第164話:母の背中を追って

「そう……。お父様、そんな事をあの部屋の中で言っていたのね……」

「うん……」


 彩華さんや卯月さんを長時間待たせてしまいつつ、綺堂家当主にして彩華さんの父である玲緒奈さんから様々な話を聞いていた僕だけれど、その内容の多くは外部に漏らすと様々な人間関係やクローズド会員制SNS『鉄デポ』の円滑な運営にまで影響が出かねない、という理由もあり、絶対に秘密にしておくよう僕は何度も念を押された。でも、たった1つ、あの部屋の中で初めて本格的に聞いた、玲緒奈さんの奥さんにして彩華さんの母さんである『綺堂一葉』さんについては、是非彩華さんにも語ってみて欲しいと逆に勧められた。自分とは違う視点で、最愛の人の事について知る機会をもっと得て欲しい、という思いも、その言葉には含まれていたのかもしれない。

 そして僕は、彩華さんの部屋の中に飾られていた一葉さんの写真をきっかけに、玲緒奈さんから聞いた様々な話――玲緒奈さんとは幼馴染だった事、色々な場所へ旅行に出た事、そして大の鉄道オタクだったという事など、様々な内容を確認するように語った。これらの情報を聞き出したかった事も、彩華さんのところへ戻ってくるのが遅くなってしまった理由だ、という謝罪を交えながら。


「そんな言う理由もあったのね。でも、それなら大丈夫よ。むしろ、私のお母様の事、知ってくれてありがとう」


 そう言った彩華さんは、少し寂しそうな表情を見せながら、僕に呟いた。お母様=一葉さんの事を小さい頃から知り尽くしているお父様=玲緒奈さんが、とても羨ましい、と。

 玲緒奈さんが語ったように、一葉さんは彩華さんが物心ついて間もない頃、丁度『鉄道』という概念を本格的に好きになり始めた時、長い闘病生活の末に『片道切符』を買ってこの世界を去ってしまった。そのため、彩華さんは自分の母親である一葉さんの事について、ほとんど覚えていなかったのである。


「でも、お父様が言っていたわ。病床でも、お母様は積極的に赤ん坊だった頃の私と積極的に触れ合って、『好き』という気持ちを伝え続けていた、って」

「『好き』という気持ち……」

「ええ。この私、綺堂彩華はどこまでもお母様に愛されているって、何度も言ってくれたわ」


 そして、彩華さんの父さんである玲緒奈さんは、母さんの思い出が無い彩華さんへ、積極的に一葉さんの事を語り、褒め称え続けたという。勇猛果敢で頼もしく、それでいて慈愛と鉄道愛に満ち溢れていた、今でいう最強の『女子鉄』。今でもこの世を去ってしまった事を惜しむ人が多い程に様々な人に慕われていた存在。もし今も生きていれば、一葉さんが綺堂家の当主にふさわしかったかもしれない――それは、まさに玲緒奈さんが自室で僕に語っていた本音と同じ内容だった。


「お父様は、いつまでもお母様の事を敬愛し続けているのね。1人の人間として、そして1人の鉄道趣味仲間として……」

「そうかもしれないね……」


 そんな僕の返事に続くかのように、彩華さんは正直な思いを語った。

 自分もまた、一生会う事が出来ない『母』という存在、遠い彼方にいる『ヒーロー』に、常に憧れ続けている。だから、父から貰った生前の写真を、こうやって飾っている、と。


「だって、マナーを守らない鉄道オタクをガツンと注意する程の勇気を持っていたんでしょう?悪い事は悪い、良い事は良い。そうはっきり言えるような人を、私は尊敬しているの」


 その言葉を、僕は大いに納得する事が出来た。『悪い事は悪い、良い事は良い、とはっきり言える人』というのは、まさに僕が綺堂彩華さんと言う存在に抱いた印象そのものだったからである。

 そして、彩華さんはその憧れの思いを、ずっと『苗字』という形にして纏い続けていた、と語った。

 

「ずっと前に譲司君や図書室のおばちゃんに語った話だけれど、覚えているかしら?私が場合によって名乗っている『梅鉢うめばち』という苗字は、お母様が綺堂家の一員になる前の旧姓だって」

「う、うん……。あの学校に入学する時に、玲緒奈さんが『綺堂』という苗字の使用を許さなかったから、その苗字で通う事になったって……」

「ええ。確かに、あの時の説明だけだと、お父様から無理やり『梅鉢』という苗字を名乗らせる形になった、とも捉えられるかもしれないわね。でも、本当の事を言うと、とても嬉しかったの」


 一葉さんを通して綺堂家とより深い繋がりを持つ事になった梅鉢家の人たちが、自分たちの大切な苗字を彩華さんが使う事を快く許してくれたのを、彩華さんは内心とても喜んでいた。声も分からず、表情も知らず、抱きしめられた記憶もほとんど残されていない。実の母なのに、まるで『幻の存在』『雲の上の人』のように感じてしまっていた一葉さんに、同じ苗字を名乗る事で少しでも長く触れ合えるような、そんな気がした――そう語った彩華さんの表情を見て、僕はようやく理解できた。今まで何度も、彩華さんが『梅鉢』という苗字も悪くない、と語っていた理由を。


「彩華さんは、2つの苗字を大切にしているんだね」

「そういう事になるわね……。綺堂家を率いるお父様、梅鉢家の一員として活躍したお母様。私は、2人にどこまで近づけたのかしら……」


 どこか遠くに視線を向けながら語る彩華さんに、僕ははっきりと思いを伝えた。


「……彩華さんの父さんや母さん……玲緒奈さんや一葉さんにどこまで近づけたのかは、綺堂家じゃない僕にははっきりとは言えない。でも、皆から慕われる人には、間違いなく近づいていると思うよ」

「そうかしら……?」

「彩華さんがいるからこそ、『鉄デポ』が賑やかな鉄道オタクが集う『車庫』になっているのが、何よりの証拠じゃないかな。それに……」


 彩華さんはいつでも凛々しくて頼もしくて素敵で格好良くて、僕にとってはいつでも憧れの人だ――その言葉を部屋に響かせた直後、僕の目の前で彩華さんの顔があっという間に真っ赤になった。


「じょ、譲司君……。な、何だか、面と向かってはっきり褒められると、凄い照れちゃうというか……」

「あ、ご、ごめん……!」

「謝る事はないわ。私がただ興奮しちゃっているだけだから……。ありがとう、譲司君」

「ど、どういたしまして……」


 すると、すっかり真っ赤になってしまった身体を冷やそうとした彩華さんは、話題を変えようとするかのように手を叩くと、あの一葉さんの写真が置かれた勉強用と思われる机の引き出しを開け、しばらく中身から何かを探す動作を見せた。そして、面白いものを見せてあげる、という言葉と共に、1枚の写真を見せてくれた。

 それを見て、僕は最初目を疑った。確かに、その写真の中で堂々とした笑顔を見せていたのは、彩華さんの机の上に飾られていた長い黒髪の美人さんであり彩華さんの母さんであった綺堂一葉さんだった。でも、問題なのはその『人数』だった。一葉さんと見分けがつかない外見や服装を纏う瓜二つの誰かが、鏡合わせのように笑顔で並んでいたのである。

 彩華さんの母さんが2人もいる、これは一体どういう事なのか、と言う僕の驚きは、彩華さんが想定していた通りだったらしく、自慢げにその不思議な写真の単純明快なからくりを解説してくれた。


「え、双子!?」

「この写真の左側が私のお母様で、右側がいつもお世話になっている梅鉢家の叔母様よ。まだお母様が元気だった頃に撮影した写真ね」

「なるほど……」


 そう、姿形がそっくりだったのは、彩華さんの母さんである一葉さんと、彩華さんがお世話になっているという梅鉢家の叔母さんが、『一卵性双生児』の双子だからなのである。

 そして、その彩華さんの両親=綺堂玲緒奈さんと綺堂一葉さん、彩華さんの叔母さん、そしてその旦那さん、この4人は小さい頃から大の鉄道仲間であったという事も、彩華さんは楽しそうに教えてくれた。その証拠に、この双子の美人鉄道オタク姉妹が映った場所は、一般公開が行われたとある鉄道車庫の線路の上だった。


「綺堂家と梅鉢家には、そんな繋がりもあったんだね」

「ええ。若い頃は4人を中心とした鉄道オタクのメンバーであちこち鉄道旅行に行っていたみたいね。譲司君もお父様から聞いた、悪い鉄道オタクを成敗した話もその時の出来事だったそうよ」


 以前、梅鉢家の叔母さんや旦那さんがその事を語りまくり、あの厳格そうな雰囲気の玲緒奈さんをうろたえさせていた、と彩華さんは愉快そうに思い出していた。この4人は他にも様々な武勇伝を残していたらしい、と言う情報を付け加えながら。


「彩華さん……色々と凄い家族や親戚に囲まれていたんだね……」

「そうね……。改めて思い返すと、私って生まれる前から鉄道漬けにされる運命だったのかもしれないわ……。まあ、譲司君とも出会えた訳だし、悪い事じゃないのは間違いないけれどね」

「それもそうだね……」


 ともかく、彩華さんが様々な人の支えに感謝し、今は会えない母さんの事も大切にしている事を、僕はよく理解する事が出来た。

 その旨を言葉にした僕に、彩華さんは僕が父さんや母さんを大切に思っているのと同じようなものだ、と返してくれた。

 

「私たちがここにいるのも、それぞれの家族の愛情あってこそ、なのかもしれないわね」

「そうだね……。それに、玲緒奈さんは僕の事を認めてくれたし、僕の父さんや母さんも、彩華さんとあっという間に打ち解けた……」

「あの時は、譲司君が『お母様』とどう過ごしているのか、よく分かったわ。お母様って、やっぱり素敵ね」

「彩華さん……」


 そして、僕は、また時間が空いた時にいつでも僕の家に来て欲しい、父さんや母さんも、そしてあの『気動車の本』も大歓迎だ、と改めて誘った。

 勿論、彩華さんが嬉しそうに頷いてくれたのは言うまでもないだろう。


「……さて、そういえばお勧めの本が……」

「あ、そうか……!」


 そんな感じで彩華さんの家族、僕の家族に思いを馳せる時間をたっぷり過ごしていた僕は、どうして彩華さんが席を立ったのか、そもそも何故僕は彩華さんと肩を並べるかのように新幹線のグリーン車の座席に腰かけていたのか、それらの理由をすっかり忘れかけていた。

 彩華さんの指摘で何とか思い出した僕は、改めて彩華さんが用意してくれる次の本は何か、そちらに思いを馳せる事にした。

 こうやって2人で過ごせる大切な時間を、忘れる事が無いようしっかり心に刻みながら……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る