんや執事さんたちはずっと僕に手を振ってくれた。

 狛犬のように並ぶ2両のテンダー式蒸気機関車、『綺堂コレクション』の一部かもしれない幾つもの踏切、そして屋敷を囲む壁の一部に作られた、レンガ式鉄道車庫を模したような門――それらをあっという間に走り抜け、車はすっかり暗くなった森の中へと飛び出した。これが綺堂家の屋敷を訪れる最後の機会、なんていう事は絶対にないし、家へ帰る選択肢を選んだことに後悔はしていないけれど、改めてあの『鉄道屋敷』を離れると、心の中にどこか寂しい気分が沸いてしまった。

 きっとこれも、綺堂彩華さんと言う『特別な友達』が出来たおかげなのかもしれない、と僕はその思いを敢えて前向きに捉えてみる事にした。『綺堂家当主』の厳しい顔、『鉄道おじさん』の楽しい顔、双方を自分なりに前向きに使い分けている、綺堂玲緒奈さんを見習いながら。


 やがて、森を抜けた高級車は、家やビル、マンションが立ち並ぶ街の中を突っ切る道路の上を走り始めた。

 不思議とその景色に懐かしさのようなものを感じながら眺めていると、隣で車を運転する卯月さんが、このような事を語り始めた。


「本来、私は執事長と言う、綺堂家の立場に立ち、常に合理的に物事を考えなければならない立場です。ですが、敢えて『大谷卯月』自身の考えを言わせて頂きます。和達譲司さん、見事な説得でした。私たちが仕える旦那様の心を動かし、迷いを解かれる。流石は、お嬢様の『特別な友達』だけあります」

「あ、ありがとうございます……」

「私が最初に和達さんとお会いした時、伝えた言葉があります。覚えていますか?」


 最後に勝つのは、『強い人』ではなく『負けない人』だ――卯月さんの言葉を聞いて、僕はぱっと思い出すことが出来た。

 そして、和達譲司という存在は、いじめにも偏見にも大富豪にも決して負けない、どんな苦境にも決して諦める事が無い、素晴らしい人材になった、と卯月さんは僕をべた褒めしてくれたのである。

 

 でも、それらの言葉を聞いてどこかだらしない笑みになってしまった僕に対して、卯月さんは油断大敵と言わんばかりに言葉を続けた。


「ですが、おふたりの『負けない』ための戦いは続きます。これから、お嬢様と共に転入試験へ向けて勉強を進めなければなりません」

「……はい」

「綺堂家としては、是非おふたりに全教科満点を目指してもらいたいものですが……」


「それなんですけど、実は、卯月さんが車を用意している間に、その約束を彩華さんと交わしたんです。ふたりで満点獲得を目標に頑張ろう、って」

「そうだったのですか……」


 ただ、試験の範囲は筆記だけではなく、自分の長所や短所の解説、意気込みの熱弁、そして先生からの不意を突くような質問への返答などの面接も含まれるはず。これからは、それらもしっかりと対応した勉強をする必要がある。

 どちらも本番で最大限の力が発揮できるよう、日々の努力を欠かさず行って欲しい――まるで塾の先生のようなアドバイスを送ってくれた卯月さんに、僕は感謝の言葉をしっかりと返すことが出来た。


「こちらもあくまで私の意見ですが、お嬢様の日々の奮闘を見ている限り、今までのペースを維持すれば満点も夢ではないと考えています」

「そうなんですか……!?流石彩華さん……!」

「和達さんも、お嬢様に負けずに日々の勉学を積み重ねれば、きっと大丈夫。私は、そう信じています」

「……ありがとうございます。卯月さんにそう信頼してもらうと、とても嬉しいです」


 僕の言葉に、執事長として冥利に尽きる、と卯月さんはどこか嬉しそうな内容を返してくれた。


 そんなやり取りをしているうち、気付いた時には僕たちが乗る高級車は沢山の建物で賑わう街を通り過ぎ、僕の家が佇む静かな住宅街へと辿り着いた。

 そして、公園の近くにある駐車場にゆっくりと停車した車の中で、僕は先にスマートフォンを使って母さんに連絡を入れる事にした。すっかり外が暗くなっている時間になってもまだ帰ってこないし連絡も入れない僕に、母さんも、そして父さんも心配しているかもしれない、と考えたからである。


「もしもし、譲司です……。あ、母さん……うん、ごめん、連絡が遅くなって……本当にごめんね……それで、結果なんだけど……うん、詳しい事は、家へ帰ってからじっくり報告してもいいかな……?」


 少なくとも、僕は大丈夫だし、何事もない。期待しておいて欲しい、と僕は電話の向こうで心配そうに尋ねてくる母さんを宥めるように言葉をかけた。

 その後、卯月さんの車で家の近くまで送ってもらったのを伝えると、是非親としてお礼を述べたいので電話を代わって欲しい、と母さんはお願いをしてきた。それを受け、僕は卯月さんにスマートフォンを渡した。


「ただいま代わりました、綺堂家執事長の大谷卯月です……はい、以前は大変お世話になりました……はい……いえ、執事長として、為すべき事を行った事ですので……はい……」


 そして、卯月さんもまた、『説得』の結果はどうなったのかは、この僕=和達譲司さんの口から直接聞く事をお勧めしたい、と母さんに連絡をした。少なくとも、最悪の事態は避ける事が出来た、という旨も加えながら。

 やがて、そのまま一言二言母さんと会話を交わしたのち、卯月さんは通話を切って良いか僕に許可を求めてきた。どうやらキリが良い形で話が終わったようである。大丈夫です、という合図を送ると、卯月さんは僕の母さんへ別れの挨拶を述べ、通話を切った後スマートフォンを返してくれた。


「和達さん、このような形の連絡でよろしかったでしょうか?ネタバレ・・・・はなるべく避けるような形にしましたが」

「あ、ありがとうございます……そこまで気を遣ってもらって……」


 でも、『期待しておいて欲しい』『最悪の事態は避ける事が出来た』という言葉で、もしかしたらだいたい説得の結果を察したかもしれない、と苦笑いをしながら発した僕の言葉に、卯月さんは確かにその通りだ、と言わんばかりに頷いた。


「さあ、和達さん、『最高の結果』を、ご両親に報告してください」

「はい……ありがとうございました!卯月さんも、安全運転でお気をつけて」

「了解しました。それではまた」


 そして、駐車場を後に、綺堂家へ戻っていく卯月さんの高級車を見送った後、僕は早足で家へ向かった。

 

 既に父さんも帰宅しており、僕が説得の結果を報告してくれるのを首を長くして待っている、と母さんから連絡が入った。ふたりの心配を抑えるためにも、そして心の中に湧きたつ思いや新たな決意を分かち合うためにも、すぐ僕の口からあの豪邸で起きた様々な出来事を、機密情報をしっかり隠したうえで報告しないと――そう考えているうち、あっという間に僕は見慣れた一軒家に辿り着いた。


 あの綺堂家の豪邸には豪華さも大きさも負けているかもしれないけれど、僕にとってはここもまた、沢山の思い出が宿る立派な『鉄道屋敷』だ。

 そう考えつつ、僕は鍵を操作して玄関の扉を開け、嬉しさを存分に示す声を出した……。


「母さん、父さん……ただいま!」

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