第161話:第2カレーライスタイム
「ようこそ、我が綺堂家のダイニングルームへ」
丁寧な挨拶と共に入室を促した彩華さんに従い、部屋に足を踏み入れた僕の視界に広がっていたのは、まるで白い壁や柱、豪華な装飾、赤い絨毯、そして高価そうな椅子が白いカバーがかけられたテーブルの近くに並べられている、まるで宮殿の一室を思わせるような光景だった。この場所で、僕は玲緒奈さんと彩華さんの親子と共に綺堂家自慢の昼食を頂くことになるのだ。
執事長の卯月さんに案内され、所定の椅子に座った僕は、玲緒奈さんや彩華さんと共に、すぐ食べ物の汚れが付着するのを防ぐための前掛けを付けて貰った。確かに、服が汚れるのは嫌だしこういうのはありがたいけれど、そこまで大袈裟な事をするような料理なのだろうか。そう感じた僕の疑問は、すぐに解消された。
「それでは、本日の昼食、ごゆっくりお楽しみください」
卯月さんの言葉と共に、スーツ姿を身につけた男の人や女の人が、次々に手際よく僕たちの目の前に料理を並べ始めた。綺麗な真っ白な更にたっぷりと盛りつけられたライス、ミニトマトやレタスを用いたシンプルなサラダ、良い香りが広がるオニオンスープ、そして、『グレービーボート』とも呼ばれるランプにそっくりな銀色の容器の中に入っているのは――。
「……!」
――良い意味で予想もしていなかった昼食に驚いた僕に、丁度目の前に座っていた彩華さんは嬉しそうに語った。これが今日の昼食、綺堂家自慢の『ビーフカレーライス』だ、と。
食べる前から美味しそうな香りが漂い、先程から続く空腹が限界に達しようとしていた僕の一方、早く一緒に食べましょう、と笑顔で語る彩華さんに対して玲緒奈さんは相変わらず仏頂面のような厳しい表情を見せ続けていた。ただ、今の僕にはそれが綺堂家当主の威厳を保つための1つの演技のようなものだ、という事が分かっていた。案外、内心では美味しそうなカレーを見て興奮しているのかもしれない、と僕は心の中でこっそり考えた。
そして、準備が整った、という卯月さんの言葉を受け――。
「いただきます」
「「いただきます!」」
――僕と彩華さん、そして玲緒奈さんは、手を合わせて料理を食べる前に欠かせない挨拶を交わした。
とは言え、こういう豪邸の中でカレーを味わうのは初めての体験なので、どう食べるのが一番良いか分からず僕は固まってしまった。それを見つめた彩華さんは、まるで見本を示すかのように、グレービーボートに銀色のスプーンを入れ、中に入ったカレーを
味はどうかしら、と尋ねる彩華さんの問いに応えるべく、僕はしばらくの間ゆっくりとカレーライスを噛み、舌でその味を確かめ、どう表現したら一番伝わるかを考えた。やがて、喉の奥へカレーライスを飲みこんだ僕は、何とか無い頭を振り絞って思いついた感想を述べた。
「何というか……カレーらしい辛さもあるけれど……それ以上に、味わい深さのようなものが大きいかな……。今まで食べた事が無い不思議な感じだけど、とっても美味しい……!」
「それは良かったわ。みんな、譲司君が美味しいって言ってくれたわ」
その言葉と共に、僕たちの周りに立つ人々――スーツ姿の執事さんや、白い服を着ているシェフの人たちが、どこか安心したような表情を見せていた。ここに集う皆が丹精込めて作ったご飯である事が改めて理解できた一方、僕の中に新たな疑問が浮かんだ。確かにカレーライスは僕の大好物の1つだけれど、星の数ほどあるおもてなしの料理の中で、どうしてこれを選んだのだろうか。それを率直に尋ねた僕に、彩華さんは少々意外な背景を教えてくれた。
「前に譲司君の家にお邪魔した時、カレーライスを食べたでしょう?」
「うん……僕と母さんが協力して作って、父さんが皿洗いをしてくれたアレだよね」
「そう、あの時食べた具だくさんカレーがとても美味しくて、それを綺堂家で働いているシェフに伝えたの。そしたら……」
彩華お嬢様の『特別な友達』が作り、振る舞ったカレーの味が印象的なのは納得できる。でも、美味しさなら自分たちだって負けてはいない。『特別な友達』を唸らせる、最高級のカレーでもてなして見せる――そう言ってやる気を見せたシェフの人たちは、彩華さんは勿論、玲緒奈さんにまで、いつか僕が綺堂家の屋敷を訪れた際に是非カレーを提供したい、と願い出たというのである。
つまり、綺堂家に仕える一流シェフの人たちが、僕や僕の母さんが作ったカレーにライバル心を燃やした、という訳だ。あのカレーがそんな事態を生みだしていた事に全く気付かなかった僕は、嬉しいやら恥ずかしいやら緊張するやら、様々な感情に包まれたのであった。
そんな僕に、彩華さんは先程の僕の感想にあった『不思議な味わい』の秘密を語ってくれた。以前僕が母さんと一緒に作ったカレーは、スーパーに売っていた市販の固形のルーを用いて作ったけれど、こちらはシェフの人たちが普段綺堂家に振る舞っているカレーを更にアレンジし、独自の調合を行ったスパイスを使用したという本格的なものだった。しかも、単に辛くて香ばしいだけに留まらず、胃腸の調子を整えてくれるスパイスも含まれており、それが独特の味を生み出す要因になっているのだろう、と彩華さんは語った。詳しいレシピは機密情報なので教えられない、との事だったけれど、多分教えられたとしても理解できなかっただろう、と僕はこっそり心の中で感じた。
「みんなの心意気がスパイスなんだね……」
「いいこと言うわね、譲司君」
そして、じっくりとカレーライスやサラダ、オニオンスープの美味しさを堪能し続けていた時、カレーライスを半分ほど食した彩華さんが、非常に難しい質問を投げかけてきた。
「……それで、譲司君?この綺堂家のカレーと、和達家のカレー、どっちが美味しいと思うかしら?」
「……えっ……!?」
当然だろう、はっきり言って、僕の母さんの愛情が込められたあのカレーも、綺堂家の皆様の本気が詰まったこのカレーも、どちらも別の形で美味しさが完成していて、優劣なんて付けられなかったからだ。
でも、僕の視界には、このおもてなし用のカレー作りに専念していたであろうシェフの人たちが、どこかわくわくしているような表情で見つめているのがはっきりと映った。これは、曖昧な回答や冗談めいた内容を言ってしまうと失礼になってしまうかもしれない、としばらく悩んだ僕は、ある『禁じ手』を使用する事を決意した。
「……彩華さん……逆に尋ねるけれど、彩華さんは、僕たちのカレーとこの綺堂家のカレー、どちらが美味しいって思った?」
「……え、わ、私……!?」
質問に全く同じ質問を返される事を予想していなかったのを露わにした彩華さんは、スプーンやフォークを一旦置いて、難問に頭を悩ませるような姿を見せた。そして、しばらく唸り声をあげた後、何かに気づいたように何度か頷きのような動作を見せた彩華さんは、『回答』とは違うけれど、僕が納得するような言葉を述べてくれた。
「……なるほど、譲司君の言いたい事、分かったわ。譲司君も私も、結局どちらのカレーも美味しすぎて、優劣なんて付けられない、って事ね」
「う、うん……僕、どんなカレーも大好きだから……」
「そうね。みんなのカレーも、譲司君や譲司君のお母様のカレーも、どちらも素晴らしさが両立できるわね」
互いに納得し合った僕たちの思いを纏めるかのように、先程までずっと無言で料理を味わい続けていた玲緒奈さんが言葉を発した。2人ともまだまだ『青い』な、と。それは、自分たちにまだまだ人生経験が不足している事、僕たちがまだ未熟である事を示しているものだった。
でも、彩華さんは若干厳しめな言葉にもめげることなく、しっかりと言葉を返した。
「お父様、これから譲司君と一緒に様々な人生経験をしていくから、そんなに心配しなくても大丈夫よ」
「……ふん」
そんなやり取りをしていた時、突然部屋の中に何か低く響く音が聞こえた。その方向に目を向けた僕の視界に映っていたのは、恥ずかしそうな表情を見せるスーツ姿の男の人だった。どうやら、先程の僕と同じように、空腹が我慢の限界に達し、大きな音になってしまったようである。心配する感情がつい僕の表情に表れてしまったのか、その男の人は自分に気を遣わなくても構わない、こちらこそ失礼な事をした、と頭を下げた。
僕たちがこんなにおいしそうにカレーを食べているのをただ見つめる事しかできないなんて、本当に大丈夫なのだろうか、と心配がやまない僕に、卯月さんがこのような事を述べた。
「和達さん、ご安心ください。私たちは和達さん、お嬢様、そして旦那様が昼食を食べ終えた後、皆で残らず食べる事になっていますので」
「そうなんですか……?」
「ええ、ですので遠慮なく食べて、空腹を満たしてください。私たちも、後ほど皆様と同じようにたっぷりカレーライスの美味しさを味わいますから」
その言葉が決して嘘偽りではない事は、周りにいるスーツ姿の人々が深く頷いている様子からも理解する事が出来た。
ちょっぴり申し訳ない気持ちは心の中に残ってしまったけれど、ここで遠慮してしまっては逆に卯月さんを始めとする皆さんに失礼かもしれない。そう考えた僕は、綺堂家自慢の美味しいカレーライスの味を更に堪能する事にした。
そして、そのまま夢中になっているうち、いつの間にやら僕の前にあった全ての皿や容器の中は空っぽになってしまっていた。楽しい時間と同様、美味しいものもあっという間に消えてしまう、というのを、ここでも僕は実感した。勿論、ここでお代わりをして更にビーフカレーライスを堪能する選択肢もあったけれど、ここで食べ過ぎて母さんが作る夕食に影響してしまうのもどうかと思った結果、今回は腹八分目の段階で我慢する事にした。
次に訪れた時は是非美味しい料理をお代わりしてたっぷり食べたい、という野望を心の中に抱きながら、丁度同じタイミングで完食した彩華さんや玲緒奈さんと共に、僕は手を合わせてご飯を食べ終えた事を示す挨拶を一斉に口にした……。
「ごちそうさま」
「「ごちそうさまでした!」」
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