第163話:譲司気動車興奮号

 自分の部屋だからと言って緊張しなくても大丈夫、以前訪れた譲司君の部屋と同じような感じだから――『特別な友達』にして、僕にとっては異性の友人でもある彩華さんの自室にお邪魔する事に際して、彩華さん本人はそう言って僕の緊張を解こうとしてくれた。そして、いざ実際に入った時、僕はその言葉の意味をよく理解する事が出来た。


「わぁ……!」


 確かに、部屋の内装は西洋風の宮殿の一室を思わせる豪華な作りになっており、模様が描かれた床、天井から吊り下げられているシャンデリア、いかにも高価そうなカーテンなど、まさに大富豪の令嬢が暮らすのにふさわしい内装が揃っていた。部屋の奥にあるベッドも、僕の部屋にあるような、引き出し付きのパイプ作りのものとは構造からして異なる、大きくて寝心地の良さそうな外見だった。

 でも、その広大な空間の中には、そういった典型的な『豪華な内装』とは明らかに異なるものがあちこちに存在していた。特に僕の目を引いたのは、中央に置かれた高さがある机の横にあった、ソファーのようなものであった。頭を乗せることが出来るヘッドレストやそこにかけられた白い布、少し硬そうなひじ掛け、そしてどこか懐かしさを感じる布張り――これがソファーではなく、昔の新幹線で使われていた座席、専門用語でいう『リクライニング機構付きのクロスシート』である事に、僕はすぐ気づくことが出来た。

 更に、この部屋の鉄道要素はそれだけでは無かった。部屋のあちこちにあるアンティーク調の棚の中に入っていたのは、雑誌や図鑑、専門書、同人誌まで多種多様な鉄道雑誌や、日本や海外の鉄道車両を模して作られた各種スケールの鉄道模型だったのである。


「す、凄い……凄いよ、彩華さん……!」


 僕のごちゃごちゃした狭い部屋に似ているどころか、まるでちょっとした博物館が開館できるほどのスケールを見せつけてきたこの部屋に驚嘆している僕に、彩華さんはここまで驚いてくれるのはとても嬉しい、と語ってくれた。彩華さんを自室に招き入れた際の僕と同じように、この部屋に家族や親戚、使用人の皆さん以外の人を入れるのはこれが初めてだ、と補足情報を交えながら。


「私の自己満足の側面ばかりのコレクションだけれど、ここまで喜んでくれるなんて、やっぱり『友達』って素敵な概念よね」

「そうだね、彩華さん……それにしても、こんなにたくさん、どうやって集めたの……?」

「譲司君と同じように、私もお父様や様々な人たちから頂いたお小遣いやお年玉などを何とか工面して集めた格好ね。それに、親戚の方々から直接本や鉄道模型を貰う事もあったりしたわ……」


 中身を暗記するほど読んでしまったから、これからも仲良くしたいという証に、彩華ちゃんのために、など様々な理由で、彩華さんは様々な人たちからプレゼントとして鉄道関連のグッズを貰う機会が多かったという。ただし父さんにあたる玲緒奈さんはそういった無償のプレゼントに関して厳しいようで、クリスマスや誕生日といった例外を除いてそういった物品を貰う機会はほとんどなかった、とちょっぴり残念そうに付け加えたけれど。


「そうか……僕は、出張帰りの父さんが鉄道雑誌を買ってくれることが何度かあったかな……」

「へえ、いいわねそれ……譲司君のお父様、私のお父様より優しいわ」

「そ、そうかもしれないかな……」


 意外なところで彩華さんに羨ましがられた僕だけど、それでも彩華さんがコツコツ貯めたお小遣いや様々な頂き物を集めたコレクションは、何度見ても僕のものとは比較にならない圧巻の光景だった。

 早速そのラインナップの詳細を拝見しようと動き出した僕の目に留まったのは、ずらりと並ぶ多数の本の一角に集められていた、とある雑誌だった。


「……い、彩華さん……こ、これって……!」


 僕が驚いたのも当然だった。昭和時代、年に1度刊行され続けたその鉄道雑誌は、現在の世に生きる鉄道研究家が様々な記事や論文を執筆する時に常に参考にする、と言われる程の資料性が高いものだったからだ。当時の国鉄や私鉄のみならず、普通なら立ち入り禁止なはずの鉱山や工場、製鉄所などを走る鉄道の資料もばっちり収録されており、『記念碑的作品』と呼んでも過言ではない扱いを受けている。そして何より――。


「……これ、僕の部屋にもあの図書館にも無い本だ……!」


 ――鉄道関連の文献が充実している、僕たちがよくお世話になっているあの大きな図書館でも、この雑誌は僅かな号しか収蔵されていなかったのである。

 それが、彩華さんの部屋の中には全巻、それも非常に綺麗な状態で揃っている。まさに僕の心を興奮させるのに十分すぎる事態だった。


「卯月さんの手も借りて、あちこちの古本屋を漁って見つけた甲斐はあったわ。やっぱり全巻揃えたくなるものよね」

「分かる……とっても分かる……!」


 以前は彩華さんが『自分の部屋にも無く、買おうにもどこも在庫切れの状態だった』と嘆いた気動車の本が僕の部屋に上下巻揃っている事を知って大興奮していたけれど、今回は立場が見事に逆転し、僕がどこを探しても見つからなかった昭和時代の雑誌を彩華さんの部屋で見つけて興奮する番になっていた。

 当然ながら、こういった情報満載の文献は、ただ棚に置くだけでは物足りないもの。僕と彩華さんは早速一緒にこの雑誌を読む事にした。勿論、最初に選んだのは彩華さんが大好きな、日本や世界の気動車が表紙から巻末までずらりと紹介されているものだ。

 そして、ページを開く度に、僕の耳には彩華さんによる綺麗な声の気動車解説が入ってきた。


「ここの鉄道は、第二次世界大戦前から先進的な気動車が積極的に導入されていて、西の気動車王国なんて呼ばれていたわね。当時の鉄道省に導入された気動車も、この鉄道に導入された大型気動車が基になったのではないか、と考える専門家もいるみたいよ」

「廃止されちゃったのが残念だね……」

「高速化のためとはいえ、確かに残念ね」


「ここの鉄道、全線電化しているのに気動車を所有していたんだ」

「当時直通運転をしていた国鉄路線が非電化だったのが理由ね。ただ、短期間で終わっちゃって、その後この気動車はあちこちの鉄道を転々として……」

「もしかして、前に彩華さんが言っていた、博物館に保存されているレアな保存車両ってこの事?」

「ご名答!流石譲司君、よく覚えているわね」


「へぇ、路面電車にも気動車が走っていたんだ」

「そうよ。これはコスト削減を目的に作られた路面気動車。世界的にも珍しくて、外国の鉄道雑誌にも紹介されたみたい。でも、路線縮小や電化の影響で、気動車として走った期間は短かったそうよ」

「コスト削減って、そう簡単にはいかないんだね……」

「難しい話よね……」


 互いに興奮し、知識の豊富さに唸り、そして悩むときは一緒に頭を悩ませる。机の上に置かれた本を話の種に盛り上がっていた僕は、ふと隣の彩華さんに視界を当てた時、僕たちが隣り合った『座席』に肩を並べて座っている事をつい意識してしまった。そして、僕は彩華さんに確認も兼ねて尋ねた。今僕たちが座っているソファーのようなものは、もしかして『アレ』なのか、と。


「そうよ、これは実際に使用されていた、本物の新幹線の座席。それも、グリーン車用のものなの」

「す、凄い……!これ、どうやって手に入れたの?」

「これ?前に卯月さんが誕生日プレゼントだって言って用意してくれたの。でも、間違いなくお父様が私のために購入したものだと思っているけどね」

「え、そ、そうなんだ……」


 つい先程、誕生日やクリスマス以外にプレゼントを渡してくれないお父様=玲緒奈さんは僕の父さんよりも厳しい、と苦言を呈していた彩華さんだけれど、大富豪の誕生日プレゼントのスケールは想像以上だった。僕としては、玲緒奈さんも娘である彩華さんを相当溺愛しているような気がしてならなかったけれど、価値観は庶民も富豪もそれぞれなので口に出して突っ込む事はしなかった。

 ともかく、こうやって本物の鉄道車両の座席、それも高価なグリーン車のものにゆったりと座っていると、まるで彩華さんと共に旅行をしているような不思議な感じがする、と語った僕に、彩華さんはどこか悪戯げな笑顔でこう返した。


「ふふ、つまり2人で座っていると『ロマンス』が生まれる、って感じかしら?」

「え、え、ろ、ロマンス……!?」


 顔を火照らせながら慌てる僕を、冗談だ、と明るく宥めながら彩華さんは言葉を続けた。いつか、本物の新幹線や在来線、私鉄の列車のクロスシートに、こうやって肩を並べて2人で座って、見知らぬ遠い場所へ旅行に行ってみたい。『特別な友達』と、特別な時間を満喫したい、と。


「……そうだね、彩華さん。まだ色々忙しいけれど、それが落ち着いたらきっと……」

「ええ。いつか一緒に行きましょう。本では絶対に味わえない、列車の乗り心地を堪能しながら、ね」


 そんな感じの、本筋から離れた寄り道のような言葉を語りつつ、僕と彩華さんは机の上に置かれていた雑誌――古今東西、様々な気動車に関する情報が満載の本をじっくりと読み通す事が出来た。この機会だから、更にお勧めの本を紹介したい、と彩華さんはゆっくりと席を立ち、本棚へと向かった。その後ろ姿を見つめつつ、僕は改めて彩華さんの部屋をじっくりと見まわした。

 すると、僕の視界に気になるものが映った。目の前にある机とはまた別の机、丁度勉強机のように窓際に置かれていたものの上に、1枚の写真が飾られていたのである。よく見ると、それは1人の長い黒髪を持つ女性の人を写したものだった。彩華さんの自撮り写真かもしれないと最初は思ったけれど、よく見ると微妙に違った。彩華さんと比べて、どこか快活でアグレッシブな印象を受けたのである。

 もしかして、あの人は――そんな事を考えながら、写真の方に興味を寄せてしまっていた僕の気持ちは体にも表れてしまったようだった。


「譲司君、どうしたの?そんなに体を横に動かして」

「え……あ、ごめん……!」


 急いで体を元の位置に戻し、慌てて謝る僕を見た彩華さんは、その理由をすぐに察してくれた。


「……もしかして、あの机の上に置いてある写真?」

「う、うん……あ、あの……あれって……」


 そして、彩華さんは僕にはっきりと語った。

 勉強机の上に飾られている写真の人は、彩華さんが物心つく前に『片道切符』で去ってしまった実の母、綺堂一葉きどう かずはさんだ、と……。

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